2012年3月27日火曜日

Vol.146「感謝」の巻



春の日、ガシガシ。今年も鼻は垂れても知らんぷり、花粉症じゃあ-りませんよ作戦で突っ走ってる今日この頃、いかがお過ごしか。今年の春はさみ-ね。

最近おもうのは「音楽ってやっぱりいいな」ってこと。 音楽があってよかったとおもう。音楽をやっているのだから、それは当たり前のことのようだけど、当たり前のことをなんべん感じても飽きないのだから、音楽ってやっぱりすごいやつだ。それは聴くのでもやるのでも。いや、同じとこにいるとやっぱり飽きたりもするけど、違う場所にいくとまた新しい発見があったりもするから面白い。

僕にとっての音楽の効用は、力をみなぎらせてくれる。楽しい気分にさせてくれる。もの事を考えさせてくれる。懐かしい気分にさせてくれる。昔聞いてた頃に戻らせてくれる。そこから今の自分を見せてくれたりもする。今から未来を予感させてくれる。共感、憧れ、脱皮、標識、何かが書きたくなる何も書いてないノ-ト。宇宙と心が響きあい始める。自分や人の存在を感じることができる。信じることができる。悲しい心に、ぬくもりを教えてくれる。窮屈だった心が脱獄して疾走する。人と出会わせてくれる。壁の大きさを知らされる。自分の嫌なところや小ささを知らされる。小さくても無敵になれる。普段言えないことを言わせてくれる…等など、あげたらほんとにキリがないけど、時々によっていろんなところに連れていってくれる。次の場所へと連れていってくれる。

音楽を聞いたり、発したりできることは幸せなことです。 なんだかんだと言って心の中に音楽を流せる部屋がないと音楽は流せない。聞くことも発することもできない。

去年、3月11日の地震、地面ごと揺さぶられ、映像で津波を知り、何もできないことを知った。宇宙を感じるだとかなんとか言っても、この自然の中で生きてる自分達の暮らしそのものからひっくりかえされたら、やはりそれどころではないことも知らされた。自然があり、その中に自分達の生活があって、音楽があるんだとわかっていたつもりでも、それはやはりただのつもりだったこと、体ごと知らされた。

地震から数日が経って緊急でいくつかのライブハウスにて歌った。自分のやってきたことで、無力ながらもそうやって人に会えたり、そこで発せることはありがたくおもったし、できるだけいつも通りにともおもったけど、どっかが歪んでたように今になってはおもう。

地震後、はじめてバンドのメンバーとリハーサルをした時も、始まる前はいつものように話して、笑ってはいたものの、いざ音を出した瞬間から、それまでとは違うスイッチが入ったのを覚えている。
今までやってきた曲も、明らかに一人一人が今までとは違う音を出してた。音というよりももっと違う何か。スタジオが割れてた。

どちらもあれは、今おもうと、受信した電波にアンテナがついていけず歪んたようにおもう。

これも今おもうとだけど、どこに向けたものなのか「悔しい」っていう感情が前面に出て歪んでたんじゃないかとおもう。

一年がすぎて何も変わらず忘れてはいないつもりでもいたが、去年の映像などを見ると、薄れていた何かに気づいたりもした。忘れちゃいけないことだとおもうし、一つ一つかみ砕いて徐々に次に向かっていくことも大事なことやとおもう。

昔聴いてた音楽を聴くと、そこに戻って今の自分を見るように。自分にとって3月11日は、あの地震に戻って今の自分を見る日になるだろうなとおもう。
音楽を聞くことができること、発することができることをありがたくおもい、これから先も、今までにはなかった歌を、音楽を生み出していけたらとおもう次第です。

ビルの谷間の公園ガラン。遊具が遊んでる。

夕暮れ。

そのポスターに書いてあったメッセージに力をもらった。

居酒屋のトイレに貼ってあったポスターにひきこまれた。