2015年12月27日日曜日

V0l.190「ありがとう2015、本命狙いで2016!」の巻

今年もあれよあれよと12月になり、もう12月かぁ、なんて言っていたらあっと言う間に月末で、年末で2016年がもうそこまで来てる。明日27日に今年最後のライブを終えたらあとは大掃除で2015年も終了だ。本当に年いくごとに一年があっちゅうまですな。寒暖差激しめな今日この頃、いかがおすごしか。

今年はなんと言ってもデビュー15周年記念全国15箇所ツアー、全国を旅して歌い、待っていてくれたみんなに会いに行ったこと、一つのライブを遂行するのにたくさんの人の力を借り、お世話になったこと、15年の景色を見れて、支えや温もりを感じた年となりました。

そのほかにはギブソンとの出会い、札幌での初一人ワンマン、アフターミーの長田さんたちとの「桃月セミヌード」や藤沼さん達との「ワンナイトスタンド」早朝ライブやtvk収穫祭、キンシオタニ氏とのイベント、ツンタさんの「歌をつづる」や毎月恒例K主催の「頑張ってるぜ」、龍之介氏との「15周年合同祝賀会」、「ミレニアム4」や「白鶴 HAPPYアワー!」「立川イルミネーションライブ」はたまたショッピングモールや祭り、いろんなライブハウスでも歌わせてもらった。もしも歌っていなかったら出会わなかっただろう人や景色、熱に出会えた。いつか2015年を思い出す時にすぐに思い出せそうな出来事、思い出がたくさんの歌旅年になったなぁとちょっと振り返ったりしたりしてみたりして。高校の中庭や部屋の中でかき鳴らしてたあの頃、畑の真ん中や路上で無我夢中でかき鳴らしてたあの頃の自分には想像もつかないだろう歌旅の年となりました。 各会場で力を貸してくれたみなさん、各箇所にて会いに来てくれたみんなに感謝です。ほんとうにありがとう。

歌の旅以外でも、自動車免許を取りにいった数日間も刺激的だったし、tvk部活応援プロジェクトしゃかりきも2年も参加させてもらってるにも関わらずカメラが回ると相変わらず緊張してしまいてんやわんやで落ち着けないものかとも思いますが、楽しく出演させてもらいました。

で、これはここ最近のことなんですが、興味のない方には本当に「えーまた〜」というような話かもしれませんが、年に何度か風邪をひくようなものなのか、釣り熱が、ここにきて上がってしまいどうにもなりません。釣りに行ってる場合かと、薬を買うように磯場の本を買って熱を冷まそうとおもうも、逆に熱が上がってしまい12月に入り2度ほど釣行決行となりました。以下その時のことを書こうとおもいます。

本を読んでいたらば、「なぬっ江ノ島でクロダイが釣れるのか」となって時間さえあれば釣り具屋へ行き仕掛けを買って夢ふくらましていざ、釣行。1度目は江ノ島の表磯の、それほど歩かなくても入れる磯へ。結果クロダイは釣れなかったのですが、タコが釣れました。クロダイ狙いでトウモロコシを3粒ほど針に付け、底のほうを狙うとウキがゆっくりと沈んでいき、合わせてみると重く、根掛かりしてしまったかとおもうもゆっくり引きあがってくるのであげてみるとタコ。一人磯にて「うわー!」なんつって針を外しにかかるも、なんともくねくねしているうえに目が合ってしまい、その目がまた、確実になにか意思をもった目をしていて一瞬ひるむも隙をみて針外し成功、これは食べれるのかどうなのか、いやどちらにしてもあの目を見てしまったらどうにも捌くことはできなさそうだしこのまま逃がそうと、磯の上をぐねぐねとタコは自力で海へ向かうのでした。すると、後ろから「にいちゃん、タコ逃がしちゃうのかい」と地元の方であろう石鯛釣り師達の一人が言ってくるので「はい」と自分、「じゃあくれよ」「いいですよどうぞ」と交渉成立。石鯛釣り師の方はタコに近寄り人差し指と中指をタコの頭部分の下にグイっと入れ込んで持ち上げ、頭上に高くかまえたかとおもうと思い切りタコを磯に叩きつけて〆はじめました。一瞬、ギャっとおもいましたが海の男たるものこの位のことでひるんではいけないと自分の釣りを再開し竿を出す。なかなかタコもしぶといようで背中ごしに叩きつけられるタコの音を聞き、むごいっとおもってしまうも、石鯛釣り師がその日夜の食料を仕留めるために命と向き合ってると思えばたくましいとも思えなくもない。自分が都会暮らしで弱ってるのかもしれないなともおもい、タコよ美味しく食べられてくれと心の中で別れを告げ釣りに専念した。途中、先に帰るというその石鯛師が「いただきます」とわざわざ近寄ってきて丁寧にお礼を伝えて帰って行った。他の石鯛師からも「タコやったな!」と言われていて少しおしいことをしたかとよぎる。いやいや自分はクロダイを釣りにきたんだと専念するも、自分も餌がなくなり衲竿。 しばし磯の上でおにぎりを食べたりぼーっとしていると、他の石鯛師が話しかけてきて、さっきのタコは美味しいんだよ、とか、あの場所が釣れるとか、こないだはあそこでクロダイがあがった、餌は何で、などなど江ノ島クロダイ情報をたくさん教えてくれた。そろそろ帰るかと挨拶「たくさん情報を教えてくれてありがとうございました」と告げると「いやいや兄ちゃん、仲間にタコくれたからっ」と夕焼けに染まる笑顔が素敵だった。

この情報を聞き、いてもたってもおられずさらに熱が上がり、二度目の釣行。今度は江ノ島の裏磯へ。これ江ノ島の山を越えて行くのだが、撒き餌やクーラーボックスなど、荷物が重く、すぐに汗だくになり翌日筋肉痛になるほどであった。30分かけ山を越え磯に入る。江ノ島の磯は釣り人多く早朝日の出の時間でもたくさんの釣り師が磯にあがっていた。カゴ釣り師、石鯛師、ルアー、タコ釣り師、自分のようなフカセ釣りでクロダイ、メジナを狙う人。磯によって釣り方があるようで、新参者の自分は地元の人の邪魔にならない磯を選び、竿を伸ばす。どこでもそうだが、磯によって地元の人がつけた名前がついているのもおもしろい。自分が入った磯には「くっつきバカ」という名前がついていてしっくりくる。結果ここでもクロダイは釣れなかったが、メジナ、ウミタナゴ、ベラなどの餌取りとたわむれた。途中、となりにおじいさんがやってきて、ニコニコしながら話しかけてくる「いや〜どーせ今日も釣れないんだろうけどな、せっかく餌買ったからよ」など言いながら竿を伸ばし仕掛けを投入、その一発目で二枚のカワハギを一気に釣り上げていてビックリ、二発目の投入では竿がぐにゃりと曲がるほどのでかいカワハギ、自分がタモ係となって取り込む。「いやーこんなこともあるんだなぁ」「かあちゃんが喜ぶぞこりゃ」と嬉しそう。すごいっすね!と自分もテンションがあがる。「もう84だよ、毎日来てんだから、健康のためにも山越えてね」とその若々しさにもビックリ。荷物がなくても息あがりそうな山道を荷物をもって毎日来てると言うからすごい。おじいさんは潮のいい時間に来て三枚のカワハギを釣り上げ、潮が変わりはじめると帰っていった。その無駄のなさとひょうひょうと釣り上げる感じがまたかっちょよかった。

また、横でカワハギが釣れるからと自分もカワハギ用の仕掛けにしてしまおうかともおもったが、自分には自分の狙う魚がいて自分なりの仕掛けがある。あんまり釣れないと「狙った獲物を釣り上げてやる」じゃなくて、「何でもいいから釣れてくれ」となってくる。釣りの世界では本命と外道という言葉がある。自分がクロダイを狙っている時に真鯛やカワハギが釣れたとしても、そりゃ嬉しいだろうが、それはそれ、真鯛やカワハギは外道になる。本命はクロダイだ。

結果、自分は持ち帰って食べるほどの獲物にはありつけなかったが、汗だくで山を越え、潮風にあたり、波の音の中であぁじぁないこうじゃないと仕掛けを微調整したり、遠くを眺めたり、地元の人の話を聞いたりと、クロダイを追うためだけの1日。悔しさもあるが、空っぽになって満タン、そんな1日の疲労感が心地よかった。これ以上通ってはハマりすぎだなと今年の釣り納めとした。

と、そんな2015年末、ここにきての釣り熱はこんな感じでありました。心の洗濯と言えばよく言い過ぎですが、江ノ島のクロダイを釣り上げるべく2016年もどこかで時間を作っていけたらと、それまでは大海原で泳がしておこうとおもうクロダイ熱であります。 と、2015年最後の連載が釣りの話多めとなりましたが、2016年1月2月、夢を膨らませるべく、ライブ冬眠とさせていただき、3月から本命狙いでがっつんがっつん歌っていく所存ですので、またこの場所やライブ等で会えたらと、2016年もどうぞよろしく、何卒よろしくお願いいたします。

!ハバナイス2016! いい年にしたりましよう。


延岡駅も改装できれいになるとか 二年後 自動改札になるんだろな
切符を切ってくれる あの感じは残してもいいのにな-とおもいつつ。

中尾ドライビングスク-ルで 伝え忘れてましたので補足。
よく街で見かけるこちら、AED。
たとえば事故がおきて負傷者がいた場合 道で倒れてる人が いた場合など
かけより 声をかけ 息をしているか確認する
(昔はこれに加え脈を計ったりしていたが今はやらないで一刻もはやく次の作業へ)
まわりに声かけ だれか助けてください! 誰かきてくれたら指示
あなたは救急車を呼んでください あなたはAEDをもってきてください
救急車が来るまでのあいだに AEDを開き 体の二ヶ所に貼って 心電図で 状態をみる
電気ショックが必要な場合 アナウンスが流れる 感電するので負傷者の体に触らないようにして
充電後に 電気を流し 心臓マッサージ など など詳しくは ネットで。
いざというときに動けるようにしといたほうがいいですね。
AED コンビニや空港やいろんな施設に置いてありますね。

紅葉 燃えて

白鶴ライブ後 打上のあとの打上
劇団ペテカンのハマとKと。

トートバッグ

イルミネーションライブ 寒く 唄い終えるだけで 達成感あり。
楽しかったです。

延岡から 写真家が 神楽の写真展をやるというので 写真展へ
神々の面を写した写真に 気持ちの背筋が伸びました。
大阪方面の人は今からあるみたいなのでぜひ。

江ノ島の沖では人が立ったまま水面を移動してた

でた- タコ

石鯛師の背中
かっちょいいですね

そして 二度目
日の出と 潮の時間をしらべて

メジナもキレイで好きですが やはりクロダイに会いたい

何気にカワハギのじいさん
こちらの撒き餌が行き着く底で 釣り上げ 計算済みだったのでは
と 帰りにふとおもう。
どちらにしても 江ノ島には仙人みたいなじいさん釣り師がいる。
話せてありがたや。



♦独占企画 諭介がお答え致します


■「へー、一発免許ってのがあるんですね、初耳。一発免許ってこんなふうな流れで取るんですね知らないの世界を覗いたみたいで面白かったです。本屋のおじさんといい、やはり中尾さんは人に恵まれていますね。難関の一発免許合格、免許再取得おめでとうございます! 」 (柿の種 2015年12月13日 23:29)
→ありがとう!うん、非日常でおもろかった。

■「免許取得おめでとうございます!そして、中尾ドライビングスクールの超ロング解説ありがとうございます。では①から思い出していきましょう。ってところで、えーってなりましたが、私は免許を持ってなくて、ここに書いてくれたこと1つも知らないことだったので勉強になりました。今後免許が必要となったときにはここを思い出します(笑)それにしても良い出会があってよかったですね。ドラマチックな道のりで面白かったです。結果オーライで終わったので、てんやわんやなおじさんの登場も楽しかったです。でも、途中いなくなったところで一瞬怖い系の話かと思ってしまいました(笑)一発とはいえ、3か月間、お勉強したり試験受けたり、お疲れさまでした。スターへの尊敬度がUPしましたよ☆ 残すところ今年もあと2週間ほどですね。思い出がたくさんできた楽しい1年でした。2016年も良い1年にしたいです」 (A.T 2015年12月17日 13:09)
→なはっ確かに怖かったけどね。2016、いい年にしたろう!

■「免許取得おめでとうこざいます。私は免許を持ってないし、取りたいと思ったことも無いので読んでいてちんぷんかんぷんだったけど、免許を取るのが大変なのは分かりました。もう失効しないように気をつけてくださいね。            2015年ももう終わりますね。今年もたくさんの温かいキモチをありがとう。来年も諭介さんの歌からたくさんの元気をいただきに行きますね。来年もどうぞよろしく。 追伸  春までの冬眠、寝坊しちゃダメですよ!」 (夕陽 2015年12月25日 10:09)
→がはっ、寝てたら起こしてちょうだいっ 免許はなくさない絶対、目指せ金色やわ。


2015年11月29日日曜日

Vol.189「中尾ドライビングスクール」の巻

いきなり寒くなったな。やっぱりくるんですね、冬。どん曇りに冷たい雨がこたえます。しばれますな11月、もうあと一ヶ月で今年も終わりですよ。このスピード感、思い返せば今年も色んな景色を見させてもらいましたが、それにしても早い。あっという間です。さぁーいきまっせーキンキンに冷やしまっせー的な冬の始まり、いかがおすごしか。

今回は恥ずかしながら、5年前に失効した運転免許再取得までの経過を書けたらとおもいます。中尾ドライビングスクールへようこそ。

わざわざここで書くほどのことかともおもいますが、普段の生活とは違う場所へ行った感覚がとても新鮮、非日常的な感覚が面白かったので書きたいとおもいます。とともに、失効した時にお役立てしていただければともおもいますし、保持者の方にはあぁーこんなに面倒くさいんだー運転気を付けよう、と当たり前になっているだろう免許の重みを少しでも再確認してもらえたらとおもいます。さらには自分への戒めの為に。じぁあいきます。

5年前、なれない街にて標識を見落としての積み重ねで、失効。 自分の点数が今、何点あるのか、調べても少しあやふやなところがありまして、そろそろヤバいかななんて思っていましたら通知書が家に届きまして、失効を言い渡されました。免停であれば何日間かの免許停止と講習でまた復活となりますが、失効の場合は完全になくなり、通知が来てから試験場へ講習を受けに行き、それから1年間は免許を取ることができなくなります。

自分の場合は気がつけば5年経っており、ツアー中に運転できないもどかしさが募り、運転したい願望がMAXとなり、時は今かと今年夏、思い切って人生で二回目の免許取得の行動に出た次第です。

思い切ってと書きましたが、その理由は大袈裟かもしれませんが、未知の世界だったからです。 一回目であれば、迷わず教習所へ通い、学校へ行くように流れに沿っていけばいいのですが、どうやら「一発免許」というものがあるらしいと聞いていたからです。

この「一発免許」、教習所へは通わず試験だけを受けるというもので、教習所へ通うのに比べて時間も費用もかからない、かからないかわりに合格するのが難しく、何度か受けにいかなければ受からないと聞いており、そのハードルが高そうなイメージにびびっておりました。

この5年、一発免許経験者やタクシーの運転手さんに話を聞いたりと、たまに調査をしておりました。はじめは一発で挑戦して、何度も受けに行っていたけどあんまり受からないので教習所から行き直して取得した人がいるかとおもえば、一発をすすめる人もいて、意見が二分しており迷っていました。
迷っておりましたが今年、あるタクシーの運転手さん曰く「絶対、一発のほうがいいですよ」。その「絶対」が決め手となって一発免許を受ける決心をした次第です。ここで、中尾失効者の一発免許での免許取得までのおおまかな流れを書きたいとおもいます。
①仮免学科試験
②仮免実技試験
③失効者講習(2日間)
④本学科試験
⑤特定教習
⑥本実技試験

となります。「一発免許」というから一日で済むのかと思っていましたが、調べたところこういう流れになっていることがわかり、未知の世界だと思っていたのが少し前進した気持ちになりました。

では①から思い出していきましょう。

① 調べたところ、まずは仮免学科試験だということがわかり、勉強の仕方をも調べると鮫洲試験場の売店に売っている問題集がいいらしいとのことがわかり、問題集を買いに行くためだけに電車を乗り継ぎ、鮫洲へ行く。試験場につき、売店を探すとシャッターが半分閉まっている。張り紙がしてあり「棚卸しのため本日閉店」とあり、ぎゃーっとなる。シャッター半分下から店を覗くとおばさんが二人棚卸しをやっている。「すいませーん、問題集を買いに来たんですけど売ってもらうことはできないでしょうかー」「ごめんねーきょうはね、棚卸しの日なのよ」「やっぱダメっすか」「ダメなのよ」免許取得への道、しょっぱなからまさかの棚卸しが立ちはだかり、トホホである。少しへこたれて駅まで引き返すと駅前にておじさんが声をかけてくる。「どうしたの免許? 失効? 何?」前記の旨を伝えると「問題集ならうちにいいのがあるよ!これやってれば大丈夫だから!」と少々怪しくもおもったが棚卸しにヤられていたので、すがる気持ちでおじさんの話を聞く。そこは免許取得に関わる写真撮影や問題集を売ってる小さなお店だった。問題集を買い、試験のための話も聞く。

家で、買った問題集を解き、答え合わせをする。なかなか合格ラインに到達しない。しないが答えのあることなので、これを繰り返して徐々に点数を上げていく。結果、試験前夜にして、一度も合格ラインに到達しなかった。がしかし、試験当日の早朝5時に、あのおじさんに教えてもらった試験所の真ん前にある試験ゼミナールへ行く。早朝5時より朝8時までの間にそこで試験勉強をしてそのまま試験へ。そこは要点を教えてくれ、後半、何度かテストをすると全部合格。これで自信満々になり仮免学科試験を受けて合格。ゼミナールの先生が独特で、なんとも印象に残る。そして教えてくれたおじさんありがとう。

② 仮免実技は車に乗り、試験場内のコースをグルグル周り助手席の教官から審査される。車の運転には自信があるが、その自信が通用しないのが実技試験とのこと。試験には試験の運転の仕方があるとのことで、ここでもまた、あの駅前のおじさんが教えてくれた「キキドライビングスクール」というところで試験の三日前くらいに二時間半ほど教習を受ける。ここもまた要点をしっかりとわかりやすく教えてくれた。 試験当日、まずは車に乗る前に教室で説明を受ける。受験者がオートマ/マニュアルの列に分かれて並んで座るのだが、いろんな年齢層の人達がいる。一人、声がデカくて落ち着きがなく教官の話もあまり聞いていなくて、座る場所を間違えていたりしてテンヤワンヤでおもしろいおじさんがいた。

説明が終わり。コースへ移動。3人の受験者が一台の車に乗り込み、助手席に教官。試験を受けるものが運転をして、残り2人の受験者は自分の番まで後部座席で同乗する形だ。

と自分の番が回ってきて車に乗り込む。すると教官が「あれ? もう一人いませんでしたか」と言うので後ろを見たらやはり一人乗っていない。したらば向こうの方から「あれーどこだっけな、あれっ俺の番か!」とさっきのおもろいおじさん。教官が「早く乗ってください!」。 おじさんはおもろいが自分の試験の時の同乗者となると危険人物だ。どうかおとなしくしていてくださいね、と心で祈り、いざ試験。教習の成果と、おじさんも静かに乗っていてくれたおかげで無事合格し、仮免をもらう。
教室へ戻り待機しているとさっきのおじさん、「いやー止まれのとこではみ出しちゃって止まれなかったから落ちちゃったよーむずかしいなー、兄ちゃん受かったのか、うまかったもんなー、いやーむずかしいなー、よし次がんばろ!」と前向きなテンションで帰っていった。

③ 失効者講習、これは本試験の前に受けておかねばならないもので二日間。講義を受けたり、ビデオをみたり、実際に車に乗って指導を受けたり。

④ 本学科試験。この日までに5日間の路上練習を行い、その日にちなどを紙に書いて提出しなければいけない。自分も知人にお願いし練習をして提出。

試験当日、試験場へ自転車でいき、行き慣れていない道により迷い、時間に遅れてしまう、といかもう間に合わないか、というか、何時集合だったっけ、いや行くだけ行ってみようと慌てて試験場につき、息を切らして受付にたずねてみると、受付の方がキョトンとした顔で、「まだまだ時間ありますよ」と言うので時計を見てみれば、なんとなくこの時間だろうとおもっていた時間より1時間早く間違えて家を出ていたことに気づく。あぁよかった余裕をもって受付できるじゃないかと提出物を受付に渡すと、「あれ、これフリクションじゃないですか、消せるボールペンは鉛筆と同じですから書き直してください」ということで、全部書き直し。この前7行ほどの文を読み返し、そりゃ落ちるわなってな挑み方である。結果90点をとらなくてはいけないところ、88点で不合格。午前に落ちた人は午後の試験を受けられるとのことで予約をして、試験までの時間に念には念をと、仮免の時に行ったゼミナールへ行き勉強。 その成果があり、午後の試験は自信満々で終了10分前に提出。無事合格。

⑤ 特定教習。これは危険予測の運転、高速での運転、そしてけが人などの応急処置方法の教習。 これを受けなければ試験に受かっても免許がもらえない。調べて自分は鮫洲にある特定教習所の予約を取る。丸一日講習で、受講者3人。六畳くらいの狭い部屋で先生が講習を始める。 またこの先生がファンキーな方で、朝からハイテンションでギャグを織り交ぜつつ講習してくれる。なんせ狭い部屋で机が2列並んでいて自分は前列に一人、あとの二人は後ろの席。後ろ、知らない人2人、前、ハイテンションギャグの板挟みで、前の席に座ったことを後悔。笑うに笑えず、かといって目をそらすこともこともできずにへんな緊張をした。でも、毎日同じことを話すとなると自分もこんな感じになるかもしれないなぁとおもったりもして。しかし応急手当の授業はためになった。

⑥ いよいよ本実技試験。ここに向けてもまた2日前に2時間ほどキキドライビングスクールのお世話になり、次は路上試験ということで当日の朝、試験前にも1時間の教習をしてもらい試験に挑んだ。

これが前々より受かるのが難しいと聞いていた一発免許の山場。ここでも三人の受験者が一緒に乗り、交代で試験を受ける。自分は2番目。練習してきたからか1番目の人の減点ポイントが目につく。そして自分の番。路上での教習なのでいきなり人が横断してきたりするのを対処しなければいけない。運転しながら、確認の遅れなど、あぁミスったと自分でもわかる。最後のほうで明らかに速度オーバーをし、こりゃ落ちたなと3番目の人と交代し後部座席へ。 3番目の人も自分からみても明らかに確認ミスが多く、落ちただろうなというような運転だった。ここではまだ合否が知らされない。教官が運転して試験場に戻る。戻る途中で縦列駐車の試験をするコースに教官が車を止めた。路上試験の時点で不合格の場合はその時点で試験は終わり、縦列駐車の試験まではやらないで終了となる。この場所に来たということはこの車内の3人の中で誰かがまだ生き残っているということ。自分は落ちただろうなと思うも、他の二人に比べたらよかったんじゃないの?ということは?なんてイヤらしくもそんなことを思っていたらば、教官が「それでは2番目の方だけここで縦列駐車をしてもらいます」とのこと。やた!生きのこった!と思うも気を引き締めなおしてポールにぶつからないように、そして確認、合図をきっちりとやり合格。免許再取得と相成りました。

最後に教官からのダメ出しを一人一人もらう。自分は最後の速度オーバー以外はほとんど満点でしたとのことだった。よく練習してきましたねとまで言ってもらい、あぁこれはキキドライビングスクールさんのおかげだなぁと報告とお礼をお伝え。  

でも、もっと言えば、駅前のおじさんが紹介してくれたわけで、少々あやしくおもってしまってすいませんでした。教えてくれた通りでしたありがとうございました。そしてもっと言えば、売店が棚卸しをしていたからで、棚卸しをしてくれていたおばさん、問題集を売ってくれなくてありがとう。と、うまくいったときはいかなかったことにも感謝したくなるから不思議です。というか失効しなければよかったって話ですが、自分が勝手に思い込みで生きてた部分が多かったかもしれないなと、運転を通じて基本を教わったような、矯正してもらったような今回の免許取得への道。3ヶ月ほどの間でしたが、新鮮な気持ちをもらいました。ありがとうございました。 そして失効もしてないのに、免許に興味もないのに中尾ドライビングスクール、最後まで読んでくれたみなさんありがとうございます。ちょっとわかりづらかったですよね。すいません。 失効した時、周りにそのような人がいた時にまた読んでみてください。 さぁ さて今年も残すところ一ヶ月!ニックバッカ-ズにて銀座白鶴と吉祥寺プラK、中尾と草場にて稲毛Ks 一人で立川を予定してますので、どこかで会えたらとおもいながら今月はこの辺で。それではハバナイスラスト2015!


で そんな 本学科試験に受かった帰りに寄った立飲み屋にて 安くないですか?
これでちゃんとおいしいんですから 思わずパシャリ。詳しくはブログにて。

紅葉をみると その秋に一回は前田と言ってみたくなる世代かもしれません。
そんなタイムゾ-ンかもしれません。

野球、日本対韓国戦をみました。
先発投手の大谷選手の剛速球にはテレビごしでもびっくりし、
試合後半リ-ドしたまま終わりそうだったので安心したのか そのまま寝てしまい、
朝起きて浦島な気分でびつくり、まさかの逆転まけ。
やはり最後までちゃんと応援しないとだめですな。

12月12日、銀座白鶴でのライブでは自分がデザイン画を書かせていただきました
ト-トバックをプレゼントとなりますのでぜひもらってやってくださいませ。
エンブレム中尾。

今年もお祝いできてよかったです。藤沼伸一生誕祭にて。

免許取得日。ありがとうございました。
鮫洲試験場の方々、気がよくて、明るくて建物もきれいでした。

高倉健さんが天国へいき1年が経ちました。 追悼特集のDVDをいただき鑑賞。
これ 映画「夜叉」でのワンシ-ン。
もう田中裕子さんとのこのシ-ンがたまりません。久々に思い出したました。この気持ち。
理想のおふたりです。素敵。
あと 健さんの映画では「あ.うん」 も最高です。
人が心に想うことは誰にも止められない どちらもそんなことをよく表している映画じゃないでしょうか。





♦独占企画 諭介がお答え致します

■「お酒+開放感のせいということで。そういうこともありますよね。 友人の旦那さんも寝ぼけて廊下で放尿してしまったって話聞いたことあります。つい最近聞いた職場の同僚の幼い息子さんの話。同僚が夜中ふと目を覚ますと息子さんが下半身すっぽんぽんで立っていて、どうやら夜中におねしょをして濡れて気持ち悪くてズボンとパンツを脱いで立ち尽くしていたみたいで、その時の母と子のやりとりの話を仕事中に聞いて笑ってしまいました。 これからも中尾さんの中で感じたこと全部が歌と音になっていくんでしょうね、ライブでそれを感じてパワーをもらいに行きます」 (柿の種 2015年10月30日 1:57)
→聞いてみたいっすなーその会話。逆にこちらの話をしたら自分だけじゃないんだと心強く思ってくれるか、あんな風になったらだめだと気をつけてくれるか。どちらにしても役立つことができたらなぁとおもいます。せめて。

■「(((*≧艸≦)ププッ! 40過ぎての寝小便小僧! (小僧じゃないと思うけど。笑) お酒もほどほどにしないとね(^_-) ジュテーム2015からちょうど1ヶ月。 先月のことなのに、遠い昔のような感覚にもなったりして不思議。 漫遊記15ヶ所、本当にお疲れ様でした。 日常の中にふと漫遊記の景色を見つけると、 そこからどんどん漫遊記の景色が溢れだしてとまらなくなる。 クスッ(^w^)ってなったり、切なくなったり、 まだまだ漫遊記熱。 終わってるけど、終わってない。笑 と思っていたら、 ここ数日よりちょっぴり漫遊記ロス傾向。 吹く風が冷たくなればなるほど、熱が冷まされていくのかな~。 また旅に出たいよ。笑 海面にのびるオレンジの道、とってもキレイ。 ちなみに、 わたしにとっての最高な景色は、諭介さんのライブなんだな~☆ 諭介さんは、太陽みたいにでっかい存在です!(笑) ずっとずっとペダルをこぎ続けてくださいね。 しんどいときは、後ろから押してあげるよー!(笑) 」 (ゆな 2015年11月6日 12:39)
→いえいえ自分なんてとんでもないです、だってねぇ、太陽はあんなことしないですよねぇ。なんかどうもすいません!締めて生きます。

■「読みながらじいさまの会話に混ざってしまいました。みのむしじいさんがおねしょする話は、絵本にしたら売れそうな気がします。 会いたい人に会いに来たら、会いたい人になるって書いてあって、ヒャってなりました。 わたしも、会いたい人になりたい」 (陽子 2015年11月12日 22:40)
→みのむしじいさんのおねしょ物語、むかーしむかし ですかいいねぇなんかわからけどいろんな話ができそうやね。おもろい。

■「夕焼けはテンションが上がりますね。海で見る夕焼けはまた格別なんだろうなあって思います。 ちなみに大人のおねしょはストレスで脳が疲れていて、自律神経が乱れると起こりやすいらしいです。私はおねしょはさすがに無いけど、ストレスがピークになると泣く夢を見て目覚めたら本当に泣いていたってことならあります。お互い身体だけでなく心も健やかに保ちたいですね」 (夕陽 2015年11月14日 10:27)
→だね、健やか一番だわね。ぼかぁストレスないとおもうんだけどね。肩も凝ったことないしね。自律神経が出張してらっしゃるのかなぁって時はあるけどね。どちらにしても締めていくっす!

■「自転車と聞くと、この夏旅先で乗った自転車を思い出します。普段乗らない自転車に乗って、初めての街を走るのは、乗り慣れてないこともあってか、なんだかいろんな気持ちが混ざって、怖かったりしたんですけど、それでもやっぱり楽しかったんですよね。そのとき私も、自転車って自分で漕がなきゃ進まないんだなって、ふと思っていました。真っ暗闇の坂道もジェットコースターの気分で、そんなスピードを自分が漕いで出したのかという、そんな実感が面白かったです。自転車って気持ちいいんですね。だから、また漕いじゃうのかな。自転車買おうかな。って、今月もしかして車の話でしょうか(笑)海の太陽、ハロウィン、オレンジ色の10月でしたね。私も友達と「もしやるなら何やりたい?」って話してたので、中尾じいさんのみのむしには笑ってしまいました。「日本でやるなら妖怪にしてね、小豆洗いとかにして」って前に言われたことがあって、OK!って答えちゃったんですが、小豆洗いってそれこそじいさんみたいなやつなんですよ。最近知って、絶対やらないと思いました。それから、妖怪おもらし。気をつけます(笑)」 (A.T 2015年11月18日 17:21)
→あぁいいね小豆洗いい、いいねーぜひやってほしいっす。 それからのあとのことは気をつけて、と言いながらも、ミンナモシチャへともどこかでおもっています。

■「不具合だったのに、コメントありがとうございました。 山本周五郎先生の「さぶ」、面白そうだったので、今読んでいます。 なかなか読み応えがあります! 素敵な夕焼けを見た後は、気を引き締めていこー!」 (みぃ 2015年11月24日 20:02)
→引き締めてこ-!山本周五郎読みごたえあるよね あっというまやったわ。

■「諭介さんインザスープ15箇所漫遊記本当にお疲れさまでした! 最後のオチにびっくり、そして笑ってしまいましたが 漫遊記きっと良い意味でも悪い意味でも相当なストレスがあったのでしょうね。 開放できて良かったのかも…?(笑) 私自身ほんとに小さな会を開くときでもすごく大変な気持ちになるので 15箇所もあまり知らない土地でライブを一からやるのにはきっとすごく大変なことだったんだろうなと思います。 でもでも、音楽だけじゃなくそんな色々が『今が一番いい』に繋がった今のインザスープ これからも大好き、聴き続けたいと思いました☆彡 すっかり冬の積雪33センチの札幌より…」 (hitomi 2015年11月25日 6:21)
→それはやっぱりあるとおもうんだな、メンバーみんなが音楽以外のことも実感して自分たちで動いてそれが音に繋がるってことは絶対あるとおもう。それが実感できたのもなんかよかったのよね。

2015年10月29日木曜日

Vol.188「そして(それでも)また(まだ)ペダルをこいでいく」の巻

木枯らし吹いて、いよいよ本格的に秋、冬がやってきますよとカラカラ乾いた風が皮膚を通り越して骨身に知らせにやってきた日、街はカボチャのオレンジが賑やかに彩ってる。すでに渋谷の街は仮装した人達が溢れて、街宣車が浮かれた街をさらに騒がしくしてた。なんだかちょっとざわついた日でありました。

しかしハロウィーン、すんごいですな。いつからこんなに賑やかになったのかしら。渋谷のスクランブル交差点あたりの浮かれっぷりにはどこか心細くなるというか、「いいのかねぇ」と疑問に感じるも、「いやいや楽しそうなんだからいいじゃないですか」と自分の中で中尾じいさんが二人、お茶をのみながら縁側で会話をしているのが聞こえてくる。「しかしあれだねぇ、あんなのを見ながら悪態をついてばかりもつまらない、もしかすると自分もやってみたいとおもってるんじゃないかとおもいましてね、やってみたい自分てのもいやしませんかねぇ」「いやいやないないありゃないですなぁ」「いやワシなんかはやるんだったらこんな感じってのがないわけじゃなくてね」「ほう、なんですかな、お聞かせ願いたいもんですなぁ」「みのむしじゃね」「ん」「みのむし」「ほほう」「もう、お店なんかで買わないで寝袋に落ちてる枝をくっつけてね、電柱かどっかヒモでぶら下げてずーっとぶらさがっとくのとかやってみたいですなぁ」「ほほう、いいですなぁ、ずっとですな」「えぇずっと」「そう言われるとやってみたくなるもんですなぁ、思い切ってやってみますか」「いや、やりませんけどね、やるんだったらの話ですな」「ですな」なんてことをおもいながら心で茶を飲み、街を自転車で通りぬけてく木枯らし日、ハッピーハロウィーン、いかがおすごしか。

今月はインザスープ15周年記念全国15箇所漫遊記ファイナルinシェルター、無事全行程をその日に終えました。15箇所を自分らで決め、連絡をさせてもらい、全国でたくさんの方々のお世話になって歌わさせていただきました。全国それぞれでの風景、会場、僕たちのために会場を設営してくれたり、取り仕切ってくれたり、その会場に足を運んでくれたみんなの顔やら、そんな 今年の夏の思い出がガラリと変わった季節の中にいて浮き彫りになってきている今日この頃です。音を鳴らすことだけじゃなく、その他の業務的なことや、人との関わりが全部、僕たちの力になったようにおもいます。そんな旅の実感が音や歌になったファイナル「インザスープは今までで今が一番いい」とふと思えて口にしたけれど、きっとそれは音楽をやり続けていたら当たり前のことなんだとおもう、そんな当たり前のことをふと実感できたことが嬉しかった。

自転車をこぐ、目的地と時間がある。やりたいことも不安もある。気がつくと不安や焦りばかりに支配されて自転車を漕いでる時がある。そんな時、周りが見えてなかったり、近くのものが見えなくなってペダルを踏み外したりする。いかんなぁとおもう。右と左の足でペダルを漕ぐ。自分で決めて自分で向かう。目的地と時間がある。途中にいる。ペダルを漕ぐ、前に進む。景色が流れる。匂いを受け入れる。体に吸い込む。実感をする。行きたい場所がある。そこへ向かっている。初めて補助輪なしで乗れたことをおもいだす。何様だったんだと気づかされるときがある。実感をする。心が弱ると人のことをああだこうだと言いたがる。自分と戦わない恥を知る。向かえる場所があること、そこへ向かえること、今あることをありがたく感じる。全部飲み込んで、風通しよく自分は自分の道を行く、きっとまた風通しのいい人に会える。感謝が力になる。ペダルを漕ぐ。会いたい人になる。ペダルを漕ぐ。そんな実感が溢れて歌や音になる。そんなことを繰り返していく。

先日、海を見に行った。久しぶりに遥かな夕焼けを見た。太陽はゆっくり沈んでく。これでもかって燃えていてでかかった。海面に太陽から真っ直ぐに光の道がのびてた。一番濃く燃える太陽のオレンジから空や海にひろがって遥かなグラデーションをみせてくれた。
防波堤にその景色を見にたくさんの人が来てた。知らない人達同士が「キレイですね」って言い合えるような景色。自分でも気づかなかった垣根やもつれがほどけていくような景色。
釣り人達はイワシが大漁だった。老夫婦が並んで歩きニコニコしていてかわいかった。
こんな景色があってくれるんだなぁとおもった。ただただ自分が燃える太陽。何か元々を思い出させてくれるようなあの景色の中で、誰だっていがみ合ったり囲いを作ったりすることはバカバカしくなるんじゃないかと思った。その日その後、人と話すのもライブで音を鳴らすのも歌うのも、ずっとその景色が胸に焼き付いてた。あの景色のままを写真に写せたらTシャツにプリントしていつも着ていたい遥かな景色だった。気持ちがよくてなにかご褒美をもらったような景色。ありがたかったです。と書いて今、あの気持ちを思い出して書いていた今、その後の出来事を思い出してテンションが下がってしまったのですが、いいことがあると嫌なこともあるもので、、うまくできているなぁとおもいます、、、きっとその遥かな開放感からだとおもうのですが、、、、ここだけの話にしてもらいたいし書かなくてもいいことだとは思いますが、、、、、戒めのためにも、、、、、一か八かでオチになるかもしれませんし、引かれるかもしれませんが、、、、、、アタクシ、、、、その日就寝後、夢の中まで開放感に満たされたのか、、、、満たされていたものがダム決壊、40超えての寝小便小僧と相成りまして!翌日布団を洗濯をしました!クリーニング屋さんに行きました!シーツを買いました!どうもすいませんでした!もう寝ます!おやすみなさい!引き締めて寝ます!みんなも気をつけて!おやすみなさい。ハバナイスオータム&ドリーム。

クレ-ン 秋の空に立つ

過去のジュテーム曲順

15ヵ所漫遊記ジュテーム 無事終わりました。
力をかしてくれた皆様、そして足を運んでくれた皆様、ありがとうございました。

打ち上げにて 地元友達達からもらったオリジナル焼酎。

んで、大ちゃんと久々に朝まで のみ介。

高倉健さんが読んでいたという山本周五郎先生。
先生と言いたくなります 。男と女。理不尽。世の中。男と男。おもろかったです。



そして18日は同時期デビュ-のアフターミ- オ-タムスト-ン 大久保海太とのライブ。
セッションに選んだ曲はコレ。オ-タムストーンの菅原くんが書いてくれました。きれいっすね。


大久保さんと草場さん。

いつもニコニコ アフターミ-、長田先輩とツッチ-先輩。
デビュ-前からシェルターでタイバンしたり、その後同じ事務所の先輩後輩の関係になったりと
ほんとに長い付き合いになりました。
アフターミ-先輩。

歌を歌っていて 人と繋がる 囲いも 憎しみもなく 遥かな気持ちで 人と繋がれたらとおもう。
太陽ってやっぱりすごいです。

そしてシ-ツ。

ハロイン オレンジだらけ

秋に咲く朝顔。

♦独占企画 諭介がお答え致します
■「2ヶ月前のことをいろいろ思い出しました。
ホント、笑い声と笑顔で溢れてましたね。
野次もいっぱい飛んでましたね(笑)

In the Soupのライブを、小林さんは表情変えずに
じっと見つめていました。
見つめるその目がとっても優しい目だったのが
とても印象的でした。
ただ、青空を歌い始める直前に外に出て行かれ、ヘブンを歌い終わる頃に戻って来られた姿が今もまぶたに焼き付いています。

漫遊記があったからこそ
一緒にライブが出来て、
きっと、小林さんが誰よりも諭介さんたちとの再会を喜ばれていたと思います。

小林さんのご冥福を心よりお祈りいたします」
(by.ゆな 2015年10月3日 0:03)
 

→何年かずっと会ってなくて、漫遊記で会えて、しかも同じステージに立てて本当によかった。あんな生き様見せられたら、弱音なんて吐いてられんわね。
最後にメンバーさんやらペニ-レ-ン、仙台を繋げてくれたからまた行かんとや。


■「今晩は。先日の延岡漫遊記。急遽休みを代わってもらえて、参加することができました。 地元で中尾さんの唄声を聴けたのは、2年前の「最高な夜」以来でしたが、本当に行ってよかったです。ありがとうございました。 お客さんたちの盛り上がりも熱かったですが、その盛り上がりを受けてアッツイ演奏を聴かせてくれたメンバーの、嬉しそうな楽しそうな様子に胸がいっぱいになりました。 仕事のことや日常で、へこむことが多い日々だったのですが、わたしも頑張らないと!、と背中を押してもらえた気がします。 今を生きるIn The Soupの演奏を、中尾さんの歌を、また地元で聴かせてくださいね!。 楽しみに待ってます(ひっつき虫ですね。「や~、バカがひっついちょる~」、と子供の頃よく言ってました笑。犬とか猫がくっつけてくると、なかなか厄介です) 」
(by.maaa 2015年10月3日 0:16)
→不具合により、返信おくれてごめんなすって!延岡のライブ、一曲目からすんごい景色でした。おかげで緊張もほぐれたような。いまもあの日のライブのことや、準備、あと片付け、終わったあと会場をモップがけしてくれてるみんなの姿が目に浮かんできます。延岡でメンバー全員でライブできてよかったです。聞きにきてくれてありがとう。仕事をかわってくれた人にも感謝!。そうそう、バカがついてると、最初に「や~」って言う言う! あの言い方なつかし!いやらしあの言い方、たまらんね。バカにされないための修業だったんだろね。成果ないけど。子供社会も大変だったんだなぁ。思い出させてくれて、こちらもありがと。


■「仙台で小林さんと一緒にライブできて、本当に良かったですね! 抗がん剤でまん丸の頭さらけ出す気持ち、わかる。でも小林さんと気持ちは一緒ではないかもしれない。その場の雰囲気は和やかだったかな。私は自分でやってみてわかったのは、どんなに仲の良い友達でも、家族以外にはその行為が、ショックを与えてしまうということ。でも自分は見せたかったな。 きっと小林さんはみんなを見守っていますよ、今までのように。今まで以上に。 諭介さんもお体お大事にしてください。ロックミュージシャンでも、検診は受けてくださいね!」 (by.みぃ 2015年10月3日 7:36)
コメントおくれましてごめん!英樹さん、こちらがショック受けるのわかってたとおもうわ。ショックの向こう側まで貫いてたっていうか。こちらが受け入れるまでそのまんまで、気付いたらそれが当たり前になってて。昔と変わらず、くっだらないことで笑いあってたわ。んだね、健康診断いかんとね。ありがとね。


■「15周年記念全国15ヶ所漫遊記全ヶ所無事終了しましたね!お疲れさまでした!参加できて、祝えて、とっても楽しかったです。ライブついでに(笑)各地の美味しいもの食べたり、行った場所で会いたかった人に会えたり、15周年記念は個人的にも記念になったような気がしています。仙台のライブにも行けてよかったです。諭介さんの文章を読んで、あのときの景色とライブの思い出がより深くなります。みんな笑ってて、楽しかったですよね。後半戦は、旅を重ねるごとに強くなる音と歌で、続くライブが楽しみだなって思っていました。今が一番いいインザスープ(笑)を今体験できることが嬉しいです」
(by.A.T 2015年10月20日 14:47)

→うん、みんな笑ってた。お通夜のあとも、音楽仲間やらメンバーさんやら友達やら、その後みんな店に集まってて、そこでもみんな笑ってたわ。
漫遊記、記念になってよかった!

■「漫遊記、お疲れさまでした。

私は仙台へは行けてなくて、小林さんのことも存じ上げなかったんだけど、お世話になった人の痛々しい姿を見るのはお元気だった頃を知っているだけに、本当はご本人やご家族の方がツライんだって分かっていても、最初はどんな言葉をかけたらいいのか戸惑ったことだと思います。

きっと、だからこそ小林さんも明るく冗談を言ったりしてたのでしょうね。強くてかっこいい人ですね。

小林さんのご冥福をお祈り申し上げます。

諭介さん、がむしゃらに走り続ける姿もかっこいいけど、いつまでもお元気でいてくださいね」
(by.夕陽 2015年10月24日 10:15)

→→んだ、元気でいきまっせ。こういう先輩がいると、負けてらんないなとおもうわ。弱ってられないね。こぼさないでどこまでもや。ありがとね。

2015年10月1日木曜日

Vol.187 「限界を超えて」の巻


インザスープデビュー15周年記念全国15カ所漫遊記も14カ所を終えて、残すはファイナル10月6日下北沢シェルターのみとなりました。先日は久々の九州、福岡と延岡での漫遊記、福岡は本当に久々でますます都会になってた。夕方になると屋台が開きはじめて、これこれこの感じが福岡やなぁとなる。東京にいてもたまに思い出して屋台でラーメン食いたいなぁと思いを馳せさせる屋台。10年ほど前にツアーで訪福した際、ライブが終わり打ち上げを終え、ホテルに戻り、なんかたらんなぁと一人で屋台へ行きラーメンを注文、出されたラーメンをすすっていると、向こう側に座っていたおじさんが笑い出し「にぃちゃん、いい音たてるねぇ、やっぱラーメンは勢いよくいかんとねぇ」と言われ恥ずかしいやら嬉しいやら、そんな雰囲気と味がすこぶるうまかったのを思い出します。その他にもヒッチハイクの旅で友達と行った屋台の思い出もあり、また今回もとおもっていましたが、今回は屋台が一杯だったり、思わぬ再会があったりと次の日にも備え就寝。なくならないでほしいものです屋台、またいつの日か。

次の日は我が故郷延岡にて漫遊記14カ所目。1カ月半前に急遽決まったにも関わらず、地元ではこの日のために実行委員が発足し、当日は400人のお客さんが来てくれ、地元での熱を感じ、またケツを叩いてくれたような、こっから先も恥ずかしいことはできんなと、自分は自分の歌をもっと歌っていかんとなと改めて思わせてもらいました。コンサートスタッフ、イベンター、それが本職ではないけどスタッフのみなさんが手作りで準備してくれたこの日、その手の熱をもらってバンドの力膨らんだ夜となり14カ所を終えた。各地での景色、音、顔、たくさんの熱を感じて、いざファイナルへ向かいます。

そんな地元でのライブを終え、帰京し、今朝、この漫遊記でもお世話になり、仙台ペニーレーンでは対バンもさせてもらった「樹樹」のギターで作詞作曲をしていた小林英樹さんが亡くなったとの訃報を受けた。英樹さんは元々コロムビアレコードの東北支社の宣伝担当だった。 全国に支社があって、僕たちは各地方でキャンペーンやライブでお世話になった。他のレコード会社がどうなのかはわからないけど、コロムビアの宣伝の方々は勝手に想像していた業界の人的なイメージとは違って、泥くさくてロックな人たちが多かった。そんな中でも英樹さんは僕たちに強烈な印象をくれた。キャンペーンで仙台が入るとスポ根的な気持ちになった。ゆっくり昼飯を食べる暇もなく、移動の車の中でマクドナルドを買ってきて渡され「今のうちに食べて」と言って自分もハンバーガーをかじり、片手でハンドルを握り、ちょっと怖いくらいのスピードで次の現場へ向かった。着くとまた車から降りて走ってラジオ局やレコード屋さんへ入り宣伝をし、1日に何カ所もの場所でインストアライブや路上ライブが組まれていて、次にどこへ行くかわからない僕たちはついていくのが精一杯だった。その合間合間にも、冗談を言って笑わせてくれたり、移動のエレベーターの中で女の人が入ってきたりすると声をかけたりして、僕たちを笑かしてくれた。過酷な予定が組まれていたけど、疲れたと感じる間もなくワクワクもして、ジェットコースターのようにあっという間に1日が終わり、夜は夜で関係者の方々と飲みが組まれていて独特の皮肉や冗談や下ネタで盛り上げてくれた。そんな、東北担当だった英樹さんに東京での宣伝担当になってもらいお世話になった。「檸檬」の頃。代々木の野音でお客さんにも一人一人マラカスなどの楽器を持ってきてもらって全体で公開レコーディングをしたり、その後また別場所でインストアライブがあったりと英樹さんらしいやり方で宣伝をしてもらった。レコード会社を離れ、英樹さんとも会わなくなって5年くらいが経った頃、仙台に戻ったはずの英樹さんと、新橋の人が行き交う街の中で偶然再会し、飲みにいこうとなってそのまま焼き鳥屋へ行き、お互いの近況報告をしたり、宣伝してもらっていた頃の話をしたり。久しぶりだったけど久しぶりな感じもなく相変わらずの冗談で笑かしてくれた。それからまた何年かが経ち今年、15周年漫遊記の仙台編は英樹さんにお願いしようと連絡をしてペニーレーンでのライブを組んでもらった。しかも英樹さんが仙台でずっとやっていた「樹樹」というユニットとの対バン。何度か電話やメールで打ち合わせをしてライブ当日、気仙沼から仙台へ移動し早めに着いた僕たちは先にライブハウスに入り、英樹さんを待った。しばらくすると入口から男の人が入ってきたのでライブハウスの人かと思って挨拶をした。挨拶をした後でその人が英樹さんであることに気づいた。前に会った時とは違って痩せてた。被ってた帽子をとってなくなった髪の毛を見せて、「病気になっちゃてさー」と、声とそのニュアンスはそのままで「しかも痛風だし、病気の百貨店だよ」的ないつもの語り口調でいつもの冗談で笑わせてくれたけど、その変わりようがすぐに飲み込めなかった。何度も電話やメールで連絡を取り合っていたんだから知らせてくれてたらいいのにとおもった。英樹さんがリハーサルの準備をしてる間、付き添いで来てた奥さんが病気のことを教えてくれた。もう一年くらい前から闘病してること、難しい病気だということ。昔からギターを弾くことは知っていたけど、ステージに上がる英樹さんを見たのはこの日のリハーサルが初めてだった。いつも冗談ばっかりだったけどバンドの中で音を鳴らす、音に向かう時の英樹さんは真剣だったし、なによりその詩と曲の中に本音があって、英樹さんの優しさを感じた。今おもうとリハーサルも本番もバンドのメンバーも英樹さんのお客さんも、みんな笑ってた。そういえばいつも笑いの中に本音があるような人だった。ライブが終わり近くの英樹さんの経営する昭和歌謡バー「プレイバック」で打ち上げをした。小さな店に共演者がびっしり入り、本人がカウンターに入って奥さんと酒を出してくれた。その日のライブのことだったり昭和歌謡のことだったり、昔の話だったり、息子のことだったり、病気だってことを感じさせないで、すっかりいつもの英樹さんのペースにのって飲んで楽しんで笑った。それが今年の7月のことで2ヶ月前。今朝の携帯にメールが数件、英樹さんの訃報を知った。今朝の今でまだ全部を飲み込めてるわけじゃないけど、きっとそうなんだとおもう。会うまで病気のことを知らせなかったのも、帽子を脱いで抗がん剤で髪の抜けた頭をさらけ出すのも、だからって今までと変わらず冗談ばかり言って周りを笑かしてくれるのも、英樹さんらしいなとおもった。カッコイイです。ゆっくり休んでくださいと言いたいけど、泥くさく、前に向かって限界を超えて突っ走ってた、あのキャンペーンの英樹さんのことだから、どこにいっても周りの笑いをとりながら突っ走っるんだとおもう。 15周年、仙台でのライブ、英樹さんにお願いして、会えてよかったです。本当にありがとうございました。  


秋の祭の金魚すくい。

もう来年の手帳がっ
と毎年驚く

テキヤさん こちらもなくならないでほしいっすな

福岡にて

赤い花も咲きました。

テッドはみたいけどDVDでいっかとおもう。

広島商業の野球部だった けんちゃん
大学時代 自分が甲子園にいくことができなかったから監督として甲子園にいくんだと 、
負けないよ、僕はビックになるんだなんて言って夢を語りあったけんちゃん。
教員免許をとり 広島で監督をしていた。
デビュ-して広島でライブをしたときにけんちゃんの高校に吉田くんと寄り
生徒の前で歌を頼まれ東京野球を歌った。
10年以上ぶりの再会、町田のライブに来てくれて 、三四年前に甲子園に行ったこと、夢を叶えたこと、
甲子園で試合前にノックをしたこと、今はまたさらに上を目指していることを報告してくれて嬉しかった。

延岡にてハチ。

祝子川の堤防にて 草になっているとげとげの実。 投げて服にくっつけてた 「バカ」こどもの頃 あたり前に「バカ」って読んでたけど 正式名称はきっと違うよね。

力強い。

育ててくれた町 延岡。
またたくさん力もらいました。

さかのぼり仙台でのライブ。

仙台ライブ会場でライブ終わりに写真撮影。
左が英樹さん。

英樹さんの店。

歌謡曲の数々。

英樹さん ありがとう あっちで中原さんと酒呑んで笑ってんだろな。
また これからも見守ってくれたらとおもいます。

訃報を聞き そのまま収録へいき 帰りのホ-ムで みたス-パ-ム-ン。


♦独占企画 諭介がお答え致します
■「私も車が運転出来たらいいな、と思って、2年前に一念発起して教習所通いました。諭介さんと同世代の私は、見渡せば教習生の中で一番年上な感じ。若い学生さんが眩しかったです。教官には怒られてばかりでしたが、楽しいこともありました。免許取って良かったです。でも私には諭介さんのような素敵なドライブの思い出はなく、家の駐車場で車庫入れの練習をしていて、サイドミラーを壊したことがせいぜいの思い出。 「自分が昆虫だったら」。なつかしい名前のモドキ!でもモドキって言葉、切ない。 あと、私は川柳をやっているのに、基本的な俳句もよく知らないことを最近思い知らされます。山頭火の句もよくは覚えていませんでした。恥ずかしい。勉強することが増えました」
(by.みぃ 2015年9月5日 6:58)
→あぁ-サイドミラーやっちゃうね。この句は昔から知ってはいたけどよくわからなかったのが、きっとこういう心持ちだったんじゃないかって思えてきたこの頃です。

「免許のテストはどうでしたか?自分が免許を持っていないので、運転できる人はすごいなって無条件で尊敬の人になります。買い物かごカートの話はそうなんですね。面白かったです。今回の「相棒、ホンダ・シティ」を読んでいて、水を入れながら走るって漫画みたいだな!ってびっくりしたんですけど、あ、そういえば、高校時代の漫才の相棒も同じ名前の人でしたよね。そこもやっぱり、その車に運命を感じた1つだったんでしょうか(笑)9月に入り、晴れた日でもすっかり秋っぽくなりましたね。秋が深まっていくごとに漫遊記も濃くなってる気がします。ジュテームまで楽しみにしていますね♪」
(by.A.T 2015年9月14日 17:33)
→相棒とは関係ないよ、免許は一ヶ月前に仮免をとったけんど、予定がつまっていてジュテ-ム終わるまで本試験は受けらんねっす。ファイナルお楽しみに。

「免許を持った事はないし、取りたいと思った事も無いけど、男の人が自分の車に憧れを持つものなのかもなーって思います。学生の頃、男の子たちが目をキラキラさせて車の話をしていた事を懐かしく思い出しました。 ちなみに、私は女だけど買い物カートを押す時はいつも心の中で、「ブーン。」って思ってますよ(笑) 漫遊記も間もなくゴール!シェルター楽しみにしています」
(by.夕陽 2015年9月23日 11:00)
→え-まじで、女子もおもうのね。男っぽいんでしょうな-。シェルタ-で!

「中尾さん、こんにちは。甲斐甲斐しくお世話してもらって、車もうれしかっただろうなあと思いました。ちょっと傷ものだけど最期までいい御主人さまに乗ってもらって。。九州までの車の旅、その頃にしか出来ないであろう、多分ほとんどの人が回避するであろう、、ある意味貴重で中尾さんらしい思い出話ですなあ、すてき!運転上手そう。マニュアル乗れますか? 分け入っても分け入っても歌。その奥へ分け入るべく歌道深く追求して頂きたいと期待しています。 蝉のお話、なんてことはあまりないと思うよ~(^.^) 」
(by.たかの 2015年9月25日 20:42)
→なんてこたぁないか。マニュアルだよ何かあったときのために、とマニュアルのほうが車ってかんじがするものね。