2011年7月27日水曜日

Vol.138「2011年、日本の夏を焼きつけて」の巻

涼しい日が続いた。秋のような。乾いた風がここちよかった。サブミリナルオータム。
裏路地にある民家の玄関先に植木がしげっていて、道路には水がまかれてた。
日陰で涼しくて、なんだかいい空気が流れてた。

ここに竹でできたベンチでももってきて、近所の将棋仲間と将棋したりして、蚊取り線香の匂いと、子供がスイカ食べながら遊んでて、風鈴の音が優しく鳴って……。いいなぁと一人妄想働かせて、まぁでも60歳くらいの目標にしておくべかと夏の小道を歩く。


夏が水まき、今から本番いきまっせってな今日この頃、いかがおすごしか。

やっぱりぼかぁ夏が好きだ。サンダルでずりずり歩く夏。

あっついな、だりーなとかおもいながらも太陽に焼かれると気持ちがいい。
今年は節電の影響で電車の中や店の中も、あの極端な冷房がないのがいい。
キンキンの冷房は一瞬ひやっとして気持ちがいいが、やっぱどっかでなんか違うなとおもってしまう。
過剰な電気使用がないせいか、今年は風鈴とかうちわ、花火や果物屋のスイカやアイス、昔からこの国にあっただろう日本の夏の風物詩なんかが鮮明に見えておもしろい。路地を歩くだけで汗かいて、いろんな景色が見れておもろい。日本の夏だ、キンチョールだ。

地元にいた頃、昼間はジャワジャワ蝉しぐれ、夕方は田んぼでカエルの大合唱。帰り道、用水路をのぞくとカニがニコニコしていっせいに隠れたり。家の裏では黄色と黒のでっかいクモが巣をはって、そんなもん達の中で一緒に暮らしてたことを思い出したりする夏。

小学生の頃、友達の家族に山にキャンプに連れて行ってもらって、朝もやの中、釣りを教えてもらった。川の石をひっくりかえすとそこに川虫がいて、それをとってエサにして糸を垂らすとすぐに魚が釣れた。エサをその場で捕まえて魚を釣る方法や、それを焼いて食べたこと、そんな景色なんかもずっと残っていて、夏になると思い出す。そういうことを思い出せるのが嬉しくおもう。今よりも宇宙というか、自然というか、その中で暮らしてたこと。

電車の中、自分も、知らない乗車客もみんな携帯をみてたり、ガンガンの冷気に怖さを感じたり、空調のきいた部屋で窓ガラスに向かって同じところを走ってわざわざ汗かいてる人たちがいたりする中で暮らしてると、ん?と、なんか違うんじゃないかと、全体的にこれどこに向かってるんだっけかなと、自分も含めておもわせられる風景に出くわしたりする。

それでもここで暮らすことを選んだ自分の正気を保ったり、どこかへ向かわせてくれたりするものの一部は、人間以外のものとも一緒に暮らしてた、そういう経験や風景だったりするかもなとおもったりして。いいことばっかりじゃない、悔しいも悲しいもさみしいも不安も全部、ひっくるめて太陽に焼かれてた。夏に焼きついてる風景、匂い。友達んちであちーあちーって飲んだカルピスとかでもね。
汗かいて自分の肌に焼きついてるものたちが、より確かな力をくれたりする。

昔はよかったってのとは別に、そういう経験の中から、少々大袈裟かもだが、この時代に生きて、次の時代へこれはもっていっても恥ずかしくないとか。もっとこうだったらいいのにとか、くんだらないことだって、いいことだって、笑いだって、未来にもっていきたいもんを、知らないうちに選んでるんだろうなとおもう。自分が時々力をもらう記憶。今すぐにじゃなくても、子供の子供の子供の子供のってずっと先へ。もちの論介そんなことばかり考えて暮らしてはいないけど、時々おもう。いつか見たガンジーの言葉、「いいことはカタツムリのスピードで進んでく」。スピードは遅いけど、自分の信じる強いカタツムリを自分の中に持てたらいいなとおもう。どこ風でもない独自のバトンを、自分の今に、明日に、次の時代に渡していけたらいいなとおもう。2011年夏、汗かいて、日本の夏をたくさん焼きつけたいとおもうし、きっと焼きつく夏になるだろうなとおもうこの頃だ。

本番はこれからの夏、意外といつのまにかかかってしまうらしい熱中症に気をつけられよ。ハバナイス日本の夏2011よ。それでは。
宮崎の焼酎、知らなかった。これうまし。

これ吹っ飛ぶくらいやりたくなるけど、今はやらないね。
ある日、これ壊れてたから誰か吹っ飛ぶくらいやったんだろね。
写真は復活しててよかったねの図。

朝顔、いいですな。
種の形もおもろい。

かきわけて 入っていきたくなるね、いかないけど。
草と草を結んでワッかにして罠つくったりね。

ジャンボタニシのたまご
ってこんな感じよね

狭い空選手権。