2017年5月3日水曜日

Vol.206「加川良さん、伝道」の巻


桜散って新緑芽吹いて空気きれいで、花粉もだんだん感じなくなってきてこの時期は過ごしやすくて気持ちいいっすね。
一番過ごしやすい季節じゃないかしら、春の終わりと初夏の手前。
前にも書いたけんど、人の細胞も生まれ変わってるって、なんだか嬉しくなりますな。そんなことを実感できる新緑の季節、なるべく新緑の森などにいき新しい空気を吸っていたいもんです。いかがおすごしか。

先日、ツイッターをみていて、フォークシンガーの加川良さんが亡くなったと知った。僕は十代の頃に長渕剛をテレビで知ってから、音楽ってこんなことまで言っていいんだと、それまで聞いていたロックやポップスなどの音楽とは何かが違ったものを感じた。
それまではなにか気分が楽しく、テンションがあがってどこかへ連れて行ってくれるようなものが自分にとっての音楽で、最高だなと思ってた。そんな時に長渕剛の「ろくなもんじゃねぇ」をテレビで観て、初めて買ったレコード『LICENCE』の中の一曲、「LICENCE」を聞いて完全にやられた。音楽がそれまでよりも愛しく感じた。自分でも何かを吐き出したい、吐き出せるんじゃないだろうかと思わせてくれた。単純にテンションがあがるというよりか、体の奥から力が湧いた。何度も何度も聞いているうちに、長渕剛は何を聞いていたんだろうと思うようになって、吉田拓郎や友部正人などの日本のフォークシンガー達だと知り聞くようになった。フォークシンガーたちの歌は面白かった。ロックの人たちが背伸びして英語混じりの歌を歌っているのに比べて、歌のテーマ、立ち位置が等身大で日常から出てきているものでリアルだった。いろんな人たちがいて、それぞれがそれぞれの歌を歌っていた。四畳半からギター一本で恋人に、同士に、隣人に、国に、世界に、言葉とメロディー、それだけで発信してた。リアルタイムではないけど時代を超えて僕はそれを受け取った。60年代後半から70年代、自分はその時代の空気感を知らないけれど、そんなフォークシンガーたちの歌の中から感じとることができるのもおもしろかったし、人生や男らしさ、何が恥ずかしいことでかっこいいことかなどなどを学ぶことができた。簡単なコードを覚えてギターを弾けば、何をしてもうだつのあがらない自分の突破口のようにもおもえ、この世でこれしかないだろうってな武器を手に入れたような気分にもなった。

そんなフォークシンガーたちの中に加川良さんがいた。一語一句、一言を発するその声の中に祈りのようなものがこもってるようにおもった。ステレオから聞けばステレオの外に出てくる、テレビで見ればその外側にも届いてくるような一語一句。例えば「水」という言葉をうたう時、「みぃーずぅー」いや、うまく文面では説明できないけど、そんな歌い方にも惹かれたし、水や空気の中にも歌があること、一語一メロディーに宇宙を感じさせてくれた。自分の親父さんに風貌もどこかにているのも親近感が湧いた。CDを集めて、このアルバムではどんなことを言ってるんだろうと楽しみだった。有名なとこで言ったら「教訓1」だろか、それまでにこんな反戦歌は聞いたことがなかったし、いまだに聞いたことがない。
「命は一つ 人生は一回 だから命を捨てないようにね あわてるとついふらふらと 御国のためなのと言われるとね 青くなって しりごみなさい 逃げなさい 隠れなさい」これをニコニコと歌う。かとおもえば「戦争しましょう」などの一人の男の物語を、こちらもニコニコとうたう。戦後時間が経ってこれから日本が成長していく時代、いろんなエネルギーがぶつかりあってただろう時代、カレッジフォークなどのふんわりしたやさしい歌声を若者が響かせていた時代にいて、こういった強い歌たちは今となっては、出るべくして出た時代の曲だろうなともおもうけど、当時を想像すれば今より情報が少ない時代の一曲に対するエネルギーの集中、注目、は計り知れないものがあったんだろうなとおもう。

そんなフォークシンガー達の歴史をみると大まかに2つに分かれる。日本の音楽ビジネス界に乗っていった人たちと、乗らなかった人たち。乗りたかったけど乗れなかったのか、乗るつもりはなく乗っていたのかはわからないし、どちらがいいとか悪いではまったくなくて、そんなとこもおもしろい。僕はどちらの人たちも好きで影響をもらってきた。そしてその、どちらかと言えば加川良さんは乗らなかった方だとおもう。小さな歌小屋で歌って全国を回り歌い続けた。吉田拓郎がテレビで「ライバルは?」と質問されて、ちょっと考えて「加川良」と言った。続けて「加川良の作る歌に嫉妬していた」「彼は小さな場所で歌い続けていくことを選んで、自分は違う道を選んだ」的なことを言ってたのを聞いてなんだか嬉しかった。テレビに出て歌うことを嫌って、歌手がテレビで歌わない流れ、自作自演する歌手とテレビ歌手に線を引いたのが吉田拓郎で、それがまたカッコよく映っていた時代があったけど、そんな反体制的な姿勢の裏には加川良さんなどの別の道を選んだフォークシンガーたちの影響もあっただろうし、吉田拓郎もフォーク界やそこから派生したものを背負って体制的なものと戦っていたんじゃないだべかと勝手におもった。松山千春も、歌い始めたきっかけになったシンガーを聞かれて加川良さんだと言っていた。別の道を選んでも、最初にきっかけをもらった人のことを忘れず堂々と言っていてかっこいいなと嬉しくなった。

1970年のフォークジャンボリーにて、無名だった加川良さんが飛び入りで「教訓1」を歌って世に名を馳せるなど、先にも書いたけんど、その時代に加川良さんの曲達は大きな影響をあたえたんだなぁとおもう。ライブにも3回ほどだが足を運び、体感させてもらった。やはり言葉とメロディーがはみ出してきて気持ちよかった。一度新宿ロフトでのライブ出番を終えた加川良さんが、ロビーでお客さんと話してるのを聞いたことがあった。「いやいやいや、我々旅芸人は呼ばれたらどこでも行きますから、気軽に呼んでください、ギャラはちゃんともらいますけど がははっ」と低姿勢で明るく冗談交じりでの会話を聞いて、かっこいいなぁと、やっぱりフォークシンガーだなぁとおもった。時々思い出す声と姿勢だ。今の日本の音楽に多大な影響を与えていて、当の本人は全国を飛び回り歌い続けてた。自分がどれだけ影響をあたえたかなんてまるで興味がないように、曲は曲、今の自分は今の自分、風が吹くように歌い続けて曲を残していった。ツイッターで亡くなったことを知って、力がぬけて、どれだけ影響をもらっていたかを再確認した。聞き返すと十代の頃、ワクワクして力が湧いて突破口をもらった気持ちをおもいだす。「女の証」なんて曲は、そんな経験もないのに沁みて何度も何度も聞いてた。
加川良さんが高田渡さんの「あきらめ節」「生活の柄」を歌って、「どうしてこんな曲を渡さんは十代の頃に作れたんでしょうかねぇ、昔から歌わせてもらってますけど、30年くらい遅れてるんでしょうね。ようやく最近ですね、少しずつわかってきました」なんて言って歌ってるユーチューブをみた。僕にとっては良さんの「女の証」「伝道」とかだろか。「フォークソング=民謡=人から人に歌い継ぐもの」自分も影響をもらって、ほんとに、はしっこの方だけどフォークシンガーに憧れて歌いだしたもんとしては、こんなにすごい曲、いい曲があるんだぜって、加川良さんの歌を飛ばして繋いでいけたらなとおもう次第であります。よかったら聞いてみてくださいませ。と今月はこのへんで。よい初夏をっ。


札幌 気づけば二年ぶりって あっという間すぎにびつくり。今年はわけあってもう一度行きたいとこであります。

磯先輩と釣り仲間の豪ちゃんと。磯先輩は元板前さん。手つき鮮やかに磯にあるもので生造りしてくれました。

うまかったです。
んがみんな仲良く釣果ゼロ。
水温がまだ低いみたいですね。

シェルタ-の見慣れた時計、まじまじとみると中にインディアンみたいな人がいて お~ なんかかっちょいいなぁと改めてマジマジとみいる。 28日、みてみてください。

今年も桜きれいで、ふわりとなり。

桜散ったあとの新緑まぶしい

高校時代の相方、誠人より
癌になったと報告あり
こちらがまいってるとこに この写真
先制パンチかますように癌に立ち向かうスタートライン
すげぇなってやっぱり。

手術の日。なんも力になれんが念力は送れる。自分がおもうパワ-スポットより。



♦諭介がお答え致します



■「急に暖かくなってきました。諭介さんがここで、ちらほらと、と書いていた今年の東京の桜もそろそろおしまいです。こうして思うと、桜の季節って本当に短いですね。3月のブログに書けなかったあれこれをありがとうございました。ジブリの世界のような景色、微笑ましくキラキラと目に浮かびました。姪っ子ちゃんとの思い出もツアーの始まりに刺激をもらえたと思うし、旅立ちの季節に会うことができてよかったですね。そして、脱皮ブームの諭介さんの生まれ変わったかのようなこの度のヘアスタイル。かっこいいです。だけど髪型のこと言われ過ぎて「かっこいいとかかっこ悪いとかでやってるんじゃないんで」って、ちょっとかっこつけて言ってたのに思い出し笑い、おかげさまで面白い春です(笑)ツアーもライブも楽しみですね」
(by A.T 2017年4月17日 17:11)
→あ~そう生まれ変わりたい脱皮ブ-ムだね。とりいそぎ髪型で前向きになった部分あるけんど、まだまだ脱皮していきたいとこです。

■「もう4月も終わりですね。あっという間です。 ご実家での話やライブの話。中尾さんのきらきらっとした刺激を一緒に受けているように楽しく読みました(^^)ありがとう。 唐突ですが、中尾さんの夢ってなんですか? 先日年配の方から[あなたの夢はなに?]って聞かれてビックリして答えられませんでした。大人になるときかれなくなりますよね...(^^;)と思って質問してみました~ ライブまたお邪魔します(^^)/ 」
(by Yuka 2017年4月24日 2:12)
→とっても遠くな夢は海沿いの古民家なんかを改造してペンションをひらいてそこで釣りしてライブしてみたいな生活をおくることです。

■「春ですね。桜が開花するように、春になると自分の中にある変身願望も開花していくのかもしれませんね。 脱皮したかのようにイメージがガラリと変わった短髪の諭介さんも素敵ですよ」
(by 夕陽 2017年4月24日 20:12)
→どうもありがと。開花したね、でもまだまだ。

■「そんな心はきっとなくならないし、ずっと忘れないと思うよ、姪っ子ちゃん。 諭介さんの姪っ子ちゃんだからなんかそう思えるね。 わたしの故郷は東京。 キラキラした思い出、あるんだと思うけど、 なんかずっとのんびりできてないなー(のんびり見えるとおもうけど)って子どもの頃からおもってるから羨ましいなぁ。 おばあちゃんが一人でやってるおでん屋『おねえちゃん』もいいねっ! 故郷でフル充電できたのかな、二子玉川のライブがとっても印象的でした☆ そんないろいろ、諭介さん通していっぱい触れさせてもらって、肩の力が抜けたかも。 骨や細胞もだけど、心もちゃんと脱皮できるんだなぁ~って改めて思うのと、 スターがベジータに見えてしょうがない、そんな春本番です(笑) もーすぐインザスープワンマンショーだねっ! 楽しみにしてますっ(^^) 」
(by ゆな 2017年4月29日 19:34)
→ベジータって、ゆくゆくはクリリン目指してがんばります。