2011年6月27日月曜日

Vol.137「ひっくるめて今を鳴らす」の巻

梅雨、曇ってても雨降りのような湿気がムンムン、時々の太陽がありがたし。

カラスがビワを食い散らかして、道路に散乱してる。中学時代の野球部、補欠、声だし飽きて、ファールボールがグランド横の民家へ飛んでくたびにわーっと2、3人でとりにいく
そこにはビワがなっていて、はじめの1個が、いくたびに本格的にビワに夢中になって監督にみつかりビンタ、ケツバットされたのをおもいだす。スリルも手伝ってあの時のドキドキのビワに比べたら、都会のカラスは堂々としたもんだ。なんてことを毎年おもいだす今日この頃、いかがおすごしか。

最近、ギターをリペアしてもらった。3週間ほど手放したわけだけども、帰ってきた時、やっぱり嬉しかった。

いつも使ってる黒いアコギ。10年以上使ってるギター。
メンテナンスされて音の響きがひろがって、気持ちがいい。

きっとこれ、僕のギターはじゃじゃ馬で気分やで誰でも乗りこなせるわけではなさそうだ。
弾いた分だけ、一緒にどこそこいった分だけのものが染み込んでるんだろなとおもう。


長いこと一緒にいるとできてくる共通言語というかクセというか。
特に音楽には正解とか間違い、答えがない分、そこが重要になってくるんだろうとおもう。
自分にしか分からない、しっくりくるかこないか。

もしもこのギターがなくなっても、一緒に鳴らした瞬間の数々が自分の中に残ってる。何にもないようで、心はたくさん感じてる。後になってわかること、残ってることってのがたくさんある。忘れてるようで時々ちゃんとおもいだす。
あたり前のことだけど、今までの経験の上に今があるってことを、より感じるこの頃だ。

いいことも嫌なことも、うまくいったことも、いかなかったことも、どうにもならんとおもったことも、もうここまでかと思ったことも、なんにも見えないとおもったことも全部、全部ひっくるめて今を鳴らす。ひっくるめて今を鳴らすと、その先にひろがってく。
どんな状況でも必ずどこかにいけることを、ギターに教えてもらってる気がする。

人だって、ギターだって、知らなかった自分をきづかせてくれる時がある。
そういうもん達と一緒にこれからも旅していこうとおもう次第だ。