台風一過。キレイな空気、透き通る空。どこまでもみえる。
さらさらしてて気持ちいい、気持ちがいいのがなによりだ。
天気にかかわらずいつでも、何かを決める時、向かう時、こういう気分を忘れたくないもんです。
いかがおすごしか、元気ですかと聞きたくなる、そんな日。
さて、いよいよインザスープのジュテームがせまってきた。ちとやっぱりドキドキする。
ジュテームにあたり、2000年からのインザスープのライブ映像を収めたDVDを発売することになった。そしてこの頃はその編集された映像を一曲一曲チェックしたりしている。
「証拠は残すな」「過去は恥だらけ」「ライブはその一瞬の爆発」とかなんとか、なんとなくおもっているんだけど、たまには過去の自分らと向き合ってみるのもおもしろいもんでした。
過去のライブ映像をみて、本当にいろんな気持ちになった。
馬鹿だなぁとか恥ずかしいとか、でもどっか負けてんなぁとか、今だったらとか、なんかグッときたり、本当にいろいろだった。メンバーそれぞれに、一緒に歌ったみんなそれぞれにそれぞれのインザスープがあるんだなぁとおもった。
ふとインザスープがうまれた頃を思い出す。
大学2年の春、テニスサークルを主宰していた友達から新入生のためのサークル説明会があるからそこで歌ってくれと頼まれて、教室いっぱいの新入生の前で即興で歌った。
自分の出番が終わって喫煙所で座って一服していると目の前に男がきて、「さっきの歌よかったです」と言ってくれた。ほんと? ありがとなんつってすぐに仲良くなって一緒に飲んだりして音楽のことやら、最近おもっていること、自分だけがおもっていたことやらを話し合った。それがベースのKだった。
同じころ、ぼくは数か月だけ軽音楽部に在籍していて、部室でギターを弾いていた。扉が開いて「ギター上手いじゃん」と入ってきたのが学年いっこ下のドラムの吉田君だった。
吉田君とKと数人でよく一緒に飲んだ。大学1年の頃、僕がヒッチハイクで旅して見てきたことやおこったことを話したりして、翌年にはみんながしてきた旅の話を聞いたりした。飲みながらよく歌った。みんなで楽器を演奏して即興で延々やってた。
ロック酒場に飲みにいき、金がなくなったからと歌いに行って稼いで戻ってきてまたお金がなくなるまで飲んだり、カップルが集うデートスポットへいき、「あなた達のために歌をつくらせてください、どんなのがいいですか? ハワイアン? おっけーじぁやってみよう」なんつってただただ盛り上がったりもした。
とにかく世の中にあるおもろいこと……というよりも、おもろいことは自分たちで見つけた。
自分らがどうおもうか、もっとおもれーことはないか。できないことは何もないと。何にもなかった分、無限の自由の中で遊んでた。だからすっからかんだったけど、本当にゲラゲラ笑った。
でも一緒にバンドを組むとはおもってもなかった。
吉田君もKもギターのハチも軽音学部にて同じバンドをくんで活躍していたし、僕は僕で路上や畑の真ん中やらで歌えてればそれでよかったし、自分はバンド向きではないとおもってた。
時々、最近どうよ、なんつって飲んだり、歌ったりして、そんな感じだった。
僕は1年先に大学を卒業して、下北沢で暮らし始めた。そんな時みんなのやっていたバンドが解散するとなって、吉田君より、バンドを一緒にやらないかと誘いをもらった。
バンドというものに馴染みがなかったし、バンドは狭いとこででっかい音を出すという印象しかなかったので答えに躊躇した。んが、おもれーことを探しにいく感覚やら、宇宙感は共に何度も味わってきたので、何かやらかせそうな気分でわくわくした。
お互いに大学を卒業してから組むということで、ここは本気で一つやらかさなくてはと、何度も話し合いバンドをやることにした。その頃本を読み感銘をうけた坂本龍馬になぞらえて、脱藩したろうと、音楽のジャンルにとらわれず、日本から飛び出して世界のバンドになったろうと、目標はウッドストックだと。
そうやってみんなですんなりウッドストックを目標におけるのは、路上でうたったりした時の感覚、即興でどこまでもいけそうになる、無敵感をみんなで味わってたからだろうとおもう。
僕にいたっては、ニルバーナやらレッチリやら、みんな知ってる洋楽さえ知らなかったし、本格的にバンドを組んだこともなかったけど自信だけはあった。歌の中にいる時は誰だって同じ、路上でもライブハウスでも、ウッドストックでも。そんな感覚を共有できるメンバーとだから、どこまでも夢がみれるし、そこへ向かえる。根拠のない自信とよく聞くけど、そういう感覚を共有できるというのはバンドにとっては十分な根拠だった。
ここ数年、4人での活動はしてなくて、活動してないんだったら解散したほうがいいんじゃないかと忠告をもらったこともあったけど、あの感覚は動いてなくても死なないから、本当に勝手だけど、生きてる限り4人の宇宙はなくならないもんです。
過去の映像をみて、そんな感じでおもいだしたり、思ったりすることがあったりして。
今回の映像は2000年からのツアーから一曲ずつ選んでつないで、一つのライブのようになってる。これはスタッフのKENちゃんが撮ってくれていたもの。KENちゃんはデビューシングル「風の子」のPV撮影で製作の人として知り合った。
普通、PV撮影はレコーディングされた音をながして、それにあわせて口パクだったり、弾くふりだったりをするわけだけど、うちらはそこで何テイクも繰り返される度、毎回全力で弾いたり、実際に歌ったりしてた。要領がわからなかったっていうのもあるし、そこそこで何かやることができないからだったとおもう。
その時KENちゃんとはほとんど話さなかったが、そういうウチらをみて興味をもってくれ、仕事とは関係なくてもライブ映像を撮ってくれるようになって今にいたる。
今もそうだけど、自意識過剰なのか、ライブ中は気にならないがそれ以外でカメラを向けられると力が入ってしまったり、意識してしまうので、カメラは映像も写真のも苦手だ。だからバンドについて映像におさめたいと言われた時は、ぜひぜひ!というよりかは、カメラ向けられても何にもできないけど、それでもよかったらどうぞ、的なちょっとむにゃむにゃしたことをいちいち言ったような気がする。
それから10年、なんの約束も見返りもあるわけでもなく、勝手にやってるんで勝手にどうぞでここまで。バンドもそうだけど、僕は本当におもろいことってそういう関係性の中から生まれる気がしてる。とりつくろったり、カッコつけたりしてしまうからね。素でいられる関係性というか、釣り仲間的な感じがいい。
そんで、今回初めて映像をチェックした時、よく撮っててくれたなぁと。
KENちゃんじゃないと撮れなかっただろうリアルなインザスープの2000年からのドキュメンタリーアルバムのようなものです。
実録、インザスープ、ぜひ味わってくださいな。
そんで、今のインザスープ 爆発まであと少し、来れる人も来れない人も10月6日はレッツ、ジュテーム!や。よろしくどうぞ。おわり