2013年3月27日水曜日

Vol.157「下北沢よ、ありがとう」の巻


三寒四温繰り返し緩やかにあったかくなっていってる今日は寒の日、寒さにまいっていた冬であったけど、もうすぐずっとあったかくなるのかとおもうとそれはそれで寒さもちょっぴり愛しく感じたりしてる今日この頃いかがおすごしか。

今回は先日行なった弟とのライブ、宮崎ライブの報告といこうかとおもったが、写真がいっぱいあったので報告は写真のコーナーでしようとおもいます。
こちらでは、「あぁ、下北沢よ!ありがとう」を。

先日、友達と呑むために下北沢に行ったらば、何やら駅ではみんな駅の写真をとっておりいつもと違う雰囲気。
そういえば下北沢駅が地下になると聞いていたことを思い出し、自分もこうしちゃおれんと写真におさめた。

偶然ではあったが、急にいろんなことがあったなぁとまさにセンチメンタルな気分になった。

自分は宮崎は延岡より上京してきたが、大学が神奈川であったので、神奈川は平塚に住み、一発目の上京はかなり東京からそれた。
卒業後、もっと東京にいかなくてはと、東京のどこに住むかを雑誌で調べた。
雑誌には下北沢は演劇人や音楽人が多く住む場所とあって、なにやらおもしろそうだと下北沢の不動産をまわった。

すぐに風呂なしアパートをみつけ、そこに住むことに決めた。平塚では毎日のように畑の真ん中で歌っていたが当然下北沢には畑がないし、風呂なしアパートではおもいきりギターを弾けない、スタジオなんて狭い場所にお金を払って歌うなんていう選択肢もなかった。だからギターをもって弾ける場所を探した。それが下北沢駅前だった。人があまりいないほう、ピーコック側。

改札から階段をおりると左側に古着屋さんの入り口があった。営業が終わりシャッターが閉まる20時からそこは僕のステージになった。
歌いはじめて何日か経ったあと古着屋さんの店長らしきヒゲの生えた人が近づいてきて、てっきり怒られるとおもっていたらば、コーラを手渡してくれて「がんばりなよ」って言ってくれた。僕はうれしくてそのことはいまだにこうやって覚えてる。
店長さんは、それからよく話しかけてくれて自分もオベーションってギターをもってることも教えてくれた。後日それをもってきてそこで一緒にかき鳴らしたりもした。下北沢がいっきに好きになった。人通りを避けて、歩く人達に聞いてもらうにはちょうどいい場所で、階段がステージみたいな気分にもさせてくれてその場所が好きだった。

路上で歌ってると行きかう人達が目まぐるしく見えたり、自分が歌に向かえてないなぁと感じたりすると、歩く人に背中を向けてシャッターにむかって自分に歌ったりもしてた。なんでもよかった。たとえばトイレについてでもそこから即興で延々と歌った。自分が何をおもっているか。トイレってテーマでどこまで旅できるか試すみたいに、シャッターに小声で歌ってた。ひとしきり歌って振り返ると、その歌をカップルが聞いてくれていて拍手をくれた。自分だけの世界だとおもってたことが、知らないうちに誰かとつながれてたことがびっくりしたし、新鮮だった。

またある時は、振り向くと青年が一人で立っていて拍手をくれた。聞けば踊りをやりに上京してきたんだと言う。
じゃあ、今から即興で歌うから即興で踊ってみてよと言うと心よく引き受けてくれた。てっきりブレイクダンスとか流行っている感じかとおもったらば、くねくねした変な踊りだった。舞踏といってステージではみんなスキンヘッドで全身白塗りでやっているらしい。かなり刺激的な夜だった。お互いに夢に向かってがんばろうなんて言って別れて、その5年後くらいに「シャッターにむかって歌ってた中尾さんですよね」とTV局の中で声をかけられたのがその青年だった。舞踏をやりながら役者もやっていた。

踊りと言えば、TVでよく見かけてた男4人ダンスグループの一人も、いきなり歌に合わせてブレイクダンスをやりはじめた。
負けじとこっちも即興で煽りまくり、歌とダンスのバトルのようになった。終わったあと楽しかったので呑みに行こうということになり、そのダンスマンの家で呑んだりもした。

今もそうだけど、どちらかと言えばギターは弾くというより叩くイメージで弾くので弦をよく切る。その日も弦を切って替え弦がなかったのでそのままやっていたら6本のうち5本切れて、1本だけで弾いていた。いつもはそこまでなるとあきらめて帰ることのほうが多いが、その時は一本でも歌えればよかった。そしたら目の前を高校時代の同級生が通ったので声をかけた。宮崎の高校時代は話したことがなく存在はお互いに知っていたくらいだったが、会えたことが嬉しくて、後日下北沢駅の下のしょんべん横丁のおでんやさんでお互いの今の状況、将来のことやなんかを語りあった。そこから始まった縁で今も語りあえる仲間で、力をもらったりしている。弦が切れても歌い続けたのが今では、出会うため、再会のためだったんだなぁなんておもう。

そのほかにも駅前では、聞いてくれてた女の子のサンダルから見えた小指の爪の色の鮮明さやら、町の匂いやら、Kと二人で缶ビールでどうするべぇかとミーティングしたり、様々なこと。自分には自分のこの駅に対する思い出がたくさんあったんだと、なくなってしまうとなっておもいだし、センチメンタルの馬鹿野郎となった。やっぱりあってくれて当然だった場所がなくなるってのは、たった駅ひとつであってもこんなにいっぱい詰まっていて寂しいもなんだと実感をしたわけです。

駅が地下になり、きれいになって、開かずの踏切がなくなって町のスピードがはやまって人が増え、町も便利になって潤うのだろうけど、
あのイビツでごちゃごちゃした、かわいくておもちゃ箱みたいな下北、少々青臭い夢やら出会いが詰まった下北、きっとどんどん変わっていくんだろう。変わっていく。きっとすぐに慣れて少しずつ忘れていくんだろうけど、あまりにいろいろとあったから、語りつくせはしないけど、おもちゃ箱の中のおもちゃのいくつかを、みてた夢や出会いのいくつかを、この機に記しておきたかった次第です。最後まで読んでくれてありがとう。そんで今までの僕の下北沢へ、ありがとう。

 


弟ウコカと東京にてリハーサルをかさねていざ。
砂ぼこりがひどかった東京を後に出発
横浜にてライブ
足を運んでくれたみんな ありがとう。
その夜 ウコのカ-にてウコの運転でいざ西へ
仮眠所にて 長いウコカ。
そこにあった足湯に魚が。足湯ってなんか苦手だ
富士山を後に 出発。
淡路島へ向かう橋 いざ四国。






































































































千と千尋のモデルになったとかで ちびっとテンションあがり朝入浴。
夜中四国は道後温泉に到着し 近くのホテルに泊
寝る前に二人で夕飯へ

人通りない真っ暗な小道を歩いているとおばさんに声をかけられる。遊んでいかない?とのこと
自分は大人なので一瞬でピーンときたが、その前に射的場などを覗いたりしていたせいか
ウコカは何があるんですか?何があるんですかと訪ねてから ようやく気付いていた  ここに兄と弟の差をみる
でもこういった温泉街の裏側に少しでも触れられてなんかよかった。
お断りし別れ際 ここはネオン坂というのよ 覚えておいてねと教えてくれた。
真っ暗だったけど。



















んで
とんで
兄弟歌喧嘩大分編をくりひろげ
その日のよる

ウコカと町にくりだし
最後は一人でフラりと入った店で出会った隣の人
こういう町にくると一人でふらっと行きたくなるがいつもなんかしらおもろい出会いあり。
写真からも伝わるとおもうが 社長さんもこのお店もおもろかった。
掲載承認済み。
ほんで翌日延岡到着。
ゆっくりとした場所はやっぱりあってほしい。
最高な夜にむけ

コ-ラス隊のおばちゃんとリハーサル
ウコカ 誠人と
おばちゃんたちのテンションにこちらももりあがる。
合間みてソウルフ-ドのひとつ みんみんのあんかけ焼きそば。
これと天領うどんね。
そして
リハーサルの合間みて
こちらもつり上げたキビレチヌ
この場所 中学から通ってる穴場
そしてわたくし始めてルアーで釣りあげ感動。
昔、つっちゃあ逃がしとか言っていたがここにきてキャッチアンドリリース。
堤防菜の花。
いつもこの時期 おくってもらう 延岡名産 飛んでる玉ねぎ
全国に出荷されるほど 美味しいのとUFOみたいな形だからこのネ-ミングがついたとか
一個一個ひっこぬき こうやって洗ってくれてるからネギの部分もおいしくいただけるんだなぁと
おばちゃんに感謝。
遊び場だった神社にもお参りし。
最高な夜はブログにも書いた通り 最高で贅沢な夜に。
写真は途中よりでてきたミラーボール。
高校時代から演出家本田誠人にはびっくりさせられっぱなしだ。
深夜 一人 懐かしいファミレスへ
デニーズみたいでデニーズでない ジョイフル
ここにくるために小銭かき集めカレーとコ-ヒ-
ギタ-のことやらはなしたことも
あと一円がなくて
ゲラゲラわらって
とりいくじゃんけんしたこと
そんな友達をおもいだしたりして
黄色爆弾
黄色い拍手。
同級生の家族集まりへ
このあと 酒がまわりちょいと横になった瞬間に
このわるがきトリオを筆頭に集団リンチにあう
このときはまだスマホに夢中。
ほんでそのあと大人男子だけでのみ
でも結局 こちらも 写真見せあいこなんかしてスマホに夢中になったりして。
こちらパカパカにて対抗
ほんで宮崎市内では桜前線歌吹雪を
ここはライブハウスではなく バーであったが
音の感じも店の雰囲気も好きな感じで
はじめて演奏したがまたきたいとおもった。

そこで 共演した
泣虫パンチがかっこいい
前にライブをみさせてもらった時もしびれた
すごく好きな兄さんたち
そんでボ-カルギターのけんたさんは
ひものやさんもやっていて こちらも肉厚ジュ-シ-でうまい
なんつうか 人となりもかっちょいいのよね。
宮崎には神話があって
祝子川も関係していることを知り、ほ-っと
空港にて
また一時さらば宮崎
このたび  金曜夜9時放送のキメ☆パピチという番組に出演することにあいなり
羽田からそのまま テレビ神奈川 TVKへ
写真はエンプティ-ブラックボックスのヤツくんにもらったメガネ
宮崎でなくしてしまったと勘違いし同じものを買ったあとにでてきて 二個所有。
番組出演時にはこれをかけることに。
ほんで
翌日 渋谷にて ライブ
この日も自分の好きな歌歌いと共演。
アジアサンライズさん イヤホンから力をもらってる人です。
自分がかっちょいいとおもえる人とのタイバンは
自分をみにきてくれた人にもぜひみてほしいとかおもってしまう。
人はそれぞれだから あまりいわないけど。
ライブを決める時は 何かしら 自分がおもえる人を心がけているが
この日は特にそんな気持ちだった。
写真とらないのよね こういう時にかぎって。

下北沢 書いた 場所。
お世話になったステージ。
横丁。
何度ものぼっておりて。
たこ焼きやのおじさんもだいぶかわるだろうね-と。
新しくなる下北沢だ。
最後の下北沢駅、ありがとう。


♦独占企画 諭介がお答え致します
■「お坊さんの温もりの話、人の中に赤い海があるっていう話も面白かったです。 そんな風に考えたことなかったなぁ。 ライブ中のメンバーやお客さんの海が、みんな同じように熱が上がって、 同じように波打ってたら素敵ですね。でもそうかもしれないですね。 MCのときにしーんとしたときは海が穏やかなんでしょうね。もしくは引いてる(笑) そしてやっぱり、人は生きていればあったかくて温もりを持っているんだと思うと、 いつもより優しさとか思いやりに気づけるような気がしますね。 桜が咲いてきました。スキップしたくなるのも、 あったかくなって、自分の海の魚が跳ねたりするからかもしれないですね♪♪♪」(A.T 2013年3月21日 14:22) 
→すごい、わかりやすい 引くって、潮が引くからきてんのかもね、いやはや。 

 ■「温もり・・・諭介さんのいう血の温もりと違うかもしれないけど、私も温もりについて感じたことがあった所でした。私が思っていたのは言葉でも態度でも温もりを感じられる人が好きだなあって。 実際に触らなくてもその人の体温を空気や雰囲気で感じられると安心します。 逆に言葉は優しくてもただ並べただけの血のかよっていない言葉には温もりを感じられなくて寂しい気持ちになります。 私だけじゃなくてきっと誰でもそうなのかもしれないけど人って寂しいから温もりを感じられるものに触れると嬉しくなるのかもしれませんね。 あったかくなってきましたね。花粉症お大事に。」(夕陽 2013年3月21日 15:15) 
→音楽ってのも実際触らなくても熱を感じられるものかもね。やっても聞いてもね。不思議や。どうせなら熱のあるものやりたいわ。 

 ■「中尾さん、おはようございます。血潮について、自分の赤い大海原を持っているって、とてもロマンがあります!生きるということの可能性をおおいに感じさせて頂きました。また、血の温度というものに、太古からずっと繋がっている人類の生命を、そのぬくもりの尊さを、改めて気づかされた気持ちです。 こちらのタイトル通り、馬鹿野郎が好きなんですね。。それでは、嫌いなものは何ですか?難しかったら、嫌いなお酒は何ですか?ちなみに自分は、どうも慣れないもんだなぁ、建前とウィスキーです、、」(高野 2013年3月24日 7:14) 
→建前ね 一応辞書で調べたわ、でも 自分もやったりしてるかもなっておもったわ、 建てといてさぐりあう めんどくせぇけどね そっちのほうが奥ゆかしかったりスムーズなこともあるんだろうとおもったわ 大人や。 嫌いなもんはありすぎるけどとりあえず今浮かぶのはプールやら銭湯でのカビのはえてそうなタイル その上を裸足で歩くこと。

 ■「『だくちるだくちる』!! この絵本とインザスープのコラボなんて素敵すぎる。 うわぁ 聞きたかった。 ……思わず熱くなってしまいました(笑)。 今回のエッセイを読んで 最近 出会った「魔法瓶効果」という言葉を思い出しました。 世間は情熱を消そうとする。 夢を語っても「そんなのできないよ」と言われがち。 だけど 同じ熱を持っている人と いつも語り合うことができるなら 一歩ずつ進むことができる。 熱を持つ人と出会い、語りあうことで お互いの熱を温め、保温しあうことができるから「魔法瓶」なんですって。 諭介さんは素敵な「魔法瓶」をお持ちですね。 今年もその温度のお裾分けを楽しみにしています。 では」(by.まり 2013年3月27日 5:34) 
→素敵な言葉やね きっとずっと残る言葉や  教えてくれてありがと。