2018年2月4日日曜日

Vol.215「まわる、まわるよどこまでも、レコード」の巻

明けましておめでとうございます。

明けて1ヶ月でもう2月。締め切りを大幅に遅れまして、お勝手口から失礼します。今年の冬はさっぶいさっぶい、雪も積もってずーっと残って街が冷蔵庫で冷んやり、な上にまた明日雪になるとか。腰ですよ。腰を気をつけましょうね。気をぬいたつもりはなかったですが、腰にピキーンと電気のようなものが走り、あぁいたた、やっちゃったと雪が降った日の午前中に、雪に備えてかペンギン歩きの男誕生。
本当に、なってみないとわかんないですよね。なーんもできなくなっちゃうんですから、なーんにも。 季節を分ける節分、超えたら春だとは言え毎年思いますがまだまだ冬将軍が絶好調ですから、これを超えて梅の花が咲き始めても三寒四温の寒の日なんて何だか暗くてまだまだ寒いですから、道のりはまだまだ遠いね。 冬真っ只中、いかがおすごしか。

去年は脱皮したいなぁなんて気持ちがもぞもぞと這い出てきましたが、今年は曲を作りたいなぁと。いつもと言えばいつもだけど、去年色んなことに挑戦したからか、より自分事に向かって足元を確かめて歩いていきたいなとおもった2018年年明けであります。

去年の暮れ、レコードプレイヤーを買い、レコードも数枚買って聴いてる。これやっぱりいいもんだなぁと思いました。数年前にレコーディンエンジニアのオサムさんが「びっくりしたんだよ、今までCDで聴いてたビートルズをレコードで聴いてみたら今まで聞こえなかった音が聴こえてびっくりしたんだよ!」とテンション高めで伝えてくれて、こりゃスピーカーからなにから揃えなくてはと思いつつ、数年後の先日にやっと買うに至りまして、今までも簡易レコードプレーヤーでは聴いていて、それはまた独特な良さがあるのですが、スピーカーから流れるレコードの音もまたこれ優しくて懐かしい気持ちになります。

我々世代はちょうどレコードからCDになる転換期に思春期を過ごし、初めて買ってもらったゴーストバスターズのレコードに胸を躍らせた中学生時代、そしてその後に初めて自分で買ったレコードが長渕剛の『ライセンス』。そしてその次の『NEVER CHANGE』を最後にレコードはCDへと変わっていきました。もう何度もここで書いていますが、『ライセンス』の中のライセンスという曲を聴いた時の感動は今も風景と感覚と匂いが残っていて、パチパチと針が音を立て、どっぽん便所の匂いと、自分の環境と曲が重なり、「なんだこれは」と、こんなことも歌になるんだと、歌にしていいんだと、それまで聴いていた気分をその瞬間だけ変えてくれる音楽と違って、優しさや悲しさに包まれて、自分は自分の歌を歌っていいんだと思わせてくれた曲でした。大げさに言えば人生を変えてくれた曲、その出会いがギリギリ、レコードの時代でよかったとおもいます。

延岡の小さなレコード屋さんは、今思えば田舎のフツーのレコード店なんですが、当時の僕にとってはかなり敷居が高く、自分みたいなもんがここに入ってきていいんだろうかと、顔が熱くなり、でもそれをさとられまいと平然を装いつつも早歩きになって、息もしづらいほどになぜだかとても緊張してたのを思い出します。緊張しながら貯めたお金で買った、黄色のジャケットのレコード。大きくて、その大きさ以上に大きな何かを、すごいものを手に入れた気分になって店を出て、家に帰る帰り道。あの時の緊張、特別感、未知の領域へ足を踏み入れたような感覚を思い出します。

今、レコードを聴いていて、そんな感覚も思い出し、「音楽ってこうだったよな」と元々を思い出させてくれます。「ジャケットが大きいのがいいんだよ」とレコードを聴く人からよく聞きますが、なるほどジャケットからレコードを丁寧にぬきとってジャケットを立てかけ、レコードに針を落としてそれを眺めながら聞いたりして。これ明らかにCDとは違うなと、CDも大事に対峙して聴けますが、物理的に大きいということがこんなに特別感があるもんなんだなぁと。アルバムというものの重みや、そのアルバムと対峙する気持ちが面と向かっていて、とても贅沢な時間におもえたりして。はたまたCDでは聞こえない音が聞こえた!的なオサムさんの域には達していませんが、「デジタルはレコーディングした音が凝縮されていて、アナログはその場の空気感がそのまま録音されているので音が無限だ」とも聞いたことがあり、その違いが明確にわかっているわけではないのですが、空気感、それがあるような気もして。例えばルー・リードやパティー・スミス、ローリング・ストーンズが近くに感じて嬉しくなります。中古のレコードはその時代の古めかしさで、ジャケットから時代も感じられて時間を旅できます。

今となってはジャケットを手に取ることもなくアルバムを入手して、いつでもどこでも聴くことができて便利で、これはこれで自分もありがたく利用させてもらってますが、だからか余計にレコードがとても贅沢におもいます。

最近よくおもうのが、何かしなきゃいけないことがある時はそれに追われて気持ちがあせり、なんにもしないぞ今日はと決め込んでも、それはそれで何かし忘れてることがあるようであせり。これ自分でよく歌ってきたことだけど、あせらないでゆっくりとしっかり、自分の歩幅を確かめながら生きたいものだけど、気がつくとあせってる自分がいる。例えば釣りに行き、早朝暗いうちに磯につき準備をはじめると空が滲んで強烈な朝焼けの ショーがはじまる。すげーなぁーとただそれを目に映せばいいものを、すぐに写真撮んなきゃ、ブログやツイッターにあげなきゃあげなきゃ、これ誰かと共有したいな、撮んなきゃ撮んなきゃ、釣りの準備もしなきゃと、どこか気持ちがあせる。それはそれで誰かと共有できるのは素敵なことだけど、時々、「あれ?」っておもうことがある。また、電車の中にいるほとんどの人達が携帯をいじくってる様に、どこかおっかないものを感じたりして、自分ももれなくiPadを開き将棋したりしてる。そんな中、新聞を開いて読んでる人をみるだけでなんだかホッとして、はたまた文庫本なんかを読んでいる女の人がいたりするととても品を感じるというか、神々しいは言い過ぎにしても、素敵だなぁとおもう。本にも行間 、紙の質、匂い、一緒に時を刻めるとこに無限を感じてるのかもしれないですね。関係ないかもですが、腰を痛めたからか、ただ歩くってことが楽しく感じる瞬間があって幸せなやっちゃなぁと自分におもいます。ふと「荒れ野」に出演した演劇体験の際に、小林勝也さんが「お茶をいれる、洗濯物をたたむ、舞台でそれができることがどんなに楽しいことか」的なことを伝えてくれたのを思い出します。その域にはもちろん及ばないし、今のとこの自分の勝手な解釈ですが、ディテール、日常の細かい作業の中にも無限があるってことじゃないかとおもいます。その無限を楽しいでいっぱいにできたら、それは幸せなことだとおもいます。

デジタルとアナログ。思いがけずそんなテーマになったけど、もはやここまできたらデジタルの恩恵をもらわずに生活するのは難しいし、その便利さにありがたさを感じてもいるけど、そんな中でアナログなものに触れるとすっと落ち着く気持ちってのは、やっぱりあるんだなぁとおもった。先に書いた誰かの言葉「デジタルは凝縮、アナログは無限」って言葉だったり、はたまた自分のイメージとしては「デジタルは尖ってる、アナログは丸みがある」「デジタルは無臭、アナログは匂いがある」「デジタル便利、アナログ不便」そんなイメージがある。デジタルなものには人差し指をずらせばその時の気分ですぐに違う曲に変えれる的な良さはあるけど、アルバム全体を通して聴いたりすることが減ると、何かが狭まるような気もして。人の心は無限、想像力は無限、何かを作ろうとしたら、当たり前だけど受信する深さも大事になってくるんだろうなと。デジタルに触れる機会が増えるほど、アナログなものがより贅沢なものになって、心を豊かにしてくれるものになるんだろうなとレコードに触れて思った次第であります。と、今月はこの辺で。


池の上さ。 ブログにも載せたけど。

今年も新年早々に釣れたクロダイ。42センチ。

クロダイ釣りたいのもあるけど、これがみたくて磯にあがる。

ジャケットかっこいい

いま一番のお気に入り
ル-・リ-ド

腰痛めながら撮った雪景色
このあと病院へ。

子供が雪にはしゃいでるのみるとなんかつられながらも腰いたた。
都内の小学校で校内と下校中に雪で遊ぶのを禁止した小学校があったとラジオで流れて賛否両論あったと聞き、宮崎は延岡にも降った雪の日に授業をやめて外で遊ばせてくれた先生をありがたくおもった。

去年、舞台の稽古期間に入る前にマラソンをしていたらば、神社の前の掲示板に「人の命には限りがあるが、芸事の世界には限りがない」と書かれている訓示みたいなものがあって、わかってはいたが希望をもらった。


◆諭介がお答えいたします

■「あけましておめでとうございます!2017年は本当におつかれさまでした!! 何とか、俳優:中尾諭介を観に行きたかったのですが、時期的にどうしても難しく、観に行けた方のお話や中尾くんのブログ等々を拝見させてもらってました。 とっても貴重な体験の数々、毎日目まぐるしく大変なことだったと思います。 同じ仕事を何十年もやってる私には、新たな挑戦や別の世界へ飛び込んで行ける中尾くんが羨ましく、尊敬します!! 今年はや~っと、ジュテームが土曜日になる、待ちに待った年☆ 脱皮した中尾くんを観に行きますよ~♪ 」 (まぁ  2018年1月1日 19:16)
→気にかけてくれてありがとう。目まぐるしかったけどいまおもうと、没頭できて幸せな時間だったよ。んだ、ジュテーム!ここにむかって今年もがんばるべ。

■「あけましておめでとうございます。そして、「荒れ野」が賞をいただいたそうで、重ねておめでとうございます!賞をもらっていなくても大切な経験を積んだ皆さんの中にはきっとトロフィーみたいなものがあるんだと思いますが、一緒に頑張って作り上げたものが、評価され選ばれたことは、素晴らしいことだと思うし、その作品に諭介さんが参加していたこと、自分も見ることができたこと、全てがとても嬉しく思いました。でも、ここで書いてくれた荒れ野の人との出来事、お稽古から今までのことを読めば、自然とそこに繋がっていたかのような気もします。時間が経つにつれ、とありましたが、結構早くにまた輝きが増しましたね。脱皮はできていたように思います。マラソンでも(チームのチェック表見てまたグッと来ました!)舞台でも新しい顔を見せてもらったなと思っています。クロダイ記録更新で幸先の良い2018年!今年も諭介さんの活躍を心から応援しています」 (A.T 2018年1月17日 16:34)
→ありがとう。んだね、なくてもトロフィーはこころんなかにあったけど、実際に関わった演劇が賞をいただくと、稽古から本番、もらった言葉が輝いて頭ん中ぐるぐるしたわ。 表彰式が終わったらまた改めて報告しやす。

■「新しい年が始まりました。中尾さんの今年の抱負はなんですか? 私の今年の抱負は「忙しくても仕事でイライラしない」「どんな結果でも勇気を持って進んでみる」です。結果がどうであろうと気持ちが前に進める1年になったらいいなと思ってます。 職場の同僚と今年の抱負について話をしてたら「仕事でイライラしない」が2人とも同じだったのでお互いに笑ってしまいました」 (柿の種 2018年1月21日 11:38)
→がはっ、おもろいっ。みんなたたかってるんだね~、自分と。楽しむソルジャ-に認定いたします!矛先を人にむけず自分にむけて生きてる人って美しいね。だからなんでもものをつくってる人ってかっこよくみえるんだろうな~。ソルジャ-、ニコニコでがんばって。

■「もうすぐ2月だけど、あけましておめでとうございます!(笑) 2017年の諭介さんはきっと誰の目から見ても大脱皮の年だったんじゃないかと思います。私も色んな事に挑戦している諭介さんに刺激をもらったし、スゴいなー!って感じました。  人生遅すぎるなんて何もない!今年も諭介さんの益々のご活躍を応援してます」 (夕陽 2018年1月24日 20:43)
→できたかしら、できてたらいいけどね、今年もがんばったな、来年はもっと頑張ろうと思えたわ。去年の暮れ。とにかく前に進む、なにがあってもとまらない。いいこともよくないことも、なにがあってもやね。働き盛りだろうから、なるべく無理して頑張る年にしたいわ。

■「中尾さんこんにちは、2017年の中尾さんは多彩な活躍で、応援してるコチラもとても楽しかったです!2018年もよろしくお願いします! 私は今年、良い将棋のライバルが見つかったので将棋をがんばります。とりあえず将棋漫画を読みあさっています。「3月のライオン」面白いです。 中尾さん、将棋できますか? インザスープのメンバーでボードゲーム(麻雀とか?)したりするのでしょうか?」 (しゃるろっか  2018年1月30日 9:38)
→こんにちわ、あなたわたしはほぼ毎日やってますよ将棋。同じアパートにKと住んでた時、よく二人でやったよ、コマなんか紙で自分らで作って。三月のライオン絵が好きやわ。

5 件のコメント:

  1. 諭介さんの話を読んで、私も中学生の頃、地元のCD屋さんに行くのを楽しみにしていたことを思い出しました。ギリギリレコードじゃない世代なので(笑)CDを買いに行っていました。まだインザスープには出会ってなかったので、インザスープのではないんですけど(笑)そして、これは伝わるかわかりませんが、買うとCDの下に敷くちょっとふわふわした保護マットを選べたのですが、たくさんの色がある中から何色にしようかな~って選ぶのもいつも楽しみでした。そして、今これを書きながら、昔の家にレコードがあった記憶がうっすらと蘇りました!お父さんお母さんが聴いてたものだとしたら、何を聴いていたのかすごく興味が湧いてきました。アナログとデジタル。料理するときの電子レンジやミキサーも本当に便利。でも、ゆっくり煮込んだり、蒸したり、混ぜたり、一生懸命泡立てて、手が疲れたりして作るのもいいな~と思うのは、ちょっとレコードの話に似てますかね。

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  2. 諭介さんのレコードの話を読んでて
    インザスープのレコード版も聞いてみたかったな~って思いました。
    なんか、ライブともCDとも違うインザスープ聞けそうだな、と。
    私はレコード時代泳げたいやきくんやお隣さんちのツトムくん(タイトルそんな感じの?)松田聖子ちゃんとか聞いてました(笑)
    ビートルズとかカッコいい感じとは違い
    一気に昭和な感じですね。
    でも針をレコードに置く感じとかジャケットの絵とかすごく記憶に残っています。
    私も料理とかフードプロセッサーなど
    一気にガーっとみじん切り機械ほしい気もしますが
    キーマカレーのときとか
    目が痛くてたくさん涙しながら
    玉葱きざんできざんで
    時短もできないし
    でもなんとなくそこはアナログでいたい自分がいたりします。

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  3. こんにちは。腰大丈夫ですか?

    幼い頃、私の家にはスピーカーのついたレコードプレーヤーがあって両親がクラッシック系のレコードを聴いていて、その音楽に合わせてバレエみたいにクルクルまわって踊っていた事を思い出しました。

    私のイメージはデジタルはスタイリッシュだけど冷たくて都会的、アナログは野暮ったいけど温もりを感じる・・・デジタルな物って便利だけどアナログだった頃より壊れるのが早いような気がしませんか?
    ちなみに我が家にある一番古いアナログ製品はなんとダイヤル式の黒電話(笑)私より年上なんですよ。

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  4. 中尾さん、こんばんは。レコード店とレコードの想い出、とっても素敵!心の大きな財産ですな。自分も子供の頃のレコードの思い出が蘇ってきました。なるほど、レコードは時間を旅できるかもです。また、時が経つほど年を取るほどに、その当時の匂いや味わいが深みを増すかもです。懐かしさが豊かに思えました。
    成功は量的なものであるのに対し、幸福は質的なもの、かつ、オリジナルなものらしいです。お話から、小林さんは舞台の仕事の中に独自の幸福を追求して、困難と闘ってきたように思いました。
    デジタルとアナログと聞いて...。無限の可能性を秘めている生命体であるアナログの人間は、、、今後、デジタルのAI(人工知能)に、いろいろな影響を受けていきそうですね。AIが癒しや介護する存在になったり、AIに仕事を奪われたり。遠くない未来をふと想像しちゃいました、。

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  5. こんばんは!
    レコードのジャケットは、大きくて置いておくと絵を飾ってるみたいでいいです。それも含めてデザインされてるからカッコイイですよね!

    究極のアナログはやっぱりライブでしょうか。その時間に行ってそこにいて、同じ空間にいて。そういうのは、どんなにデジタルが進んでも残るように思います。デジタルはアナログの濃密さを薄めた媒体かなー。なんて思ったりします。どっちも良さがありますが...
    今年の中尾さんも楽しむソルジャーで楽しみましょう!私も自分のワクワクを突き進みますよー!

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