2011年1月7日金曜日

Vol.131「2010年12月、2011年へ」の巻

2010年もあと僅かというか、あっという間にもほどがあるように感じるがなぜだろうか。毎年この「あっという間」というのには少しの抵抗を感じながらも使わざるえない。

あっという間というと何事もなくスムーズに事が過ぎていったようにおもうが、1年を思い返してみれば、そんなことはなく、頭悩ませたこと、はじめてぶちあたったこと、どうしようもないこと、感動したこと、大笑いしたこと、色々とあったのだが、過ぎてしまえば「あっという間」という感覚になる。

何年か前のこの連載でも書いたが、『年とるたんびに「あっという間」感が加速するのは、物事に対して慣れていくからだ』的なことをどこかで読んで、なるほどとおもったことがある。


慣れていく、繰り返しの中で人間の成長なんかもあるのだろうけど、それもありつつ「あっという間」の中に後悔のようなものが混ざっているのに気付いたりもする。

もう少しいろんなことに挑戦できたかも、とか、勇気足らずだったかもしれないとか、やれたことがあったとか、きっと12月というのはそんな月なのかも知れないともおもうが、「慣れていく」それを壊せるくらいの事件、「あっという間」の中に混ざる後悔めいたものを壊せる事件を自分の中で来年はもっと起こせたらとおもう毎年だが、もっともっと自分の中でしかおこしえない事件をと、ファック、今年はなお強くそう思う12月だ、いかがおすごしか。

ブログの通り、またしても宮崎滞在記

今回は宮崎のプラネタリウムにて演劇の合間に2曲ばかし歌わせてもらった。
オムニバス形式になっており、その中の2話「東京12月」「おきざりのブルース」
自分の書いた曲は、書いた瞬間に聞いてくれる人のとこへ旅立つものだなんてよく聞くが、旅した曲が演劇になって帰ってきたような感覚だった。

これを脚本演出したのが、高校の同級生で、その当時やっていた漫才の相方であった本田誠人(劇団ぺテカンの脚本演出家で俳優)。

高校を卒業してお互い東京に出てきて、誠人は演劇、自分はバンドとそれぞれの道を選んだ。これまでも何度か、それぞれのやってることをもって東京にて一つの空間を共作したことはあったが、地元宮崎で、しかも一つの作品として同じ舞台に立つのは高校以来だった。

今回のイベントのキッカケは誠人の奥方であり、役者のいずみちゃんが、宮崎市にあるでっかいプラネタリウムを観て、ここで何かやらかしたいってとこから始まった企画だとか。

これ、発想を形に変えてしまうパワーはすごいもんがある。便利に拍車をかけて、指一つでなんでも情報が得られ、やった気観た気になれる時代に、思いつきを形にする人のパワーは気持ちがいい。やるかやらないかは雲泥の差があることをみせてもらった。
そんな企画に誘ってもらい、船に乗っかった形で、短い期間宮崎市内に滞在した。

上記したように、自分の手を離れた曲達がいろんなドラマを連れてきて、役者のみんながそれを演じている。その合間に自分が歌うのだが、誠人の曲のイメージの主人公が実際そこにいる。その目の前で歌うのだから不思議な感じがしておもしろかった。こういうことが面白いのは、ギターと歌で、演じるほうの心と会話ができてる気になれること。普通に話をするより会話できてる気になれるから不思議だ。


まだ音源になってない「おきざりのブルース」は舞台には誠人と自分だけ、同じくもう一人高校の同胞が撮った地元延岡の写真がプラネタリウムの大天井に浮かびあがる。
その中でうたった。シンプルに3人でそれができたのがよかった。

本番2日前から宮崎市入りし、稽古に参加させてもらったが、やはり畑違いのとこに来るのは新鮮だし、いつもと違った刺激をもらえたりもするからおもしろい。
役者のみなさんの真剣さやら、みんなで一つのものを作り上げいくチームワーク、ポジティブさ。みんなで拾って、みんなで広げてく。少々そのノリに気後れしてしまうこともあったが、自分は自分なりに一員として参加させてもらった。

その雰囲気の真ん中にいるのがその脚本演出の誠人であるが、段取りよく稽古を進めていく様子も気持ちがいい。「はい、じゃ何ページのあそこからやってみましょ、よーいはいっ」とか「じゃ、ここで音が流れましたっはいっ」とか「何々くんあそこはもうちょいあぁやってやってみようか、うんうん」とかとか、自分ならとっくにテンパってイライラさえしてしまいそうな段取りの多さ、時間の無さの中、しかも楽しげに進めていく。

これ脚本、演出なのだからあったり前のことやろうが、おもろいのは、同じようなことを誠人は高校時代からやっているってこと。
授業中にノートに漫才のネタを書いていたり、演劇部でもないのに文化祭などで演劇をかましたり、そん時から脚本演出俳優で、しかも照明や音響さん相手にも的確に指示をだしたりしていた。誰に習うわけでもなくそれが仕事になってるんだから、おもろい。

20年経って、お互いに違う道通って、いろんな経験を経て、変わったこと、成長したこと、なくしたこと、いろいろあるやろうが、相変わらずあんときみたいに、自分らのやってきたことをもって「なんかおもれぇことやったろう」で遊べるのが、なかなかないことやろうなともおもうし、嬉しくもおもう。また、その時の担任の先生が観に来てくれていたのも嬉しかった。

しかしこれ、これから先にもこの日の内容、出会い、空気感はずっと光り続けるだろうなと思える日になったし、誰かの思いつきが色んな人の想いと爆発しあって形になって輝くって素敵やなともおもった。違う畑のみんなと一つの空気つくってますます、自分の道精進せねばとも思わせられた、そんな「星の庭」だった。
うむ、そして前々からおもっていたが、稽古終わりや本番終わりでの酒の席でもよく飲み、人にもよるだろうが、全体的に演劇人はやはり元気でありました、恐るべし。
                              おわり。


P.S.2010年もこの「センチメンタルの馬鹿野郎」に目を通していただきありがとう。
   2011年もどうぞよろしくです。
   
  2011年ライブ!生で会いましょう!!
  静かな心で正月を迎え、覚悟決めて2011年を突っ走りたいとおもいます。                  
    よいお年を!ハバナイ2011                      
                            2010年12月 中尾諭介  
 
今年は正月の青春18切符といい、
たくさん電車に揺られた年だった。


空き地や頑張ってない畑、車のいない駐車場

二十歳くらいにつくったカセットテープ発見

寒そうな裸の木が、
枝を広げて曇り空に広がる
こういう写真を何枚もとってしまう
なんかいいのよね
ぼんやりずっと眺める

◆独占企画 諭介がお答え致します


■「中尾さん、こんばんわ。ハートロッカー、DVDで見ました。
ラスト、主人公はいつものように戦場へ赴任していきましたね。
犠牲が当たり前の環境、危機感が欠落してる環境、どっちも日常。慣れること、無感覚になること、疑問を持たないこと、恐ろしいです。が、自分は流されるままです、、
宇宙と人間は同じようなものに見えました。常に現在進行形で進んでる方向さえ分からないの。果ては謎。
季節は冬に突入ですが、中尾さんは情熱で寒くなさそう。読んでて焚火してるみたい。自分の意識は、温まって火照ってきました。
徒然なるままにしては、ヘビーな感じで、、興味深い内容でした。
これからも、中尾さん、がんばってください。

もしかして25日がメッセージの締め切りですか? 洩れてしまったら、遅くてすみません、載せなくて大丈夫です」(2010年12月3日23:23 by. 高野)
→無感覚って怖いね、わかんなくなってることよくあるわ 何かのキッカケで気付かされる、映画や音楽やら何かで鳳仙花が割れるみたいに感覚が弾けると生を実感できて嬉しくなるね。

■ 28日行きたかったな。仕事終わりで行こうと企んだけど間に合わないんだよ。…見たかった。LIVE。忘れてないよ。忘れそうなのにさ」
(2010年12月6日16:43 by.443)
→忘れちゃダメダメよ、ずっと歌ってるから、来れる時にきなさいよ。

■ 「こんにちは。
口蹄疫、県外に住んでいるとメディアとかの情報ぐらいでしか状況を知ることができないし、あまりピンとこないのも無理ないと思います。私も本当の辛さ、苦しみ、不安な気持ちは分かろうとしてもやっぱり分かっていないんだと思います。
ただ牛とか豚が毎日のように殺されていって、観点が違うかもしれないけど、牛や豚の気持ちを考えてしまい悲しくて仕方なかったです。酪農家の方々はもっと悲しかったでしょうね。
だって“命”だもん。

今できること・・・ささやかだけど募金をしたり、宮崎産地のものを積極的に選んでみたり・・・こんな私でも少しは役に立ててるといいな。

ところで、真面目な話の後にどうでもいい話ですが、先日私の夢に諭介さんが出てきました。私になにか言おうとしてくれた所で目が覚めてしまいました。諭介さん、何を言おうとしたのでしょうか?(笑)気になって仕方ないのです。このままじゃ年を越せない・・・(笑)」(2010年12月19日11:31 by.夕陽)
→なんやろ、「うどんでも食べにいかないか」とか「ライヴきなさいよ」とかかな。

■「宮崎は諭介さんのところだからと、意識はしていたつもりでも、今回の口蹄疫の話、知らなかったことが多くて恥ずかしくなりました。それに知っていたとして、私が何か行動したかと聞かれれば、そうじゃなかったから。違う県だったら?感染が止まらず東京まできたら?っていうのにもグサッときました。そして、なんとなくこの間テレビで見た、人が困っているときに助けるかどうかっていうテスト結果を思い出しました。それは、助けてあげる側の人数が多いと、誰かがやってくれるだろうと思って誰も助けないんです。逆に、一人でいる場合はほとんどの人が行動にうつす。自分がやらなければと思うそうです。だから、もしみんながみんな誰かがやってくれると思ってたらと考えると……口蹄疫はきっと簡単に外へ広まっていたはず。そうならなかったのは、本当に宮崎の人達が頑張ってくれたからなんだな、と、この記事を読んでわかったし、感染を宮崎だけにとどめてくれたことには改めて感謝しました。ごめんなさい。ありがとう。
今年ももうすぐ終わりですね。諭介さんもここでまた一年ありがとうございました。またらいねーん!」(2010年12月21日17:02 by. A.T)
→また来年、というか申し訳ない、今年になってもうたね、原稿あげるのおくれて今年になってもうた、今年もよろしくよ。

■「中尾さんこんにちわ。エッセイを拝見して、宮崎県が、イベント中止されるほど深刻だったことや、農家の被害の具体的なことなど、知りました。考えさせられました。被害者が身近な方だったり、自分の生活が脅かされて、ようやく災害を意識しがちなとこありますが、、泉谷しげるさんの行動力、みんなを牽引していく愛とパワー、すごいですね。。はい、語り継がれると思います。宮崎感謝です。バカ?釣されるんですね」(2010年12月21日23:57 by. 高野)
→釣り好きね、バカって投げて服とかにくっつくやつね、え-知らないの-?

■「こんにちは。いつも楽しく読ませていただいてます。
あの~~、突然ですが、、諭介さんの使ってる携帯の機種なんて
教えていただけないでしょうか?ソフトバンクですよね?
001Nとか815Tとか・・・。
私もソフトバンクなんですが、買い換えようかなと思っていて
iphoneにするほど携帯は使わないので(メールと電話ができればOK)
せっかくなら諭介さんと同じ機種だったらウキウキだな~なんて
思っちゃいました・・・駄目でしょうか?

あと、ミニアルバムのセルフライナーノーツっていうんですか?
もしくは、「東京インディアン」の時のインタビューがあったように
諭介さんご自身の、それぞれの曲に対する思いが聞けたら嬉しいです。
ホームページなどでいかがでしょうか?
来年も諭介さんのライブにたくさん行けますように。
お願いします!ってことでクリスマスにメッセージしてみました」( 2010年12月25日10:09 by. K.M)
→メリークリスマス、随分たってしもたね。一曲一曲のやつは次回、ここで書こうかしら。携帯は深緑の一番?安いやつ、機種名はかいてないわ。

「気にかけてますよ
一年間お疲れ様でした。
LIVEやってる諭介に2011年は,きっと会えるでしょう。
なんとかします(笑)
よいお年を
諭介fan関西副代表よりw」(2010年12月31日15:27 by. 443)
→副代表って、なんか、その、謙虚感に心くすぐられました。今年はライヴ、何とかするべし、こちらもなんとか関西へ。

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