2011年4月27日水曜日

Vol.135「切り株」の巻

いかがおすごしだろうか。

先日、実家に帰った。

実家に帰る前に、震災ボランティア活動をしている友達から、ボランティアが足らんので時間があったらこないかと連絡があり、体が空いていたので「いく」と連絡し、短い日数ではあるがいくことになった。

実家にいると、東北震災チャリティーライブをしたらどうかと提案があった。

ボランティアスタッフからはヘルメットや軍手も足りないとのことだったので、それを含めての、自分の歌と交換の「物々交換ライブ」とさせてもらった。

ヘルメットや軍手なども送ってもらうことになった、現時点ではまだ手元にないが、現地にて使わせていただきます。

お金も集まった。延岡の保育園にて集まってくれたみんなからの募金は、70,082円。

このお金は明日より東北に直接行き、全額を義援金として気仙沼市、もしくは石巻市のほうにお渡ししたいとおもいます。(お渡ししましたらば、ブログと来月のコノ場でお伝えしようとおもいます)







震災からいろんなことを考える。自分のやってることや、やれること。
それがまちがってんのか合ってんのかとか。人とも話す。みんな感じて考えてる。
それは九州でもライブをやっておもったけどみんなそうやった。

正直な話、考えてるとわからなくなることも多い。

上にも記したように、そんな時、誘ってもらってライブができたり、誰かと話したり、誘われてボランティアに参加したりする。そこでもいろいろと考えるが、向かうとこをもらえること、これには自分が救われてると感じる。

本当は自分で考えて、もっと自分で何かをおこしたり、日常を暮らすことのほうが強く、大事だともおもうが、今はとにかく自分の場合、そこへ向かえる何かの誘いがあれば考えるよりもやってみたいとおもっている。



公園を歩いていて、切り株があった。その切り株のわきっちょから緑が芽吹いてた。
多分もう、切られる前の大木にはもどれないやろうけど、それとは違う新しい緑が芽吹いてた。


その緑が、イビツで力強く見えつつも、頑張ってる感じじゃなくて、「知らずにこうなった」的な感覚に見えて何かがほどけた。

陽があたり、風吹いて、雨ふって、根っこから断ち切られても、そこからそうなるのが当たり前なように。当たり前の生命力。



そこに規則正しく木を植えたのも人間、切ったのも人間だけど、切り株から勝手に芽吹く、イビツだけど勝手に芽吹いちゃうもの。

何かやりつつも、何にもしてなくても、イビツでも、「こんなんでちゃいました」ってのが力強く感じるこの頃だ。


ちんちんみえてますよ

今年は鯉のぼり 力強くみえる

この日のことを いつか書きたい

落ち着きますな
水のお香