2010年4月28日水曜日

Vol.123「桜前線歌吹雪ツアー」の巻

寒暖の差が激しい日々、何かおきそうな予感さえしてしまうほど、おかしな天気。こんなことってあったっけなってな日が続く。宮崎ではこの時期、100年ぶりの寒さだったりと、季節が病気みたいで、つられて風邪ひかないようにしなくてはなってな毎日だ。お大事に春。いかがおすごしか。

の、おかげかどうかはわからないが、かろうじて桜、枝に残る中、矢野絢子との桜前線歌吹雪ツアーが終了した。


去年のはじめ、ある人物と酒を飲み、「最近、おもろい歌うたいおりますか?」なんて話になり、相手が答えたのが、矢野絢子だった。

その場で、アイポッドを聞かせてもらい、聞き入った。聞きながら嬉しくなった。
こういう歌うたいがいることが、嬉しく、ワクワクした。
歌がまっすぐで、歌の出どころが、懐かしい感じがした。懐かしい感じとは、自分のなかにも、もともとあったようなものを勝手に感じた。ある部分。全然違うけど、ある部分。

こういう歌うたいと共に歌ってみたいたいなぁとおもった。へぇーなんつってその日は終わったのだが、しばらくたってから、代官山のライブハウス、晴れ豆よりライブのお誘いがあり、共演者が矢野絢子。おぉーっとなり、出演させてもらうことにした。 

共演し、やはりピアノと歌と魂が一緒になってドカンで、何かがひずんでいるようでおもろかった。楽屋で話をし、高知出身とのことで、「四国いったことない」「宮崎いったことない」となり、お互いの出身地のブツブツ交換のようにツアーが決まった。

「桜前線歌吹雪ツアー」

宮崎、天空カフェジール、曇りのち雨。山の中にでっかいビニールハウスがある感じのとこで、ゆったりとした時間がながれていた。久々の一人弾き語りということもあり、ちとドギマギしてしまったところもあったが、気持ちよくやれた、スタッフの方々もニコニコで迎えてくれ、平日の山の中、天気も悪かった中、たくさんのエブリバデがみにきてくれた。これには、足を運んでくれたエブリバデにも、そのみんなにライブがあることを知らせてくれたスタッフにもありがとうであった。

透明の屋根を雨が叩く音をききながら歌った。山道をくだり帰る時、野ウサギが横切った。ツアーの始まり。きっと考えてもわからない、よけいなものは旅が洗い流してくれる。ツアーのはじまり。心だけで転がってく感じにいつもわくわくする。


2か所め、延岡。リトルウェザーキング。曇り。
2007年にできた、ライブハウス。入るなり落ち着く。もともと小さい箱でデカイ音を出すというイメージしかなかったライブハウスという場所が、活動のほとんどをそう呼ばれる場所ですごしてきたせいか、体が開いていくのを感じた。スタッフは音や照明を一つ一つ作ってく。 
うちらみたいなものは、路上だろうが、タイタニックの上だろうが、どこでも変わらず発信するのが、基本だとおもっているが、やはり共にいいものを作っていこうと共有できるスタッフの人と出会えると、男なのに結婚したくなるのも確かだ。

本番、ライブハウスに入りきれない人の後ろからチロチロ覗いてみたところ、矢野絢子、一曲目から最後まで、激しく、優しく、空気を泳いで気持ちいい発信をしており、客席のみんなの顔も非常にいい顔してた。自分の出番前、緊張に輪をかけたが、地元でこういった空気にできる歌うたいとライブできることが嬉しくおもった次第だ。

あの居酒屋で、この人と友部正人の「愛について」を歌ってみたいとおもったことが、一年後、地元で実現できたことも喜びであった。

ライブ終了後、打ち上げをし、深夜12時すぎに居酒屋の前でたむろしていると、向こうのほうで、おじさん自転車ふらふらで、あぶなっかしーなとみていると、ゆらゆらーガシャン!とぶっ倒れ、立ち上がらない。やばいねとみんなで駆け寄ると、酔っ払っているようで、頭から血がでており、病院ではたらいてるものが、ああしてこうしてと応急処置をし、どうやら大丈夫そうだとなったが、救急車を呼び、目の前がスナックだったのでオシボリを借りようと友達が入っていき、スナックのママさんとでてきた。スナックのママさん、倒れているおじさんをみるなり、「どてちん!」と大きな声で言ったので、その勢いのよさと、そのおじさんのあだ名が「どてちん」だったことが、みょうにはまりみんなで大爆笑をしてしまった。その笑い声でどてちんも意識がもどってきたのか、ねながらゆっくりピースしたり、合掌したりして、ぼくらを笑わせてくれた。ここまでくればだいじょぶやねと、スナックのママとマスターに託し、その場を離れ、遅れてきた救急車に運ばれてくどてちんを遠くから見送った。余談ではあったが、おもしろかったのと、だいじょぶだったと風の便りできいたので記しておく。どてちんって、あだ名選手権があったら、まちがいなくミスターどてちんだろうとおもう。


その後、暗闇で朝4時まで男5人で呑み、2時間眠っていざ四国。




フェリーに乗って四国につきグッとくる。

思えば3年も前よりこの連載でも、今年は四国にいくぞーなんつっていけず終いだったので、ドン曇りではあったが、やっときたでとぐっとくる。

車でおくってもらい、高知に突入し、その道は龍馬が脱藩の際に通った道らしく、喫茶店などのキャッチコピーが「脱藩前の腹ごしらえ」であったのも和ませてくれた。



その日の夜、翌日出演する「歌小屋の2階」にライブを観にいった。
矢野絢子(以下、矢野ちん)曰く、場所の雰囲気も知れるし、みせたいライブがあるとのこと。この歌小屋の2階、矢野ちんが全国で活動しようとも、変わらずホームにしている小屋。歌うたい、表現者がスタッフとして働き、出演もする。みんなで大事にその場を守っている感じだ。キレイな空気が流れてる場所。 

そこのドンである、池マサト氏のライブ。一人ひとりのライブが始まる前に、「2010年4月何日、第一ステージ」とナレーションが入る。昔の映画館的な緊張感。客席20席ほど。観る側も緊張をする。一番前に座り時を待つ。ステージの壁には「時として人は人に非ず」と書かれた紙が用意され、池マサト氏のライブがスタート。
ネズミの格好をしており、ネズミの動きで登場し、一切しゃべらず、一点を見つめ歌いだす。ネズミの視点からの歌をうたう。なのにかっこいい。神々しくさえみえる。

これ、小屋の雰囲気も出演者のことも、言葉で伝えるのは難しい。何か人前で発信することをやっている人には、体験してみてほしい場所だとお勧めしたい。
そこで働いてる男子が、「世界の歌小屋」ですからと言ったのも納得する感じだ。

翌日、自分も出た。猛烈に緊張したが、今まで通ってきた道を出す。
自分はこうなんだと、当たり前のことがより、浮き彫りになる場所。
噂には聞いていたが、非常に背筋が伸びる。

翌日、この日だけ晴れた。
高松にいき、ライブ・ツアー最終日。 
今までになく空気を泳げた気がした。
高知といい、高松といい、一つのライブに対する感覚が(これは矢野絢子の周りだけかもだが)、非常に文学的な雰囲気を感じた。漠然とだけど70年代の団塊の世代の人達の話で聞いたことのある世界がよぎった。聞き手とやり手がより1対1。 

自分としては、今回のツアー、次へいくための、歌ってきたある部分へのけじめのようなものもあったし。四国のお遍路さん的な意味合いもあったようにおもう。
四国を歩くお遍路さん。お大師さんと歩き、気持ちまっすぐに整理するんだろうお遍路さん。自分には必要なタイミングと時間だった。矢野絢子、あのアイポッドから流れた歌のまっすぐは、やっぱりまっすぐだった。自分の何かを叩くようなものと出会い、歌い、ぶつかれたことは、非常にいい経験になった。これからますますの、歌のパワーを信じ、我が道をいき、またどっかで、歌えたらとおもう次第だ。



そして、各場所にて、一つのライブを共につくりあげたり、そこに向けて走りまわってくれたエブリバデ、遠方からも、近くからも足を運んでくれたエブリバデ、ありがとう。
歌吹雪、散ってまた咲くその日まで、ハバナイスエブリデイ、だ。


東京出発。

注意。
いつのまにか飛行機、20キロ以上の荷物は
料金発生することになってますぜ。

ジール。
ぶれまくってますが、雰囲気だけでも

フェリーにて。
写真とるとき何かと手をあげる矢野ちん。

脱藩道。
龍馬はその時代に、命かけて脱藩した。
その本を読み、簡単に燃えた。十何年前。
今までにない、自分の音楽をつくるきに!
日本の音楽シ-ンからの脱藩じゃきに!
時代つくるきに!

四万十川。
三年前より、四国に行きたいといってたのは、
四万十川がみたかったから。
んが、今回は見送り。
んがんが、あの看板には四万十川源流と
書いてあり近くに感じた。

晴れ。
久々の晴れ。
気持ち良く、一人高知をじいさんのように散歩。

高知のたんぼ。

高知の裏道。

歌小屋。

歌小屋2。

むじな。
そして矢野絢子氏、この日、面をつけ歌う。
お化け屋敷。
悲しい。
怖い。
闇。

の世界。
それを水を得た魚のようにやるひと。

アカリ。
宿にもどり、いろいろいろいろ考えるの図。

うどんも四国での目標。
これは達成させてもらった。
そして手をあげる矢野さん。

ドナツ。
いただいたドーナツ。
これうめかった。

高知の水平線。
龍馬もみた海。

お遍路さん。
お遍路さんの衣装。
自分は高知にて心に着た。

龍馬空港。
龍馬、36の生涯だったらしいね。 またくるわ。
これからも脱藩道、いくきに。