2007年4月27日金曜日

Vol.87「永遠の魚」の巻


 暖かくなったり、寒かったり、たしかに昔にくらべると不安定な感じで季節が変わりよるのかなぁって感じるこの頃、いかがお過ごしか。それにしても東国原知事、がんばってます。我が故郷だからなお興味しんしんで、やっぱりみています。
 知事の地元と僕の住んでた延岡は宮崎の北と南で離れてるせいか、言葉も地鶏もあんまり馴染みがないもんで、ピンと来ないとこもあるけど。やっぱり宮崎全体としてテレビなどからその名前がでると、おっとおもいます。宮崎市内のホテルにつとめてる友達が言うには知事の影響はかなりあるらしく、県外からのお客さんが増えているとのことで、友達も嬉しそうにしておりました。 

 僕がおもうのは、ゆっくりゆっくりでいいからしっかりとした県、国になったらいいなぁってことです。これは自分個人の人生願望と重ねて願ったりします。何かその先に、ずっとつながっていけそうなもの。
 僕の住んでた延岡市ってとこは、「参観日にきた父親たちのほとんどが、旭化成の工場の人」ってな噂を聞くくらい旭化成の工場がたくさんあって、その工場のおかげで市全体が栄えてきた所だそうです。 
 家の近くに「祝子川」(ほうりがわ)って言う川があって、川沿いに工場があった。そこから川に汚水が流れ込んでいて、その川はヘドロ川になってた。ものごこころついた時からそうだから、それはそれで、ヘドロに石を投げ込んだりして遊んだし、背中の曲がった魚を釣ったりして遊んだりもした。
 でもあるときじいちゃんが教えてくれたのは、昔の祝子川は泳げたこと、魚がいっぱい釣れて、食べれたこと、きれいだったこと。
 そんな話を聞いて「へぇー、いーなー、ずりーなー」って羨ましくおもったけど、出会った時からヘドロだし、工場もそばにあったから、どっかで「でもしょうがないね」ってあきらめてるとこもあった。
 でもでも「しょうがなくもない」って、大人になるにつれ思えたりもしてきた。
 自分が思えば変わってくってこと。工場やら大人のせいじゃない、自分が想ったら、変わってくってこと。小さい願いだって、ずっと先まで泳いでいけること。
 十年でも百年でも千年でも。自分、僕には限りがあるけど、想いやら願いってのには限りなんてないんだなぁーっておもう。そんで自分じゃない誰かに想いが伝わったり、その願いが実現して何千年先の人の景色の中に映ったりしたらいいなぁと思う。毎日そんなことばっかり想って暮らしてるわけじゃないけど、「祝子川」って曲ができて、最近、ライブで歌うたびに、そこへ近づけそうな気もしたりする。
 その工場のおかげで栄えた街で育って、恩恵もらってきただろうに。もらってきたからこそ思うけど、もう一過性の繁栄やらは、いらないんじゃないかと思う。川を泳げなくして、魚の背骨をひん曲げてまで手に入れた繁栄も今、商店街はシャッターを閉めてるし、駅前の閑散としたスナックのママの「昔は工場の人がいっぱいおってね、毎日にぎわっちょったちゃけどね」って昔話になってる。
 
 どげんかせにゃいかんちゃろうけど、あわてないでゆっくりと、今の流れとは別に、ライブや曲ができた時、キスやら手をつないだ時に感じたことのある、永遠らしき気持ちで市や県が、国が世界が、んで、自分が人が繁栄できたらいいなぁと思ったりするこの頃だ。
 

追記:時々、「リトル・トリー」って本の登場人物の「ウィロー・ジョーン」にアドバイスをもらいたくなったりします。

どんと、うんち!
今や田舎の実家でも、
犬のうんちは拾って帰る。
月島にて
こうみえて おいしかったよ もんじゃやき 
月島にて
久々にやった野球、勝利。
人生でいくと今何回くらいなんだろか。 
随分長く0点のままな気がするが。
しまっていこ。