2016年8月31日水曜日

Vol.198「食欲の秋、ありがたやラーメン店」の巻

今日からすっかり涼しくなりまして夏も観念したか秋の風乾いてギターもよう鳴ってくれます。芸術の秋とはよく言ったもんで、演奏したい曲が次から次に浮かびます。ギター同様、きっと心も敏感になるんじゃなかろうか。

今年の夏は去年に比べると何にもないかもなとおもいつつ、来年から蝉の声に今年の夏のことが染み込まれるだろうなとおもう夏になった。ようやく熱を冷ますような風が吹いてくれて夏を浮き彫りにして整理運動をしているみたいな今日この頃、いかがおすごしか。敏感に空っぽを感じるからまた何か欲しがれるんでしょうね、秋。

芸術の秋ではあるけんど、今回は食欲の秋にスポットを当てて書きたいとおもいます。

前に立ち食いそばについて書いたけど、今回はあの街だったらここだね!ってラ-メン屋さんを紹介しながら、おもうことを書こうとおもいます。それではさっそく行きましょう、ラ-メンの旅へ、みんなで一緒に、せ~のっ、ズル、ズル!

(順不同)

※まず一軒目は赤坂にある「一点張」(味噌ラ-メン)
ここは20年前、弁当屋の配達をしていた時にその弁当屋の営業の人に連れて行ってもらって知った。はじめは言うほど美味しいかなぁとおもった。味噌ラ-メンというものをインスタント以外で食べたことがあまりなかったので他の店の味噌ラ-メンを食べた時に、なるほどあっちのほうがうまいかもしれないと、また食べに行ってからハマった。その時と店も改装されたけど入り口の重い扉も好きで、味噌の味にも重みを感じる。味噌の重みに日本酒的なものも感じる。ごはんがついてくるのも嬉しい。その営業の人はいろんな営業の仕事を転々としていると自慢気に明るく話してくれて、その時はそういうことを明るく話してくるなんて変わった人だなぁとおもったが、今となっては行くたびに、この店を教えてくれて感謝しております。

※次に下北沢の「一龍」(ニンニクそば)
同じく20年前に下北沢に住んでいた頃、暖簾に引かれてふらっと入った店。当時の自分はニンニクさえ入っていればなんでも美味く感じていて、栗がいけるんだったらニンニクだっていけるだろうとニンニクの炊き込みご飯を作り、塩をかけ食べてみれば、こりゃいいものを発明してしまった、誰かに教えなきゃと同じアパ-トに住んでたベ-スのKに「旨いもんを発明した」的なことを自慢気に言い、家に招き自信満々にできたニンニクご飯を出したところ、「え、ご飯だけ?」ってなリアクションに、いいからいいから食べてみればわかるからといった勢いですすめてみれば、苦笑いならぬ、苦笑食いをしていて、どうようまいやろ? な問いにも期待していたリアクションはかえってこなかった。その時に自分が最高だと思っても人にはそうでないこともあり得ることを知ったようにおもう。今はニンニクご飯を食べたいと思わない。その当時はそうとうひもじかったんだとおもう。気付かせてくれる友達はありがたい。
話はそれたけど、その頃から今も下北でラ-メンと言えばここしか行けない。移り変わりの激しい街で思い出の詰まった昔からある店はありがたい。

※次に渋谷は神泉にある「砦」(トンコツ)
一風堂から独立したという方が作ったラーメン。一風堂とはまったく別モノとしてとらえてる。食べたあとの皮膚にコラーゲン的なものを感じ、体に染み込む感じがする。替え玉と小さいご飯まで注文してしまう。 ※渋谷にある「唐そば」(トンコツ) 飛行機の中のテレビでドキュメントをやっていた。北九州で発祥したラーメン、年老いた店主の息子が親父から独立して東京進出するまでの物語。なかなかスープの味を親父さんから認めてもらえず開店ギリギリで合格をもらう物語に感動し、宮崎から東京に飛行機で着き、そのまま店に行った記憶。宣伝に素直にのっかり、いまだにその物語を思い出しながらいただく。となりのとなりに釣具屋があるのにも惹かれている。午前中からでも大盛りでいけるあっさりさ。おにぎりとつけ麺も好き。

※平塚にある「花水ラオシャン」(ワカメ)
ワカメというかなんというのか、玉ねぎと酸味、透明のスープが赤くなるほどラー油を落として食す。甘さと酸っぱさ辛さ、とにかく独特。植木屋で働いていた時に親方に連れてきてもらう。はじめはなんじゃこりゃだった。2回3回と行くうちにハマった。大盛りは顔を洗えるんじゃないだろかってな大きさでさすがにイナフ。我慢大会みたいになってしまうので注意。餃子もうまし!

※西麻布にある「赤のれん」(トンコツ)
18年ほど前にロケバスの運転手をしていた頃に、ロケバス屋の社長に教えてもらい知る。西麻布に行くと行ってしまう。数年前にカウンターで食べていると後ろのテーブルで聞き覚えのある声がしたので見てみたら、いいとも終わりのタモさんがスタッフらしき人たちと食べていた。やっぱりここは間違っていなかったとタモさんが何よりの調味料となって、それからより美味しく感じるようになった。タモさんが来てたんだもの。

※永福町「大勝軒」(醤油)
普通サイズが量多く、初めて行った時は食べきれなかった。ここもなんじゃこりゃ系。太ちぢれ麺。冷めないスープ。生卵をたのんでつけて食べる。合間に飲む水がうまい。

※銀座「はしご」(だんだん麺)
担々麺と書いてだんだん麺と読む。銀座に3〜4軒ある。裏切らない美味さ。 ここもご飯がついてきて米がうまい。水もうまい。定食屋にしても米がうまいというのはほんとにありがたい。水がうまいとおもうのも店に信頼が増す。水がうまいところは同じ製氷機から水を汲んでるようにおもう。3〜4軒あるうちの本店がやはり安心。

以上、自分の中の関東で行くならここのラーメン屋リストでした。

共通して言えるのは、この店でしか食べられない味。せっかくこの街に来たんだから行っとかなくちゃとなる店。あと自分的に店を出たあとの至福感。そのあと口に残る後味までおいしいか、体が喜ぶかというところであります。

内装やメニューが習字文字で書かれている、どこにでもあるようなトンコツラーメン屋などに間違って入ってしまうことがある。もうここには来るまいと思いながら、何年かしてまた行ってしまう店もあり後悔をしたりもする。そんな店では、こだわりをわざわざ細かく文字にして打ち出してるのも余計に感じ、また食べたあとに体も調子悪くなる。そんな経験をしながらやはり自分の中で生き残ってきたラーメン店達、ラーメンの作り方にも基本があるんでしょうが、その上、我流で独自のものを開発し、そこでしか味わえないものを提供してくれる、そして後味までがちゃんとうまい時に、一過性の美味さではなく、戦いぬいた本物の美味さを感じ、ありがたくおもいます。そんな店を出た時は口に広がる後味に、大袈裟でなく自分もそうおもってもらえる歌手でいたいと、そうあるべきだと改めておもわせてもらいます。

これ、好みも人それぞれで、個人的な思い出なども調味料として入っているので、お口にあいますかどうかわかりませんが、もし上に記した街にいくことがあったらば食べてみてくださいませ。また、あなたの中のラーメンならここというお店がありましたらぜひ思い出とともに教えてもらえたらとおもいます。それでは今月はこの辺で、ごちそうさまでした。インザスープワンマン、ジュテームまであと一ヶ月近くになってきました、10月6日は、この街でも昔から探していますがここというラーメン店を見つけられていない街、新宿のロフトで会いましょう。それでは。


7月末 釣り仲間の豪ちゃんと江ノ島へ 黒鯛は釣れず。サメの赤ちゃんを豪ちゃんが。
8月は何かとばたばたで釣りに行けず。月に一度は行きたいもんです。

驚く。早朝3時半でも江ノ島にはポケモン。ずっとポケモン。朝方から騒いでるもんで 住民の人には迷惑だろうな 立ち入り禁止とかなったらやばいなぁと。路上でうたうのもポケモンもやりたいことはできなくなるとこまるので気を使ってやろうね、とおもいながら
真っ暗の江ノ島一人はちょっと怖いのでたすかりもしたりして。 ってかせっかくの海だのに。

富士山のライブにて。

朝顔仲間の先輩と去年の種を交換し、朝顔先輩が咲かせてくれた去年の自分の朝顔。
キレイに咲かせてくれました。 ちなみに今年、自分は断念。

説友達の家に ドラム吉田くんとベ-ス K と集まりました。
イタズラ好きな吉田くんは 先に寝た友達の足の指の爪全部に顔を描いてました。

そんな吉田くんも一仕事終えた安心感からか描き終わるとすぐに寝ました。

すると樹液に集まるカブトムシのように ゴソゴソとKが何も言わずほふく前進でちかよっていき、 足に文字を描いていきました。 弱肉強食、ピラミッド型の生態系 などをおもいだしたました。

足だけにとどまらず、手にも描きはじめました。 とどまることをしりません。

芸術が爆発です。吉田くんの男らしい腕がもっとかっこよくなりました。
このあと 二人だけになり西部劇の一騎討ちのように お互い寝たらヤられると一時ピリピリしましたが、
お互いに平和条約を結び同時に寝ました。大学生みたいでおもしろかったです。
翌日吉田くんは誰よりも早く起きてお風呂に入って帰ってました。

番組のロケで山梨へ。ボクシングの試合を生ではじめてみて興奮しました。
ボクサーはリングに上がるまでにも減量という壮絶な戦いを経てきていて、
リングに上がって立ち向かう姿に痺れました。
高校生ボクサーが神々しくみえました。

この時期には蝉がよく落ちてきます。家の中にもよく入ってきます。
前までは誰かのうまれ変わりかなとおもってましたが、
落ちてきたり、迷いこんでくる蝉は大抵弱ってるので、
あまりそうはおもわなくなり、
ただ蝉が蝉を終えていくんだなぁとおもうようになりました。

♦独占企画 諭介がお答え致します

■「ギターも奥が深いですね。まわりにギターを持っている人がいないので詳しく違いとか聞いたことがなかったから読んでて面白かったです。 中尾さんとギター達にもいろんな思い入れと歴史があるんですね。 吉祥寺のライブで初めてJ-45の音を聞いた時、J-100とは音の響きが違うなって思いながら聞いてたら、そうか音がストレートに響くんだって気づいて納得。 これからも中尾さんとギター三者三様の音の旅を楽しみにしています」
(柿の種 2016年8月3日 0:27)
→ありがとう。まだまだこれから進化しますぜ、ギターのマイクを変えてみようとおもっとります。

■「諭介さんのギター遍歴面白かったです!私はライブを見るときにどちらかというと歌声や歌詞、表情だったりを重視してしまうので、正直ギターの音をそんなに気にしていませんでした。もしかしたら、新しいギターにも気付いてなかったかも、と言ったら、怒られてしまうのかな(笑)だけど、諭介さんのそれぞれのギターとの出会いと別れ、愛情や音の出し方などこだわりも知ってしまったので、これからはギターの音を聞いてみるという新たなライブの楽しみができました。私の好きなギターの音はどれだろう!そしてきっと諭介さんだけじゃなくて、他のミュージシャンの人達が持っているギターにも、それぞれにまつわる物語があるんでしょうね。カセットテープのラジオ番組のところ好きな話でした」
(A.T 2016年8月12日 17:08)
あんまりこだわりすぎるのもカッコわるいなとおもうんだけど、一個上を知ってしまったら欲しがっちゃうね。今までもそうだったけど、どうせなら自分の出したい音で歌や歌詞、メロデ-ィとからめて聞いてもらいたいものね。

■「諭介さんとギターの歴史、興味深く読ませていただきました。 私もギターを一本だけ、ちゃんとしたのじゃなくてオモチャみたいなのを持っているけど、独学でほとんど弾けないまま手を怪我して以来、全く弾いてないけど、いつかまたちゃんとしたのでチャレンジしてみたくなりました。 ギターの種類も音の違いも正直よく分からないけど、これからは諭介さんだけでなくギター君達にも注目しつつ旅について行きたいです」
(夕陽 2016年8月15日 10:34)
→うん、自分のタイミングがあるんだろね、同じコ-ドを弾いても響くときとそうでない時が。これからもギター共々よろしくどぇす。

2016年8月2日火曜日

Vol.197「J-45仲間入り記念、ギターと私遍歴」の巻

梅雨なのか、夏なのか、気温低く過ごしやすい毎日が続いておりますね、東京。夏はいろんな虫達に出くわして、いやーすごいな、気持ちわるいな、かわいいな、かっこいいな、信じられない形だなぁなどなど、本当にいろんなことを思わせてくれますね、虫って。「みんな違ってみんないい」金子みすずさんの言葉を思い出したりします。それに比べると人間、特に歌うたいなんかはそれぞれにもっと違っててもいいんじゃないかとさえおもいます。岡本太郎さんの言う「芸術は爆発だ」。音楽も芸術だとすると、もっと爆発しなくちゃなと思ったりもして、虫に負けてるなぁとおもう今日この頃、いかがおすごしか。

先日、ぼくはギターを購入した。というわけで前にも一度書いたかもしれないけど、新しい仲間が加わったということで今回は今一度整理すべく「ギターと私」的なギター遍歴を書きたいとおもいます。
記憶を辿れば幼稚園のころ、家にはオモチャのバンジョーがあって、ある日好きな女の子が家に遊びに来て、その子の前で弾くふりをしてカッコつけたことをなんとなく思い出します。
よく女の子にモテたいからバンドを始めたとか音楽を始めたなど始めたキッカケをそのように話す人たちがおりますが、え、だってみんなそうでしょ?的なその言葉を聞くたびに、そうかなぁ、自分は違う気がするなぁ、そんなことではなかったような、、と思っておりましたが、この幼稚園の時の感覚は、好きな女の子の前でカッコつける道具としてバンジョーを構えるなど、すでにもうモテたくてってのを実行してるわけですね。もれなく自分も「モテたくて」なんだなぁとおもいます。

次に中学だったか、親戚のおじさんがフォークギターを持っていて、Em(イーマイナー)というコードを教えてもらって弾いたことがあるも、なにかもうひとつビビっとこなくて、すぐあきらめました。Emが地味すぎたのでしょうか。弦も硬くて手が痛くなってやめました。

そしていよいよ高校1年の時、学校の中庭で友達にGのコードを教えてもらった時にやっとビビっときました。うわーすげーそれっぽい音が出てるわ、と。何度も弾いて次のコードを教えてもらい、長渕剛のとんぼの「うぉーうぉーおーおーおーおー」のとこが弾けるようになり感動し、学校のガットギターをそのまま家に連れて帰って家で弾き倒しました。これガットギターとフォークギターでは弦の作りが違っていて、ガットギターのほうが弦が柔らかいんですね。なんぼ弾いても痛くならないし、音が柔らかいので家の中でもそんなに騒音にならない。これで練習してなんぼかスムーズにコードチェンジができるようになってから、今度はおじさんのフォークギターを借りて弾けば、前にはわからなかった、フォークギターの響きのよさを感じてそれから指先の皮がべらべらむけるほど毎日弾いて、べらべらむけるほどになんか嬉しくて、指先が硬くなっていくのがうれしかった。右手の弾き方も友達に教えてもらったり編み出したりしながら、少しずつ弾けるようになって、ひとつ何かが身につく度に、自信満々になり、今思えば何もできていない段階だったろうけど、ここまできたらもう世に出てるミュージシャン達と大差ないな、あとは曲だな、自分を歌っていこうとなった。ほとんどのギター弾きがそうであるように、世間知らずにしても、自分にもできるとおもわせてくれるギターってありがたく、ほんとにすごいなぁとおもう。

次に高一の時に掃除の時間に草刈機で草を刈っていたら、あまり知らない同級生が前でふざけていてそのまま足をざっくり切ってしまい救急車が運動場にきて運ばれていき、自分は呆然としてあとでお見舞いにいった。そこから病院をぬけだしてお好み焼きを食べに行ったり、退院後は釣りに行ったりした。その友達が高2からは自衛隊にいくことになり文通をした。自衛隊での理不尽なつらさを知り、なんかできることはないかと家で自分のラジオ番組をカセットテープに吹き込んで作って送った。学校での出来事、夢、その友達が好きだった女の子のことなどをDJ風に喋って、「それじゃあ曲いこうか、長渕剛で“素顔”」なんて曲紹介をし、自分が弾き語りで歌ったりしてた。そんなことを繰り返してるとある日家にギターが届いた。その友達からだった。自衛隊でもらった給料で「これでがんばって」と僕にギターを買って送ってくれた。その当時長渕剛が使っていたのに似ているタカミネの黒いエレキアコースティックギター、略してエレアコだった。その黒光りに感動し、その友達の気持ちに感動して、そのギターを弾き倒し、上京してからも畑の真ん中で弾いたり、とくにバンドを組んでからデビューして間もないころまでを引っ張って行ってくれたギターだ。

次に上京してから、ここはひとつ今からの覚悟の一本が自分で欲しくなり、お金を貯めて神奈川の平塚から新宿は新大久保だったかのクロサワ楽器へ行って、モーリスのフォークギターらしいフォークギター、マイク内蔵ではないギターを買った。店員さんが強くお薦めしてしてきた。自分もフォークらしいギターだと気に入り買ったが、後日、路上で歌ってると知らないおじさんが「さすがマーチン、いい音するねぇ」と近づいてきてネックにあるメーカー名を見て「これモーリスじゃないか」と言い、なんですか偽モンですかと聞くと「偽モンってわけじゃないけど」と納得いかない様子でどっか行った。その頃ギターのメーカーのことなど何も知らなかったし、どうでもよかったんだが、だんだんそういうことを知っていき、何年か経ってそのおじさんが言っていたことがようやくわかった。マーチン社のロゴを真似してモーリス社が作ったギターだった。確かに偽モンってわけじゃないけど、知ってしまった以上、わかった時はなにかこうモヤっとした。あの店員さんの強い推薦はそういうことであったか、さすがに売れないもんで、上京したてで訛りの抜けない田舎もんにゴリ押ししたに違いないと。が、今となってはそんなことも逆に貴重に思え、上京した時の気持ちもつまってるこのギターが可愛くて、部屋に立てかけいつでも弾けるようにしてある。

次にエレキギター。In the Soupを組んですぐにエレキも必要になり、新大久保の中古屋さんに行きチャンドラーというあまり知られていないメーカーのエレキ、オレンジ色の見た目だけで買った。エレキギターを買って、自分はバンドマンになったんだなぁと実感が湧いた。演奏収録中に興奮してしまい、叩きつけて割ってしまったことを後悔している。

次にデビユーが決まった頃、ここは一発これからの覚悟も決めて一本と、新宿のクロサワ楽器でギブソンのSJ-200を買った。その頃にはメーカーのこともだいぶわかってきて、やっぱり自分にはギブソンだろうと、その中でも大きな、スーパージャンボ200。その時は店員さんがギタームツゴロウみたいな人だった。ギター愛が溢れているなぁと思ったのと、ほとんど見た目だけで購入。
でっかいから頑丈だろうと、ライブ中にボディーを叩いて音を出していたらバキッとボディーが割れて、ローンプラス修理費でとてもお金がかかった。

次にデビューしてから間もない頃、そんな、クロサワ楽器のギタームツゴロウさんのほうから、クロサワ楽器で開発制作したギターを使ってみないかと連絡があり、みせてくださいとライブ会場に持ってきてもらった。クロサワ楽器が作ったスタッフォードというメーカーの黒いギター。ムツゴロウさん曰く、「ギター内蔵のマイクにこだわっており、このマイクを求めて有名な方から発注があったが、ちゃんとしたミュージシャンの方に使ってもらいたくて」と言った。上京した時にマーチンモーリスを薦められた田舎モンが、ミュージシャンとして認められた瞬間だった。もちろんその言葉も嬉しかったが、見た目が一発で気に入り、その場でいただき、その後一番長く一緒に旅しているギターになった。

次にエレキギター。こちらも楽器メーカーの方から使ってみないかといただいたエレキギター、ナビゲーターというメーカーの赤いテレキャスター。ずっしりと重くて見た目も気に入った。エレキはそれからこれ一本。先日リペアに出してパワーアップ。

次に2年前に、札幌で一人ワンマンをするべく購入したギブソンJ-100。このあたりから自分が出したい音がはっきりしてきて、見た目と合わせて音もこんな感じがいいなって思いが強くなってきた。何軒もギター屋さんを周り、何日もかけてやっと購入。深くてでっかい音がする。

そして今回のギブソンJ-45。ギブソンの中では定番のJ-45だけど、これもまたちょっと違う。
クロサワ楽器と三木楽器が共同で、今までのギブソンJ-45のいいとこを組み合わせて設計し、それをギブソン社に持って行きコラボレーションして制作された限定100本のギター。日本人の手が入っているのもいい。
まず楽器屋に行き、その見た目に惚れ、かっちょいいですねーと試奏させてもらうべく店員さんがチューニングをして、僕に渡してくれる前にジャランと弾いた。その音がバイクのエンジンのように聞こえて風が吹いたみたいになった。やべぇなとおもった。自分で弾いてもやっぱりいい。うっわーとおもった。でもまだ買おうとはおもっていなかった。
 年前に買ったJ-100は見た目も音も好みなのだが、バーンって弾いた時にドーン!って鳴るイメージ、深くてでかい。が、使っていてバーン!と弾いた時にバーン!って鳴るギターが欲しいとおもっていたときに、このJ-45出会った。時間があるとその楽器屋さんにいき、試奏させてもらっていた。家に帰るとまるで恋したように思い出す。あの鳴りが欲しいとなった。なったが毎回、いや忘れようとした。が、時間がたつとまた楽器屋さんへ行き試奏させてもらっていた。そんなある日、毎回試奏させてくれる店員さんが「中尾さん、このギターの試奏回数最多ですよ」と言ってきて、その日は弦も張りたてとのことでさらによく鳴っていて、「ですよねぇ」と言って、ここまで何回も忘れようとして来ちゃうってのは、やっぱりそういうことかもなぁと思って買うことを決めた。

そしてやはり、買ってよかった。一人でスタジオに入り、ただただかき鳴らす。バイクに乗ってるみたいになる。なんなんだろうか、やみつきになる。延々どこまでもいけそうになる。ちょっといけないなとおもうのは、ライブのための練習で入ってるのに歌わずにずっと弾いてしまう。例えば曲作りでもただただ弾いちゃうってことになるんじゃないかというところ。ギブソンは音がじゃじゃ馬だとよくいうけど、定番のJ-45を弾いてみてようやくわかった。じゃじゃ馬だけに手なずけるのが難しく、またやみつきになる。6本の弦がまとまってバン!と前に出て、それでいてはみ出していて無限な感じ。それを手なずけて、もっと歌を乗せて走れるように、曲をつれてくるようにならないといけないなとおもうも、ようやく出会った感があり、何度も迷ったけど買ってよかった。

が、ライブで使うとなるとアコギはなかなか難しい。ギター本体の鳴りに加えて、ライブハウスなどで弾く場合は電気を通すためにギターにマイクを内蔵させる。そのマイクとも相性がよくないといけなかったり。会場の空間、機材、弾く曲などによってかわってくるので、これからも、スタッフォードとJ-100、そしてこのJ-45をその時々に応じて使い分けていけたらと、そしてこれからも自分とこのギター達の旅を、どうぞ見守っていただけたらとおもう次第です。
と、今月は長くなってしまったのでこの辺で。



ナナフシ。
昆虫にはほんとうにびつくりさせられる。
枝になったらばれにくいだろう
よし なっちまおうって実行力。
いまも聞こえるセミの声。
あの体であの大音量。
カッチン虫のジャンプ力。
人間に置き換えると想像を越えてる。 

お-い
って甥っ子と岡本太郎美術館へ。
芸術は爆発だ-ってギャグで聞いていたけど
真剣さが通り越してギャグに聞こえてたんですね。

コ-ラはこの缶のこのサイズが一番いいとおもうのは自分だけでしょうか。

広尾で見つけたツリーハウス。
いつか作りたい。

いい切り株を見ると
ながめて 座って 立って
木の続きをやりたくなる
パワ-をもらう。

同期のワンマンに刺激もらった。

フジロック帰りのステレオフォニックにも
刺激をもらった

そしてこちらが J-45 かっこいい

磯で疲れ果て寝る私

とかいいながら

自撮り

こちらがスタッフォ-ド
なんだ J45と変わらないじゃないかとお思いかもしれませんが
それもそのはず
クロサワ楽器がJ45をモデルにつくったんですね

もう一回 J45
見た目的にあの白い部分の形と色がちがいますね
あとネックの部分が細いのも特徴です。

そして J-100
深い音はこれが一番。

そしてクロサワ楽器と三木楽器がこだわったというところの1つ
ネックからヘッドのところが曲がっているのがわかるでしょうか
ここの角度が14度 今のギブソンは17度が基本らしいですが
昔は14度 これを作ってもらうのにギブソンの工場の機械を調整し直して作ってもらったとか。
自分的にそこの違いがわかるかと言われたらわかりませんが、
14度のほうが角度がないぶん張りが弱まって柔らかい音になるんじゃないかとおもいました。
あと弦もきれにくくなるんじゃないかとも。

で これがマ-チンの字体でモ-リスギター
いいんです。 やっと出会ったJ45とか言ってますが、
こだわりすぎずにどんなギターでも自分が弾けば世界一の音色。
そんな気持ちは大事な気がします。

母と甥っ子。



♦独占企画 諭介がお答え致します



■「時が経つのを早く感じるのは、慣れてしまって、1つ1つの出来事に心が動かないからなんだそうです。例えば、小学生の頃は何もかもが新しくて、挑戦したり驚いたり。ドキドキした体験が多いと1年が長く感じるんだそうで、ああ確かに子供の頃の1年は長かったーと、そんな話をテレビで見て納得しながらも、いろいろ覚えて慣れていくから、大人になれるのに、大人になると時間が短く感じるなんて、なんだか損してるなと思ったんですよね。でも、ゴミ拾いの少年は大人になってもきっとこんなこと思わなさそうですよね。私も損だ得だなんて思わず、自分のゴミも人の気持ちもこぼさないよう見習わなくてはと思いました。今は次のライブの日をドキドキしながら待っています。長く感じます(笑) 」 (A.T 2016年7月5日 17:19)
→なはっ。いつも新しいドキドキのライブをもっともっとしたくなるわ、ありがとう。ドキドキして待っててちょうだい。

■「早朝の繁華街のゴミの山はびっくり・・・というか嫌な気持ちになりますね。 私は道端にゴミを捨てる人が嫌いです。それが好きな人だったらちょっと幻滅します。学生時代にお世話になった先生が道を歩いてた時に、信号待ちをしていた車の中からそのドライバーが窓からポイっとタバコの吸い殻を捨てたのを見つけて、先生はそれを拾って車内に「落し物ですよー。」と投げ入れたそうです。自分がポイ捨てをしないのは当然だとしても他人に注意ってなかなかできないものだからそんな先生をかっこいいなーって思いました。そして私も注意はできなくとも自分のはもちろん、他人のも拾えるようにしていきたいです」 (夕陽 016年7月24日 10:30)
→素敵っ。おんなじこと頭の中でシュミレ-ションするけど実際にしたことないな-。素敵な先生や。

■「中尾さん、こんにちは。ヘベレケ方々の世代の違いで街の雰囲気は変わるのですなぁ。渋谷は只今若者世代の街なんですね。中尾氏と同世代だからかもしれませんが、やはり同じような心の声を感じます。(現在はどうかな、約10年前の早朝の渋谷は、冬は男女一緒に駅へ向かって歩いているのですが、夏は男女別れてるんです。女は道を歩いて男は道端に座っている景色が印象深かったです。) ゴミ、。よい話をお伺いしました。ゴミをポイ捨てない人間を心がけよう。ゴミを拾う心を養います。 いいね!中尾氏の想い。を胸に音楽がんばってください。ジュテーム楽しみです。 P.S. 東京でカエルの声を聞きますか?」 (たかの 2016年7月28日 10:35)
→へ-、季節によっても違うのか、おもろい観察眼や。スモークって映画にあったみたいに毎日同じ場所で同じ時間に街角の風景を撮っていったらおもしろそうやね。 カエルの声は聞かないね~雨の日の下北なんかで道の真ん中に大きなガマガエルをよくみたりしたけどね。下北や渋谷はもともと川が流れてたり、湿地帯だったりした頃のなごりが地下にあるみたいね。