2015年4月29日水曜日

Vol.182 「2015年4月、駆け抜けること師走の如し」の巻



ようやく暖かくなってきて、週間天気予報の気温に20度あたりが並び、なんだか嬉し。この頃では花粉も感じないし過ごしやすくありがたや、ありがたや、であります。んが、どこかもう、今年も4ヶ月が経ったかと、あっという間を実感したりもしてる今日この頃、いかがお過ごしか。

2015年4月、駆け抜けること師走の如し。次々と刺激的なこと、感動したこと、びっくらこいたことなどがあったので、今回はあっという間の4月を振り返ろうとおもうっす。

3月末から4月の4日まで実家の行事があり、春休みと称し帰郷。高校までを過ごした宮崎県は延岡市へ。天気がよければ日向ぼっこなどをしてぼーっとできたらとも考えていたけれど、滞在中のほとんどが曇りか雨でありました。行事に行くと色んな親戚と会い、自分がここにいる繋がりと時の流れを再確認。姪っ子2人も「痩せなくちゃ」なんて言ってお年頃になっていた。ご飯食べにいこっかと誘ってラーメン屋に行き、ためしに「餃子もついたセットもあるよ」とすすめてみると「じゃ、それっ」と即答したもんで「あれ、痩せたいんじゃなかったの」と意地悪く聞くと「うん、これ食べてからにするわ」とちょっと困ったような笑顔がおもしろい。「いやーよく食べたね」と食後、食べた分痩せるべくバッティングセンターに行く。行くとロビーにアイスの自動販売機があったもので、ためしに「おっアイスあるじゃん、食べる?」と聞くと「いるっ」とこれも即答したので「食べるんかい!」と突っ込むと「いいの、いいの」と美味しそうに召し上がられておりました。他にも犬の散歩や近所の川に釣りに行ったりと、叔父につきあってくれ遊んでもろた。
そう、翌日は一人で同じ川に傘をさして釣りに行った。なんせ歩いて5分くらいなもんで、満潮干潮を調べてちょうどいい時間に1時間ほどぱっといけるのがいい。歌にもしている祝子川とはまた別の川で、大きな川だ。ゆっくりと静かな流れに仕掛けを投げると、向こうのほうで仕掛けが川面を叩きポチョンと音をたてる。その音と、小雨が川面を叩く音だけが聞こえる。山が遠くにどっしりかまえていて、赤と白のでっかい煙突、そして鉛色の空が広い。山や川や空の大きな流れをその静けさの中で感じる。ほんの少し、なんだか怖さも感じるような、なんと言うかちっぽけ感のようなもの、心の元々の所、散らばってたもつれがほどけてくような気持ちにもなる。仕掛けを投げた後は竿をテトラポットに置いて、傘をさして竿先だけをみる。音のない中、細い糸を伝って川の中の魚と交信、投げて一時すると竿先がコンコンコンと小さく上下し魚からのアタリがくる。この瞬間が好きで釣りをやってるようなものだ。小さなコンコンコンくらいではまだ竿を持たないようにして、竿先に集中する。魚も警戒して食べているので、チビチビとエサをつついて様子をみる。そこそこの大きな魚だったら、ここで待っていると一気に竿先がグィンと曲がる。その時、口に針が引っかかるように竿を持って勢いよく後ろに引く。その一気にグィンを期待して待つ。

「コンコンコン、きたっ、コンコン、まだまだ、コンコンコン、さぁ一気にこい、グィン! よっしゃあ! 竿を後ろにグィン! かかった!」と、後は魚との綱引き、糸を伝ってくる魚の動き、強さを楽しむ。と、これが理想なのだが中々そうはいかず、「コンコンコン、きたっ、コンコン、まだまだ、シーン…」がほとんどだ。仕掛けをあげてみるとエサはとられている。小さな魚が針よりも小さな口でチビチビ完食したのだろう。またエサをつけて投げる。これを繰り返しエサ盗りの小魚をかき分けて、でっかい魚が現れるのを待つ。どうにかその日一尾のキビレチヌを釣った。キビレチヌとはチヌの仲間で、ヒレが少し黄色がかっており食べるとおいしいとされている。実際おいしい。またチヌとは別名クロダイと言って、名の通り黒いタイのこと。赤いタイとは違い海から河口、そして川にも上ってくるし、カラス貝など固いものでもバリバリ食べる回遊魚。ギラギラしている。どこそこに行きなんでも食らう、おまけに鎧のような銀色のフォルムがかっこいい。野良犬のような特性とフォルムに惚れて30年ほどか。いつか釣り上げるだろう大きなクロダイは、今頃どのあたりをのっそりと泳いでいるだろうかと想像するだけで、長いこと釣りをできない暮らしが続いても心が落ち着き、そしてワクワクする。と書いて、話を戻したいのだが、このブロックの冒頭に「そう」と書いたが、その「そう」はこのキビレチヌを釣った後の話であるし、また、その「そう」の前の前のブロックで書いた「びっくらこいたこと」と言うのもこの後の話であったが、思いのほか釣り描写とチヌの説明が長くなってしまったのでここで一旦、ブログのほう、「川の水面」という題の回を読んでいただきタイ。

読んでいただいただろうか。もしくは思い出していただいただろうか。 そう、エイが出てびっくりしたのだった。

このままいくと、4月にあったことを書くといいながら延岡滞在記というか釣り日記に終わりかねないので、釣りのことはまたいつの日か。

そう、その他にも延岡では友達と集まって飲んだり、バーバーの友達に髪をバッサリ切ってもらって心前向き丸裸にしてもらったり、新聞に載せてもらったり、その他にも色々とあり、田舎に帰って充電なんてことをよく聞くけんど、やっぱりそのような効果はあるようで東京に戻る道中もやったるでーと自然と思い、帰宅してすぐに、忘れちゃいけないことをさっとメモできるように設置してあるホワイトボードへ「がんばるぞ」なんて書いていたりと、思い出すこともたくさんあり、力をもらって、やっぱり帰ってよかった春休みとなった。

東京戻り翌日はkと打ち合わせやら曲だし会を遂行。 漫遊記のことなどもあれこれと話し合い。お互いの近況なども話し合い。バカ話し合い。

それから、藤沼さん・大島さん・曽我っちとの一夜限りのバンド「ONE NIGHT STAND」に向けての全員リハーサル。そのリハーサルまでに曲をまとめたり練習したり。その間にTVの部活応援番組「しゃかりき」のロケ。今まではスタッフさん達が取材してきてくれたVTRをスタジオで観ていることがほとんどだったが、最近は実際に自分が部活を取材、現場に行って部活を見させてもらったり、体験させてもらったり。現場に行き直接キラキラした目に会いにいくと、ロケの帰りに清々しい気分になる。刺激や筋肉痛ももらい、いい番組に関わらせてもらっているなぁと実感するこの頃だ。

そして「ONE NIGHT STAND」バンドのリハ。贅沢にもライブ当日の会場にて、いきなり本番さながらのリハ。じゃあ新曲をやってみますかとワンツースリー!でバーンと一発でいきなり出来上がり。
その迫力に負けじと一発目で声ガラガラ。なんとか持ち直しリハ終了。帰りに音に打たれた心地よさと、はっきりした自分の足らない部分を実感。 個人練習に入ったり、曲をまとめたり、番組の収録、ロケ、インザスープ15周年漫遊記の事務的なこと、その他にもいくつか仕事をして、この頃、頭のチャンネルがもっとあったらいいのにとよく思う。いつでも同じだと思っているけど使ってる脳みそが違ってたりするんだろうなと、それもまた、脳が刺激されて楽しい。

「ONE NIGHT STAND」本番前日リハ。昼12から夕方6時までのリハをやりきり、自信満々にて翌日へ。本番当日、おかげさまで大成功。決まった時からプレッシャーではあったけど、その分何か一つ乗り越えた時の気持ちよさも大きい。ライブを観て痺れ、かっちょいい!とおもった人達と一緒にやらせてもらって、またかっちょいい!と痺れて、本当にいい音経験をさせてもらいました。もらったものはこれからの音、歌に出てくるだろなとおもいます。スタッフを含め先輩達、足を運んでくれたみんなにここで改めて感謝であります。

そして、その翌日はボクシング部にいきロケ、選手達のまっすぐな目の鋭さに見入った。

その後日、中尾と草場にて2デイズライブを遂行し、どうにか漫遊記の第一弾をようやく発表。

そして昨日は朝5時からのライブのためのリハーサルを夜中の12時半から。久々の深夜リハにて新鮮。

そして明日、横浜にて、久々に絵描きのキンさんと二人で、話と絵と歌のイベント。何をするのかどんどんとその場で変わっていくんだろうな。明日もおもろい日になりそうであります。

その翌日はしゃかりき収録

その翌日は朝5時からのライブ

30日は千葉の稲毛にてライブ

と最後はただのメモか日記のようになってしまいましたが、いろんな景色が見れておもろい経験をさせてもらっているなぁとおもう2015年4月、駆け抜けること師走の如し、まだまだ、また明日も目一杯楽しんで栄養にしたろうとおもいます。 エイエイ オー!であります。




いつの間にか名前が変わってた宮崎空港

行事

甥っ子

姪っこ

フグ膨らむ ぎ-ぎ-と鳴く

結ぶ。糸に針をうまく結べると 気持ちいい。

竿先がコンコンくるのを待つ。

竿持って小道を抜けて。

漁師の人がくれた石鯛。 クロダイと同じくいつか釣りたい魚。かっちょいい。

友達くれた宮崎にしかないというタレ 餃子にも サラダにも 万能タレ うまし。

顔だすやつ。友達が書いたなっちゃん。延岡きたときはぜひ

駅近くの喫茶店 東京戻る前に寄る
しょっちゅう来てたわけではないけど
ここで シオンがライブハウス ロフトで歌う写真が週刊誌に載っていたのを思い出す。
ライブハウスがなかった延岡で白と黒のステ-ジに想いを馳せたのを思い出す。
ここがロフトってとこか- へ- と。一枚の写真だけでいろいろおもった。

そんで東京もどり
それこそその時期のロフトを知る先輩方と吉祥寺GBにてドカン!

春真っ盛り

さすが多用途のウルトラボンド。フタも開かなくなり。

で、これがその時書いたホワイトボ-ド
がんばるそ- にみえるけど
がんばるぞ- ですね
やれることは限られてるとは言え、年がいもなく売れたいとおもった。



♦独占企画 諭介がお答え致します

■「桜の花はきれいですし、別れや出会いの季節に咲く特別な花という気がします。 爺さんといえば、私は先日、平和資料館に祖父の従軍日記を寄贈してきました。資料館の展望台からは、埼玉なのにスカイツリーまで見えて、祖父の遺品が眠る場所としては最適だと思いました。行く途中菜の花がとても綺麗でした。 子どもの頃、祖父のところに遊びに行くと必ず頭を叩かれましたが、痛かったです。 祖父の記憶・戦争の記憶は、私たち孫世代が伝えていかなければ、風化してしまうような気がして怖いです。 ちなみに3月、久しぶりに諭介さんのライブに行こうかと、予約もし、プレゼントしようと駅そばの本まで用意していたの(笑)に、まだ夜、都内に遊びに行くほど、体調は良くなってはいませんでした。でも、シェルターのチケットは買いました。行けたらいいなあ、と思っています」 (2015年4月4日 13:20 by.みぃ)
→そば!いやほんとよね、我々祖父などから話聞けて、体験してなくても実感できたけど、話も聞けなくなったらその実感てどんどん薄まるものなのかもしれないね。そうやって繰り返してしまうものなのかもなぁともおもってしまうわ。

■「こんばんは。桜の季節はあっという間ですね、これから緑の濃さを感じる季節がきますね。 以前職場の同僚が、人は死ぬ間際まで耳は聞こえていて意識がないようにみえても最後の最後まで耳だけは聞こえているんだよって話をしていて、やっぱりそうなんだと納得したことがあります。随分前になりますが祖母が危篤になり帰省したときに「帰ってきたよ。」って耳元で話したけど全然反応がなく1週間ほど意識がない状態が続き、仕事のこともあり東京に戻ってきて、その日の夜に家に電話したら、祖母が奇跡的に意識を取り戻していて電話口で「戻ってきたんじゃないの?」って言われたとき、ちゃんとあの時、聞こえてたんだという気持ちとあと1日家にいればちゃんと顔をみて会話ができたのにという後悔。 中尾さんのおじいちゃんもきっと中尾さんの声が聞こえて会いにきてくれたことが嬉しかったんでしょうね。会話が出来る状態じゃなかったとしても笑顔が答えなんでしょうね」 (2015年4月5日 22:55 by.柿の種)
→聞こえてるんだろうね。周りの人たちも「じいちゃんはずっと気にしてたのよ」的なこと教えてくれたしね。ずっと一緒にいたわけじゃないけど、確実に血をもらってるからね。嬉しかったのよね。

■「私も桜には諭介さんみたいにこれといった具体的な思い出があるわけじゃないけど、“春だぜ!イェーイ!”とは思えないどこかもの哀しいイメージがあります。 人間じゃないんだけど昔、母が飼っていた猫が、もう衰弱して動けなくなった時に学校から帰ってきた母の顔をジッと見て、「ニャー」とひと鳴きして息を引き取ったそうです。それはまるで母の帰りを待っていたようだったと。 きっと諭介さんのお祖父さんも嬉しかったんでしょうね。ずっと会えなくてもこころのどっかにいつもいて、なんとなく一番の心残りだったのかもしれませんね。 生命が消えようとしているその瞬間、最後の力を振り絞って何かを伝えようとする。桜吹雪が美しいのもそれぞれの思い描く記憶を伝えようとしているのかもしれませんね」 (2015年4月19日 11:05 by.夕陽)
→すごいね、ほんとにそんな笑顔だったよ、はじめてみる力強い笑顔だったのよね。

■「諭介さんの桜の記憶。初めて聞くお爺さんの話、楽しい話ではないのに胸の奥に桜が咲くような感じもしました。会えてよかったです。4月に入ってすぐ「桜っていうのは、一瞬に咲いて散っていく、本当に潔い花ですよね」タクシーの運転手さんが話しかけてきて「私なんかはあと何回見られるかなって、自然と人生を重ねてしまう花ですね」って言ってました。諭介さんのコラムを読んだばかりだったので、何かこの運転手さんにもずっと忘れない桜の記憶があるのかななんて、普段よりちょっと優しく聞いちゃいました。出会いや別れの多いこの季節に咲く花というのも人生を重ねてしまう理由なのかもしれないですね。そして、歳を重ねるごとに、もうちょと待ってって思いも強くなりそうな気もしてます。そういえば、私が思い出した桜の記憶も楽しいとか嬉しいってものではないんですけど、やっぱりそこには一緒に思い出す誰かがいるんですよね。来年もまた記憶と一緒に会える、そういう花でもあるのかな」 (2015年4月20日 1:47 by.A.T)
→人生を重ねるってあるかもね、子供の頃は感じなかった気持ちあるからね、なんどもいろんなことを知らされて、大袈裟かもだけど人の一生を彩ってくれてる気もするわ。