2008年3月28日金曜日

Vol.98「しゃかりきコロンブス」の巻

 さくら、咲いたね。細道抜けて大通りにでたら咲いてたわ。夜だったから幻想的やった。ゲンソウテキ。今年はじめて見る、さくら。きれいやったな。春やね。

 いかがおすごしか。月に一度の更新の、この連載を読んでくれてありがとう。
 前にも書いたが、最近、友達のブログをよくみる、電車の中や定食屋に入り料理がくるまでの間、時間があくと見る。自分は月に一度で精一杯なのに、友達のブログが更新されていないと、「更新しなさいよ」なんて思ってるから勝手なもんです。

 友達なんかはさすがに子供がいて、日常のささいな子供とのやりとりや、成長っぷりなどが書かれていて、笑ったり、そう、スターにあるまじき行為ではあるが、携帯見て一人で笑ったり、ほっこりしたり、グッときたり。

 高校3年の夏のように、ちらほらといつの間にかみんな進路のことを考えていて、面接の練習なんかしだして、「ええ、そんなのせんでいいやん」と三者面談では「ビッグになるっす」とハッタリにもならんハッタリを訳もわからず答えてたのに、先生が首をかしげても自信満々だったのに、まわりが意外にもみんな真剣で、結果自分もちゃっかり、面接の練習なんかしだしちゃったことをおもいだします。

 何が言いたいかというと、そんな友達たちのように、自分も子供を授かったりしちゃうのだろうか?というところです。昔から自分の子供など想像もしていなかったし、自分みたいのが生まれてこられたらどうしようかと、自分も生きておきながら恥ずかしい心配をしていたのだが、友達のブログを見て、少しうらやましくおもったりしているこの頃で、我が子を妄想したりします。女の子が産まれたら「はるか」って名前にしようとか、男だったら、「猿」。最近の妄想では、もっぱらこの「猿」が出てくる。猿と書いて「エン」と呼ぶのもいいかもしれんとか、「猿男」、「さるお」もいい。とにかく「猿」が出てくる。その「猿男」と一緒に山に登り、大きな松ぼっくりを見つけたり、ミミズを見つけたり、触らして反応みたり、キャッチボウルをしたり、ギターを弾いてきかしたり。

 前にも書いたが、「大人になる度、時がたつのが早く感じるのは、いろんなことに慣れていくからだろう」と何かで読んだことがあったけど、確かに子供の時の方が一日も長く感じた。慣れていくことがいいこともあるだろうけど、初めてのミミズやら驚きやら、子供はどんな風に感じているんだろう。同じ時間の中で、一日の中で、コロンブスなんだろうな。
 その父も母も、公園をただただ走りまわる我が子を見て、うどんの上に何をのせたいかと聞けば「ラーメン!」と答える食いしん坊な娘を見て、笑いながらもコロンブスだ。

 友達たちの子供話を見たり聞いたりして、僕にも「猿男」が産まれた。夜泣きも知らないし、うんこの匂いもしないけど、「猿男」は生まれ、一緒に山に登り、夕焼けがきれいだった。僕も「猿男」になった。

 実際のところ、上の例えで書くならば、小学生が大学生のブログを読んで妄想してるくらいだけれども、「猿男」が生まれた。

 慣れていくことばかりが多くなったなら、それをまた眺めて、泥団子のように黒光りするまで磨いてみるのもいいかもしれないし、毎日の中で慣れてしまっている何かをぶっ壊してみるのもアリやなぁと、「猿男」は二ヤリとした。「猿男」は悪魔だが、天使でもあるので、そっから何か生み出せることもあるかもしれんと、またニヤリとした。

 猿男な気分でハバナイス、スプリング!  また来月この場所で。