2012年12月28日金曜日

Vol.154「実感2012」の巻

すっかり寒くなって、街の灯りがキラキラゆらゆらみえる今日はクリスマスイブ。いかがおすごしか。メリークリスマス。
いやはや今年もあっという間にクリスマス、ここまできたら年明けもあっという間だ。師走のラストスパート、スピードあげてハッピーニューイヤーだ。であるからしてこの辺で2012年を実感するべく振り返ってみたりして2013年への心の準備をしようとおもう。

いきなり話はそれるが、こういう時にブログは何があったっけなぁと記録が見られるのでやっていてよかったなぁとおもう。
もう少しそれると、ブログってなかなか会わない友達の近況やその子供の成長なんかも知れたりして、久々に会っても、こちら一方的ではあるが、近所のおじさん的な気分でいられるという利点もあるなぁと最近きづいた。これ、こういったものがなかった頃はなかった頃で、久々感や、その間なにがあったかを話や表情から察したり、想像したりといいこともあったけれど、ほんのささいなことを知れて、離れていてもいくつかの同じ出来事を共有でき、近所のおじさん的な感覚でいられるのはおもろい。自分が子供の頃はやっぱりいろんなおじさんやおばちゃんの中で育ったんだなぁと感じる。おっかないおじちゃん、やさしいおじさん、おもろいおじさん、挨拶しても返さないおじさん、いつも裸足で歩いてるおじさんとか。世界は広いし日々いろんな出来事がおこっているけど、小さい頃の近所でのできごとや風景はその頃の世界のほとんどだったようにもおもう。その小さくても確かな世界の中でのおじさんやおばさんの存在は、自分にとって今になっても大きい。
であるからして一方的にでも自分が近所のおじさん的な気分になれるのは嬉しいもんです。

カンバック、そう今年1月は札幌の雪景色というかもう雪の中、ペンギンになって歩いた。あっという間にふわふわな雪が積もり、テンションがあがって落としてなくしてしまった財布が何時間か後に雪の中からみつかった奇跡。ライブは札幌4デイズ、毎回全然違うステージで歌い、いろんな人に会えた。大泉洋さんみるたびおもいだすが、今のとこ札幌ライブ予定なし、いくと近いじゃないか、毎月これるじゃないかとおもうも今のとこ予定たてられておらず。2013年もどこかのタイミングで行きたいとこです。

2月は、いつものメンバーで恒例になりつつある節分ライブ、この豆まきにて今年の福は内にきたに違いなし。2013年も福を呼ぶべく近々作戦会議なり。

4月は一人でどこまで歩けるか大会。渋谷よりなんとなく歩きだして横浜まで。当初どこかで歌いながら旅できたらとおもっていたがそれどこではなくなり結局家に帰りギターをおろし、ギターを弾かなかったことに気づく。ココペリ亭との出会い。
より確かなものを時々実感したくなる。歩いて移動する、前に進む。結果人間の足は長い距離を歩くと痛くなることを知り、遠くの部族と交わり争わないようにしたのではないかと推測したりする。

5月、久々のインザスープ、変わらぬものと変わったものを実感、夏のツアーそしてジュテームへ向かう。

6月、毎年やってくる誕生日、レアリーですか?39と、来年は40であることを実感、おじさんど真ん中。

7月、k主催のイベントにて40キロマラソンしたあとにライブする企画遂行。がんばってるぜ日本。先の横浜があったからか、ギターもなく足の痛さもさほどなく筋肉痛もなかった。人間の足は慣れることを知る。そして自分の場合肉体を使うと猛烈に肉が食したくなることを知る。ライブは鼓動が速くテンポがあがった。音源季刊バッカス夏号を発刊。

8月は地元延岡にてライブで帰郷。近くの川で30センチオーバーのクロダイを釣る。刺激的なライブ盛りだくさんの月。
久々インザスープで名古屋、大阪でドカン!

9月、スマートホンにするか迷い携帯の電池パックのみを買う。

10月、ジュッテーム!季刊バッカス秋号発刊。

11月、手帳を買い今年も残りわずかを実感する。

12月、季刊バッカス冬号発刊へ向けてレコーディング。


以上2012年なにがあったかをざっと並べてみたが、もちの論介、このほかにもあんなこと、こんなことたくさんあった。
んが、ライブ以外では、横浜までギターをかついで歩いてみたことが自分にとって2012年の象徴的な出来事だとおもう。

どこかに向かう時の基本を実感。体一つを実感。体の痛みを実感。
どこかに向かっているつもりでも、何か流れていってるような感覚、自分の中のズレを感じる度に頭の中でおもい描いてたことを実際にできた。やってみたらば足が痛くなった。朝方の小雨ふる横浜駅の前で、自分で笑えるほど足がいうことをきかなかった。今おもえばそれだけでも歩いてみてよかったなとおもう。自分の分を知れた気にもなれた。夜中へばったころに耳にイヤホンをさして音楽を聞き始めると、気分が俄然盛り上がり、いつのまにかすいすい歩いていて、音楽の力ってやっぱりすげぇなとも改めて感じられた。
そんでココペリ亭という素敵なライブバーにたどりついたこと、いま思ってもわくわくする。ちょっと素敵なことって自分のアンテナを磨いてる時におきてくれるみたいで、なんとなく行きたい方向へどこまでも歩いてみたのは自分にとってのアンテナ磨きにもなってたんだなぁとおもったり、本当は自分にとってちょっと素敵なことっていつもまわりにあるんだろうなとおもえた。歌はきっとそんな場所からやってくるんだとおもう。

そんな自分の2012年、アンテナ的に言えば、受ける年だったようにおもう。
2013年は自分を磨きながら今年よりも発信、ちょいと前のめり、で肩の力ぬいて軽く「ガツガツ」の「ガツ」くらいでいけたらとおもう次第です。

今年2012年も月1のこの場所を気にかけてくれてありがとう。
2013年もこの場所、ほんでライブで会えたらとおもう次第です。
2012年、ラストスパート、いい年を迎えたりましょ2013!
ハバナイス師走!

かわいらしか
落ち葉
建物の中で生きる自分と宇宙の中で生きる自分と

新橋の公園
イースタンユースを聞きながら


銀座の交差点にて
かなりなつかしいアルトを発見
記憶にある我が家の赤いアルトを思い出す
老夫婦がのっているのもなんだか素敵でおもわずバシャリ

季刊バッカス冬号へ向けて

◆独占企画 諭介がお答え致します

■「こんばんは。
新しくなってからは
ここのコメントから
メッセージ送れるんですね。
わかりませんでした(笑)。

さっそくですが、冬の好きなところ。
ふわふわもこもこしてるものを
身につけられるところ。
すごくあったかい格好をして
キラキラした街の中を歩くのが好き。
あとはスターも書いてたけど
あったかいものが美味しいところかな。
クリスマス、お雑煮、こたつ。
今年はカウントダウンが
ニックバッカーズなのも楽しみの1つです♪

ちなみに冬の嫌いなところは
寒くて朝なかなか布団から
出られないところです(笑)」
(2012年11月28日 17:15 by A.T)
→んだね、あったかいものってありがたいよね
年いくごとにそんなことに感動したりしちゃうこの頃やわ。

■「こんにちは。冬の好きな所、楽しみはやっぱり雪かなあ。寒いけど降るとテンション上がりますね。降る前は気温が下がりギューって寒くなるけど降ってしまうと何だかあったかく感じませんか?心の真ん中があったかくなる感じ。
あとまだ誰も踏んでない新雪の部分に自分の足跡を付けて歩くのも好き。

雪のせいか冬って私の中では静寂な白色のイメージ。
透明に近い白。

その冷たく透明な空気を思い切り吸い込んだ時に鼻がツンとする感じも好き。
冬が寒ければ寒い程、春がわくわく楽しいし、人の何気ない優しさがあったかく感じます。

あと、あったかい部屋で食べるアイスクリームは格別ですね」
(2012年12月2日 11:35 by 夕陽)
→まじかいな、白い雪の上歩くワクワクはわかるがわざわざあったかい部屋でアイスクリームたべるのね、へ-。あ、今回のバッカスは雪のこと歌ってるもんでぜひ聞いておくんなまし。

■「風が無く、音もなく、小さな雪がゆっくりゆっくり降りてくる時間。時間は止まっているようなのに雪だけがゆっくりゆっくり…。好きな景色です。

このまま雪になりたいと思います」
(2012年12月4日 20:19 by 泉)

→雪のふる景色ずっとながめてるとなんだかすごく不思議な世界にいくね。万華鏡の中にいるような。こんな世界があったんやって。札幌にいっておもったもんです。僕も好きや。

■「冬の好きなところ。

夜空、星がキレイに見えるところかな♪

あとは、ストーブの前で
暖をとっている犬の後ろ姿を見たとき、かな(笑)」
(2012年12月9日 20:59 by ゆな)

→すんごくキレイに見えるね、光がガラスみたいでユラユラして。犬も暖とるのね、喜んで庭かけまわるイメージやったわ、へ-。

■「中尾さん、こんにちは。いにしえ人の言葉に紡がれた自然の美味に激しく同意する感覚に開いたとき、時を越えて同じ人間という命の脈絡を感じます。歳をとって湯豆腐のうまさを知りました。寒ければ寒いほど胃袋に落ちる湯豆腐に感激します」
(2012年12月24日 15:35 by 匿名)

→そうなのよね 年をとる度ね 豆腐やなんかがね そのあったかさがね わけぇころにはわからなかった感覚を自分も楽しんどりやす。


素敵や。そうかやはりあの燃える感じは命の色なんだね。

いやはや
みんなにきいてみてよかったわ ありがとう。

2012年11月28日水曜日

Vol.153 「様々な色の中で」の巻

さぁいよいよ本格的に寒い風が吹いてきて冬になりますよ。
冬は体がぎゅっと固まってどこそこ痛くなったりして苦手だなぁとおもうも、缶コーヒーのあったかさがありがたく感じたり赤ちょうちんがきれいに見えたりと、なるべく冬のいいなぁも探しつつ冬を楽しんでいけたらとおもうこの頃、いかがおすごしか。

  最近、ツイッターでも書いたけど、晩秋から冬にかけて時々訪れるあったかい日のことを、小春日和と呼ぶと知った。 その言葉は知っていたけれど、てっきり季節は春のぽかぽかした気持ちのいい日に使われる言葉であろうと勝手におもっていたので、それを知った時なんだか洒落ているなぁとテンションがあがった。 それに加えて別名がインディアンサマーであると教えてもらい、ネイティブアメリカンってかっこいいなとおもっている自分はまたテンションがあがった。

 前々より暑くもなく寒くもなく湿気のないカラッとした日の気持ちよさを味わうたび、心になんのストレスもなくなって、ネイティブアメリカンの「今日は死ぬのにもってこいの日だ」という呟きをおもいだしていたので、さらにテンションがあがり言葉の由来や言い伝えを調べてみたところ、いろいろとあったがその中でも「神様が冬眠をするまえに一服をし、そのキセルからでた煙で出来た日」とあって、なんだか想像が膨らんで嬉しくなった。きっとこの言い伝えを聞いた人は自分なりの映像を頭に浮かべるんだろうな。それが何年も前に同じように気持ちがいいなぁっておもったひとが作った言い伝えだというのがおもしろい。残された言葉で勝手に感覚の繋がりを感じられるし、もうこの世にはいない人達に感覚を刺激されて一緒に遊んでるみたいな気持ちになれて、想いで旅できるのも嬉しい。いろんなことを想像させてくれたり、物語を感じられたりする言葉って心を膨らましてくれて、なんて素敵なんだろうかとおもう。

  最近は紅葉が強烈だ。公園の木々達が様々な色をみせてくれている。昔から紅葉を見てはきれいだなぁとおもっていたけど、今年の紅葉では、この強烈な色達は枯れていく色なんだなとふと気付かされた。枯れていくってのはなんだか寂しい響きではあるけど、その紅葉の強烈な色をみるに、枯れていくってのは力強いもんでもあるんだなぁと気付かされる。まだ緑のもの、少しずつ黄色がかっていってるもの、真っ赤にもえあがっているもの、様々なグラデーションがきれいに共存していて、ふと自分は今どれくらいの色だろうかと、自分の色を探してみたり、足元をみればカラカラになった枯れ葉がつもり土になってくんだなぁとしみじみとしたりして、葉は色を変えていくが、幹や枝、木を見ればいつの季節も根をがしっと張り、ぐねぐねでもまっすぐでもどちらも上に上に伸びていて、心は一生成長期であるなぁと、また力をもらったりして。

 そんな様々な色や形、生きざまをみせてくれる木々の中を走ったり、歩いたり、たちどまったりしながらいろんなことをおもったり、自分と重ねたり、わーすげぇーと感動したり、力もらったりしながらすごす時間、この季節とくに色鮮やかで楽しい。

  様々な木々の中をいくといえば、最近のライブ出演形態も様々で、弾き語り、Kのベースと二人での中尾と草場、パーカッション吉田くんとK、そして鍵盤大ちゃんと組んでる名は仮だがガッツジャポン、ニックバッカーズ、インザスープと様々。
 どの形態にしてもおもしろいとおもうことや挑戦したいとおもうとこが違っていておもしろい。自分としては舞台に立つ姿勢や心意気はどれも変わらないのだが、形態、共に音を鳴らす仲間が違うと変わってくる音や歌がおもしろかったり、新たな自分が浮き彫りになり発見できたり、逆に変わらないものを再発見できたり、今は様々な形態に刺激をもらい自分の幹の部分を膨らまさせてもらっているようにおもえる。いろんな形態があって少々わかりづらいかもしれないが、この季節の様々な音色を楽しんでもらえたらとおもう次第です。

  日々の気候も天気も季節も、木々も人も仲間も様々な色の中、、物語や景色、音、季節をたくさん楽しんで、心膨らませてぽつりぽつりと歌っていけたらとおもう2012秋です。ハバナイス紅葉。

  P.S. もうすぐやってくる冬の楽しみ、冬の好きなとこ、何かあったら教えてもらいたし。


子供の頃よりこういうとこで一杯引っ掛けてかえるのが夢だったことがある。サザエさんをみての影響だとおもう。
実際一人でふらっと入ってみたらば一人でも楽しめるつくりでおもしろかった。 立ちのみ屋。



で、その近くの釣り具屋にいく。買うものはないが時々いっては道具を眺め、餌を眺め、息抜きに。写真はマキエ。


友達が上京し、友達知り合いの回っていないお寿司屋へ。その匠の技に感動。失礼ですがまったくもって全然違うんですね。びつくりしやした。


 秋の空とクレ-ン親子。


 どんぐりも様々。


    紅葉。


    紅葉2。


     紅葉3。




2012年10月26日金曜日

Vol.152「ただ立ってるように見えるアンテナも一人で立ってるわけじゃないし、いろんなことを感じてるんだわさ、秋はそれを浮き彫りにする」の巻

 風、少しずつ冷たくなってきて、朝焼けはなんとも言えない色合いで素敵な一日を予感させてくれる。
透明で清潔なこの秋の空気が好きだ。ようやく秋が秋らしくなってきたこの頃、いかがおすごしか。

この度、この連載も今までお世話になったB-PASSより引っ越しして、今まで同様T氏の協力のもと、こちらで続けさせてもらうことになりました。これからもよろしくです。

月に一度のこの連載、秋がその清潔で僕の心を浮き彫りにするみたいに、なんでもないことでもぽちぽち書いていくと浮き彫りになってくこの場所はいつしか自分にとって欠かせない場所となりました。何でも長続きしない僕が連載初めてもう12年。好きで自分のために書いてるとは言え、T氏とここに遊びに来てくれるみんなのおかげやなぁと実感してます。ありがとう。

今月はインザスープ年に一度のワンマンライブ、ジュテームがあった。
完売御礼、集まってくれたみんなの顔が笑顔で咲いていて今も頭に焼きついてる。なんていい顔してるんだとそのエネルギーを体いっぱいに受け取って歌を音を発させてもらった夜やった。

人から力をもらって出せる力ってやっぱりあるんだなぁとおもう。
それは言葉だったり、笑顔だったり、その人が生きていてくれてるだけでも、勝手に力をもらってることがある。
それはもちろんバンドのメンバーの音でも僕の歌は変わったり。
最近気づいたけど、僕は一人で歌ってても自分の中でバンドの音が鳴ってんだなぁと感じる。その中で歌ってるんだと気づくことがある。
なんだかそれがおもしろい。

きっと誰でも全くの一人で生きてる人はいないんじゃないかとおもったりもする。
それに気づけるか気づかないかの違いだけやろなとおもう。不思議なもんやとおもう。この透明な秋はとくに、自分はただのアンテナみたいなものなんじゃないかと思うことが多い。いろんな人や出来事に動かされてる気になる。

ジュテームが終わった後、ライブに来てくれたギター弾きの15才の男子に「曲ってどうやって作るの」って聞かれた。
僕は自分でもよくわからないので、こっちが聞きたいわともおもい一瞬戸惑ったが、「いっぱい恥ずかしい曲を書いてみたら? 恥をいっぱいかいてみたらいいんじゃないか」的なことを伝えた。その男子にいっておきながら自分にはねかえってきた。

自分がはじめて作った曲は、いまだに最初の部分だけ覚えてる。高校の頃、何日後かに決闘をせねばならなくなり、恥ずかしい話だが非常に不安で一人でいるといても立ってもいられず曲をつくった。その歌詞が「人間には越えなくちゃいけない壁がある~ぅ」とかだった。
いきなり人間から入るあたり我ながら何様なんだろうかと、神様目線かよと、いまだに恥ずかしい。しかも曲調は当時聞いていた長渕剛の曲調でさらに恥ずかしい。その当時でもなんとなく長渕っぽいなぁとおもっていたが、やめとけばいいのに彼女に聴かせたりして、聴かされた彼女はお世辞も言えず、首をかしげたりして、こちらは恥ずかしくて顔が熱くなったのをおぼえてる。

でも、だからああいう恥ずかしい思いはしたくないなぁと、もっとましになりたいなぁとおもってそんなことを繰り返してるんだとおもう。
それからも何度も恥ずかしい思いはしたし、いまだにできた曲にがっかりして浅はかさをおもいしらされたり、恥ずかしかったりすることのほうが多い。それでも一年に何曲かでもライブで歌いたいなと、ずっと歌っていきたいなぁと思える曲が出来たときは何よりも嬉しくて空が晴れる。たぶんそんなことの繰り返しなんだろうとおもう。最初からすんなり作れる天才でありたいところだがどうやらそういうタイプではないようで、あっちでぶつかってこっちでぶつかってタイプのようだ。

自分にとって曲はホントに不思議なもので、一回作れたからといって次も同じように作れるかというとそうではなく、また全くなにもないところにもどる。パソコンや携帯の操作方法やノウハウがあるものは、一度覚えるとずっとつかえてやれることが増え積み重ねられるけど、曲作りは空き地にもどる。できた時はあんなに自信満々だったのにまた何にもなくなる。だから教えられることがない、不思議なもんだなぁとおもう。

心はきっと色んなことを感じていて、ただの言葉にできない秋の朝焼けみたいなものがメロディーと一緒になった時や、過去も現在も、未来さえ通してしまうような線になった時にやっとできたとおもえるんだろうとおもう。慣れてしまうと曇ってしまってやっかいだけど、だからおもろい作業なんだろな。だからまた自分でも一見わけがわからなかったり、なんじゃこれとおもっても、心地よく線が通ってるようなものができたときがおもしろくて、それをおいかけてるようにもおもう。

だから遠くまで見える透明な空気感の秋は、アンテナも光って遠くの電波もキャッチできるような気分になって好きや。
読書の秋、芸術の秋、聞いて観て読んで食べて感じて共鳴して、たくさん心響かせたい秋であります。
ハバナイスオータム!



シェルター楽屋より
何度この扉をあけてあちらの世界に
とびこんでいったんだろ。


ニックレック
メンバーそれぞれアンテナたてて
今の音をキャッチ中。


秋はポストも光ってる。


んだ曲は匂いのようなものでもあるね。


高田渡さんの映画をみて
生活の柄という曲にはまる。
秋は秋からは浮浪者のままでは
いられない。


みえてますよ


ここには一度行ってみたい。名前勝ち。


東京タワー
のぼったらみえないから
ながめるものなんだろな


ふむやつ。
エレキのときずっとこれ一個。
音がジャ-ンとなるやつ。
やっとわかってきた。

◆独占企画・諭介がお答え致します

■「私は高倉健さんの「本気ならそれが滲み出てくる」という言葉が気に入って、メモしました。滲み出したい!
ジュテーム、少し遅刻したものの参加できました。自分の実体験と重ね合わせて曲を聴くことができるようになっていました。特に身に染みたのが「テレフォンミー」(笑)。

曲を聴くと、自然とサビが口から出てくる感じが、「ああ、私はインスーの曲を体で覚えているんだな」と思いました。

楽しい時間をありがあとうございました2012108 7:31  by.みい
一回体にしみちゃうと一生もんやね、そこにふれると細胞が開く感じ、こちらも同じくや。 

■「・ たい焼きは頭から・おでん最後はこんにゃく・毎月ここへメッセージ。私の中にもルールがあります(もっとかっこいいのもあります!笑)。でも自分だけの ルールは、誰かにとってはどうでもよくって、わがままや頑固に思われちゃったりするかもしれないですね。会社や学校なんかのルールは面倒くさいな、堅苦し いな、なんて思ったりするのに、自分のルールは守ってる方が簡単で、壊す方が難しい。だから、ときどき誰かが私の教科書を破ってくれると、それが逆に心地 よかったりも。最近では稲毛のライブハウスにマラソンで行く人がいたことにそう思いました(笑)。健さんもきっと諭介さんに会ったら笑うんじゃないかな。 今日はまだなんとなく、あーつい秋です。ジュテーム楽しかったですね20121012 15:28 by. A.T
 んだ、おもろかったね、 破られる気持ちよさもわかるねたしかに。そういうことも増やしていきたいわ。

■「諭介さん、こんにちは。
自分のルールって考えた事なかったけど、そういうものを持ってる人って周りに流されず、どこか凛としていてかっこいいイメージです。私もそんな人を目標に自分の中のルール、失くさずいたいでそ。

話 は変わりますが、今年もジュテーム行きましたよ! 普段あまりやらない曲をたくさん聴けて嬉しかったです。昔は当たり前のように毎月観ていたインスー (笑)を年に一、二度ぐらいしか観られなくなったのは残念だけど、それでもこうやってジュテームの日だけは変わらずみんなで盛り上がれるって幸せです。こ れから先もずっとジュテームだけは続けてほしいな。うーーんと将来、おじいちゃんになった諭介さんが「むし」でジャンプするのも見てみたいです(笑)私も 一緒に跳びたいから足腰丈夫にしとかなきゃ!20121014 10:50 by. 夕陽
 だは、年相応になってくやろなぁ。跳ばなくなっても跳んでるように見える技は会得してるやろなぁ。

■ 「こんにちは。健さんの本持ってます、中尾さんのブログ見て。あまりにもやさしくて繊細で丁寧でエネルギッシュで。この本読んで高倉健さんにびっくりしま した。一本きれいな芯が通ってる人は自分のルールを持っているんですね。秋空のように清々しい気持ちになりました。ありがとう。p.s.中尾さんと弟さんと似てるところはどこですか? ちなみに自分と弟の似てるところは、、AB型なところです。20121023 14:47 by. 記名無し
 お-健さんの本買ってくれたんやね、なんかうれし。清々しい気持ちになるのわかるね。弟と似てるとこは声って言われたことはあるね。似てないとこは兄のほうがハンサムというとこかしら。