2011年3月30日水曜日

Vol.134「誰かを想い声を掛け合えるのも人間の力」の巻

春がもうきてる。
空気が変わって季節が変わって、あったかいのは嬉しい。

あったかいもんっていつもあるとわからなくなるけど、心でも体でも、寒いとこにばっかりいると、あったかいもんに触れた時、包まれるような、ありがたい気持ちになる。

「千と千尋の神隠し」って映画で、主人公の女の子が、もらったオニギリをほおばって涙をこぼすシーンがあるんだけど、あんな感じやろうか。

空腹も忘れて、かけずり回って、たった一個のオニギリで、いろんな感情がほどけて
涙がこぼれてく。涙を全部こぼして、また次に向かってく主人公の女の子、いかったなぁ。なんつって、春の訪れ感じるこの頃いかがおすごしか。


2月、ドン曇りの寒い日が続いた。その日の天気で自分の気分も変わる。
これ自分のよくないとこでもあるとおもうんだが、そんな日はどうにもマイナスなことばかりが連鎖していく。不安要素が次々に頭の中よぎって、抜け出せなくなる時がある。
不安やら、寂しいとか、後悔とかに縛られる。そういう感情って何かしらもの心ついた時からあるものなんだろうね、危機管理というか。もうこれは、誰もがそうなんだろうけどね。だからやりたいことが浮き彫りになったり、つくりたいものがでてきたりするんだろうね。ずっと春だったらポワーンポワーンや。

考えてもしょうがないことを考えて、勝手に落ち込んで、ずっとそのまま何にもしないでいられるほど図太くもないようで、何かしらやる。考えるのは苦手なので体を動かしてなにかしらやる。

何かしらやってても、どっかのダムに溜まっていく。本当に打破できるのはこれじゃないってなる。

砂で山つくって、てっぺんに棒を立てる。砂を少しずつけずっていって棒が倒れるまでやる。砂をけずってけずって、それでも倒れない棒がみつかるまでやる。結局倒れない棒なんてないんだけど、それの繰り返しのような。そうやって本当にやりたいことやつくりたいもんがみえてくる。


歌ができるのっておもろい。頭で考えてる外からやってくる気がする。
その距離が遠いほどおもしろい。

出てきたあとで自分がみえたりもする。
訳がわからないけどそれでしかありえないものがでてきた時がいい。

寒いドン曇りの最中だって、考えられなくてもどっかで知ってる。覆われた雲の上に自分にしかわからない太陽があること。予感。たぐりよせる。

マイナスのゴムを引っ張って、飛ばす。雲に穴あけて光がさす。
小さな光でもみえたら、やっぱりなってあとは広がってく。
こじ開けた太陽の光の下、自分の太陽の光で笑い合いたいもんです。


春の予感、つかまえてこじ開ける。そんな2月の夜より。

3月11日に地震がおこった。

自分は東京の西麻布におり、すれ違う女性2人組の「揺れてない?」って会話が聞こえ、立ち止まり、揺れを確認して「こりゃ地震ですね」と発した。揺れはどんどん大きくなり地面を揺らした。

そこはでかい建物が立ち並ぶ足元だったので、「上に気をつけましょう」とそこにいたおじさんと共に声をかけあった。

大通りをいく車を止めてる人もいた。

歩道にいては危ないので大通りの真ん中にでた。

広いアスファルトに立つと地面が左右に揺れてるのがよくわかった。

建物は揺れ、電線は波うってた。

建物も倒れるかもしれないとおもった。

地面からグニャグニャと揺れられると、人間、本当に何にもできない、ただ「おさまってくれ」と願うばかり。

揺れは長く続いてようやくおさまった。

とりあえず建物のないとこまでいき、一服しようと火をつけたが、これ情けないことに少々、手が震えており、自分がビビっていたことにきづいた。

初めての経験、揺れだった。

近くに小さな電気屋さんがあり、テレビを見せてもらい、震源地を確認した。

電気屋のおいさんが言うには3メートルの津波警報が出てるとのことで、基準がわからない自分は「3メートルってでかいんですか?」と聞くと「そりゃでかいよ」とのことだったので、東北の親戚に電話をしたがつながらず、メールを打った。

六本木通りに立ってると、また揺れはじめた。横にでかいトラックがとまっていたので、トラックのせいかとわけのわからない予想をしたが、標識も揺れていたので地震だと気付き建物のないとこまで走った。

住宅街にある駐車場までいき立ち止まる。人が集まってた。
揺れは長く続き、「酔ってきた」と言う人もいた。

六本木ヒルズの横の建物では窓ガラス清掃のゴンドラが上にも下にもいけず、止まってた。
相変わらず電話はつながらず、ただ事ではない感が漂ってた。

ようやくおさまり、地下鉄に乗るべく改札にいったが、電車はとまっており、それを待つ人らの中で自分も待った。その間も余震が続き、揺れるたびに安全点検が初めから行われ、復興のメドが立たないとのこと。用事をあきらめ外にでた。

外にでると、電車に乗れず歩いて帰るしかなくなったサラリーマン達の行列ができてた。中にはちらほらとヘルメットをかぶった人もおり、防空頭巾をかぶった女子中学生もおり、東京の防災対策は進んでるなぁなんておもったりもした。

自分はとめてあった自転車に乗り帰宅した。どこまでも続く人の列に、異常事態だときづく。

途中ばったりオセロケッツの森山さんやカメラマンのマドカさんと偶然出会い、「おー生きてた!」となり握手を交わした。今おもえば少々大袈裟ではあるが、その時は落ち着いてたつもりでも、やはり気がはってたのだろう、会った瞬間、いつもよりも「おぉ!」っとなった。

家に帰ると、グラスが割れて、本棚は倒れ、テレビが落ちて壊れ、冷蔵庫が50センチほど前につきでてた。

当然かたづける気にはなれず、ラジオから情報をえた。
ああいうときに情報をえて、速やかにまとめる処理能力が自分には必要だと感じた。電話つながらない、メールも遅れるなか、ブログに情報をくれたみんなを心強くおもった。

届かなかったメールがいっぺんにきた。
その中にさっきおくった東北の親戚からもきていた。
が、時間をみると津波の前で、津波後の連絡がとれないまま数日すぎ、ようやく音信が通じたと連絡がまわってきた。

映像で津波を、のみ込まれる家々を見続けるしかなかったり、連絡がとりたくてもとれなかったり、地震に揺れ続けられるしかなかったり、放射能の情報に怯えたり、買いだめだなんだと集団でパニックになったり。

今まで当たり前だとおもってたものが、目の前で奪われていくのに何もできない。
これ、きっと日本全国であじわった無力感じゃないやろか。

そんな中、9日ぶりにおばあさんと若者が、わずかな食料で助け合って救助されたり、被爆覚悟で原子力発電所の復旧にあたる人がいたり、また地震後、大阪の有名なグリコの看板が節電のために消えてたり、スターバックスが歩いて帰る人達にあるだけのものを配ったり、津波にのまれるまで警報のアナウンスを流し続けた人がいたり。


人間、地面から揺れられると揺れるしかなく、地面が裂けたら落ちるしかない。携帯がつながらないだけで待つしかなく、のみ込まれる映像を見続けるしかないが、それでも人間。そんな中でも希望を見せてくれる人達がいる。

自然は驚異だというが、人間も自然の一部、無力も感じるがその中から驚異の光だってもってるんだとおもう。

でかくなくても、ささいなことでも、なんにもできなくても、あの無力を忘れずに、そこから芽吹いてくる一人一人の力、それを互いに持ちながら声をかけあって行けたらとおもう。情報のことも書いたが、それを知ってても声を掛け合わなかったらそこで終わってしまう。人と声を掛け合う、わかり合う、誰かを想い声を掛け合えるのも人間の力だ。

きっとこれから先ずっとだ。自分は自分のやり方で、芽吹いてくるものを育てていけたらとおもう次第だ。