2012年9月27日木曜日

Vol.151「自分にルールがあるとしたら」の巻



あーつい秋あーつい秋あーついあーきみーつけたー。いつまで続くのこの暑さなんて思っていたら、いきなりガクンとさぶくなったり、まったく気まぐれな秋ちゃんに驚かされております。
いかがおすごしか、風邪ひかんようにしないとね。

毎日変わる季節っておもろい。季節がなく毎日同じだったらきっと人間どうにかなっちゃうんじゃないかしらね。あってくれてよかったなんてことちょっとおもったりもして、この連載も先月はお休みということで、毎月あるのが当たり前でしたが、ないとやっぱり寂しいもんだなとおもったりして。
ブログやチーッターで書けないこと、まして歌にもできないようなこと、この場も自分にとっては、書いてることは、くだらなかったり、実がなかったりするかもしれませんが、改めて自分を見つけたり、歌に繋がったりすることもあったりと、あってくれて嬉しい場所です。12年も続いてるのもびつくり。

おもろいだけでなく季節は、やっぱり暑かったり寒かったり、厳しいもんでもあるけどね、ブルーシートで生活している先輩方をみていても、なんにもしていないように見えて、直接的に季節とやりあって、向かい合ってる。それだけでもかなり過酷な道を選ばれてるようにみえる。年中同じような気温調整された室内にいるより、風や雨や気温や湿度、空の動きなんかを嫌でも体、皮膚で感じとりながら、都会にいながらにして自然と共に生きているんだろうなとおもったりもして。働こうとおもえば何かしら仕事はあるだろうし、できるだろう人がほとんどだろうに、それを選ばず、ブルーシートを上手く使って清潔感すら感じる立派な家を作っているのを見たりすると、世に流されず人としての高みを目指し己の道をいく修行僧のようにみえたりもして。

大学時代ヒッチハイクで山中湖のほとりに降り、夜なかにぼーっとしていると、宿なしらしきおじさんが「一緒にのまねぇか」と言って一升瓶を見せてくれ、のみますと言うとゴミ箱の中からチップスターのカンカンを取り出してきてそれに酒をついでくれて、一緒にのんだ。お礼にタバコをさしだすと、「いや、あるからいい」といってポケットから自分のタバコを取り出したのだがそれが全部しけもくで銘柄もバラバラだった。なんかかっこよかった。そのおじさんにしてみれば自分のルールに従った当たり前の行為だったんだろうが、なんかかっこよかった。いまだに残ってる。また、路上で歌っているとギターケースに入れていたお菓子を「これくれよ」と言ってきた宿なしのおじさんもいた。「いいよ」というと嬉しそうにもっていった。後日同じとこでうたっていると、同じおじさんがきて「にぃちゃんの歌好きだよ」と言って1000円札をギターケースに入れていってくれた。きっとお菓子のお礼だったんだろうな。もちろん十人十色、色んなひとがいるだろうけど、何をしていても、どこにいても世に流されず自分のルールをもってる人はかっこいい、たった一瞬、わずかな時間しか会っていないのにずっと残る。
自分はあの独特な匂いに慣れてしまいたくはないのでその道を選ばないが、ブルーシートをみるたび時々おもいだし、足元を見失うなよってメッセージを勝手に受け取ったりもする。

厳しい道、自分のルールと言えば最近、映画の公開にともないテレビや本などで高倉健さんをよく見かけられてうれしい。高倉健さんはここでも何度か話させてもらってるが、十代のころ自分が影響をうけた人物だ。映画やCMでもみていたが、それよりも「あなたに褒められたくて」って健さんの書いた本に感銘をうけた。将来のことや弱い自分、どう生きていくべきか探し求めていた時代、ふと本屋さんで出会った本。そこに書いていたのは健さんが旅や映画で出会った人達とのこと、決して派手だったり大事件が起こるわけではないんだけど、心と心のお話が静かに語られていた。人を想うことがとても素敵におもえた。そんな本を読んで映画を見るとまたぐっとくる。

このはなしもここで何度かしてるかもだが、下北沢風呂無しアパートに住んでいたころ、居候していた弟と健さんの任侠映画にはまってた時があった。あるライブの前夜、ライブに備えて寝ようとすると、引っ越してきたばかりの学生さんらしき者たちが女子を呼んで宴会をはじめた。
これがかなり騒がしく、こちら翌日のライブに向けて神経質になっていたため、こりゃたまらんとガバっと起きて隣の部屋の中へ怒鳴りこんだ。人足遅れて、弟も上がり込んできて後ろについたのでぱっと振り返りみてみると、弟がサラシを腹に巻いて睨みをきかせて立っていた。吹き出しそうになり、こらえて先方に気をつけるよう伝え、部屋にもどって大爆笑した。健さんの影響力はこんなとこにもあった。
いや健さんの任侠ものもいいのだが、どちらかといえば、静かに憤りや悲しみを内側で燃やしてる映画にぐっとくる。
それはこの本の影響だろうな。けっして文章がうまいって感じはしないんだけどね。10代の自分にも伝わってきた何かがあった。

最近健さんのドキュメンタリーがあったのでみた。健さん81歳、思えないほど背筋が伸びててしゃんとしてる。こちらも心がしゃんとなる。共演者の演技に涙ながしてる健さん、81歳で俺もまだまだだなぁって言ってる健さん。「自分にもしもルールがあるとしたら、それはやっぱり母親でしょうね、母親に恥ずかしいことはしちゃいけないっておもってます」と81歳できっぱり語る健さん、やっぱりかっこいい。感銘を受けたのに、憧れなのに、ちっとも、これっぽちも、いやまるで間逆の自分がここにいることも知らされたりして、だからかやはり憧れの人です。お会いしたこともお話ししたこともないのに、いてくれてよかったとおもえる素敵な人です。俺もいつまでこうしていられるかわからないからインタビューを受け真実を話しとかなきゃって言ってましたが、これからもまだまだ映画に出演していただきたい、元気でいてもらいたい、先頭を走り続けていただきたいと勝手ですがおもいます。

やはり誰もみていないからと言って手はぬけないものですね。健さんは普段からそんな自分のルールを基準に生きてらっしゃるから、スクリーンに映った時、その存在そのものだけで、人を動かしてしまう力があるんだろうなぁとおもいました。誰に知らせるわけでもない、自分だけのルール、自分のためのルール、持って守ってる人ってやっぱりかっこいいです。
タバコを受け取らなかったおじさんにしても、1000円いれてくれたおじさんにしても、自分の中のルール持ってるか持ってないかって、ふとさりげなく出ちゃうものなんでしょう。損や得だけで生きてない、そういう人に会うと自分も恥ずかしいことできないなっておもいます。自分を見直させられます。母親にでも、お天道様にでも、ご先祖様にでも、自分の中の何かに恥ずかしくないように生きるって、当たり前のことのようで、できてるかと言われたら謝りたくもなりますが、きっと自分の中のそんなルールというのは、その人を内側から輝かせるものなんだろうとおもいます。何をやっていても、お天道様に恥ずかしくないように、そうやって日々生きたいもんです。

また、その本の最初のページには一行だけ、「人が心に想うことは誰にも止められない」とあって、噛みしめごたえのある素敵な言葉やなぁと改めて素敵な気持ちにもさせてもらいました。
読書の秋、「あなたに褒められたくて」おすすめです。

空気が透明になって、よくみえる。くもりが消えて、よくみえる。
秋は好きな季節。
この季節、たくさん素敵なものや心や音楽、景色、食べ物や本に出会えたらいいなぁとおもいます。
そしてその清潔な空気の中で、心震わせるもの達と出会う度、自分を感じ、確かめられたらとおもうこの秋です。
よい秋を。
ハバナイスオータム!です。
また来月会いましょう。
歯医者いったらば、ここを紹介されて、いざちょっとした手術へ。おっかない。
まじで恐すぎると思っていたらあっという間に終了。 でも助手の方が研修生らしく、手術中に「〇〇とって」と言われて「これですか?」「いやそれじゃない」を何回か繰り返すのやめて! 不安になってまうからっ。器具の名前は覚えといてもらいたい、よろしくお願いします。でもあっというまにおわったし術後もいたくなかったので、よかったです。ありがとうございました。

川の水面に。

一服してたら写真を撮ってる人がいたので、なんだろかとおもってみてみたら、虹。
歩いてた人達も立ち止まってみんなぱしゃぱしゃ。おっとおもい自分もぱしゃり。電線の弦の向こうになってもうたが。みんなを立ち止まらせる虹ってすごいなとおもっていたら、むこうより手つないだお父さんと小さな女の子。お父さんげらげらわらってもう一回なんて言って娘にリクエストして、ちょうど自分の目の前で女の子が「いくよ」って言って、ぶっ!って屁をこいて、お父さんゲラゲラ。こちらもマジかよと、くすくす。誰かに伝えたくなりブログかツイッタ-にて伝えたくなったが、よく考えたらできすぎたハッピージャック、どう伝えていいもんかわからず、ただ一人こんなこともあるんだなぁと余韻にひたった夕べ。

水たまり。
秋はいろんなもんがキレイにみえます

自分の住んでる町のお祭り。自分は町内会やら消防団には入ってませんが、住んでるとこのお祭りが賑やかだと、うれしい。写真はお祭りの準備のため何日も前から集まっては飲んでるおいさんたち。

キレイなんだな。

K主催のがんばってるぜ日本。
のりで始まった、マラソン大会。今回はsunaoの
清古くん、無事完走しライブやりで、
やりきった顔がいかった。