2007年12月28日金曜日

Vol.95「2007年はなんでもやってみた」の巻


 2007ももうすぐおわる。来年は2008年。2007って数字のほうがしっくりくるのは一年一緒にすごしてきたからだろうか。2008も馴染んでくるんだろうか。よろしくね2008。
 渋谷の街はカップル大会、今日はクリスマスイブ、なんだこのヤロー、寒い日が続きますが、いかがおすごしか。

 今年は「なんでもガムシャラにやってみればいいじゃないっすか」な一年だったようにおもう。「なんでもガムシャラに~」は、いつか屋久島の呑み屋に一人で行ったとき隣に座ってたお兄さんに言われ、東京にもどりツアータイトルになるくらい響いた言葉だ。
 「なんでもガムシャラにやってみればいいじゃないっすか」。ぐだぐだと考えることが増えてしまったとき、とりあえずなんでもいいからやったろうと思わせてくれる言葉や。

 そしてまた、「スマイリー」な一年でもあったようにおもう。今年出したアルバムタイトルが『スマイルサークル』であったし、出さしてもらった映画のタイトルも「スマイル」。その中の役名も「スマイル二郎」であった。そして最近、近所に「スマイル」というスーパーまでオープンした。なんなんだろうかとおもうくらいのスマイルラッシュだけど、身の周りに「スマイル」という単語が増えただけで、自分も周りも笑顔が増えたような気がします。

 映画のことを少し書こうと思う。
 もう何年も前のこと。陣内孝則さんと坂本美雨ちゃんが司会をしているNHKの番組に出さしてもらった。楽屋で司会に陣内さんがいると聞き浮足立った。高校の時みたテレビドラマ「愛し合ってるかい」で画面からはみでてる感じが好きだったし、それでいて映画「さらば愛しきヤクザ」「ちょうちん」でみせてくれたシリアスな面も好きだった。何かをしでかしてくれそうな感じと兄貴的な所が、田舎もんの僕には面白くみえた。
 本番、僕はゲストとして出たにもかかわらず、その時のおもいのたけを陣内さんにぶちまけた。すると陣内さんは司会業ってこともあってか少し引き気味に対応されてたようにおもった。それがまたもどかしく、ほんとうに大きなお世話だけど、初対面なのに「陣内さんてそういう人じゃないじぁないすかー」的なことまで口ばしって、結局何を聞かれてもオチのない陣内さんの話で終わった。

 そんなことがきっかけで今回、陣内さん監督の映画に出させてもらうことにあいなった。東宝の撮影所にて衣装合わせがあり、ここで高倉健さんなども撮影したのかぁ~と、ただのミーハー気分でキョロキョロしていたら、自分の履いているスリッパに「陣内組」と書いてあり、あぁ映画界に足を踏み入れた、というよりスリッパだけに、つっこんだのだなぁーとまたミーハー気分に輪をかけて、携帯にてスリッパを写真に撮った。残念ながらその携帯は太平洋に落してしまったが。

 撮影は1月に北海道にて行われた。ほんの一瞬の出演ではあったけど、寒い中陣内さんとの熱いセッションができたことが嬉しかった。 
 また北海道滞在中に、ふらりと一人ではいったスナックでの出来事も今年の思い出のひとつだ(この連載の今年のはじめのほうに載っていますので、読んでない方は読んでみてくださいな)。

 陣内さんには食事などもご馳走になり、また高そうなとこであったため、メニューに何が書いてるのかさっぱりわからず、もじもじしていると横から「これとこれがいいとおもうぞ」なんて言って、しかも「こうやって食べるんだぞ」なんつって兄貴を通り越してお父さんのようにも思え、僕は育ちの悪い田舎もんであった。
 陣内さんにはいろんな世界を見せてもらい大変お世話になった。
 僕は夏木ゆたかのイメージでやらしてもらいました。

 みてみてくださいな。映画「スマイル」。家族でみれる映画だとおもいます。

 あまりないことなので映画の話が長くなったが、やっぱりライブは今年もたくさん忘れられない景色をみせてくれた。宮崎のえほんの郷やらジュテームやら最近では大阪、名古屋のライブ、ステージからみるお客さんの顔がほんとにスマイルで、それが一瞬僕の目に飛び込んできた時、やっぱりこちらも非常に嬉しくなってしまう。そのたびこんなすんばらしい場所はないだろうとおもうし、こんな場所ばかりになったらすんごいなぁとおもう。

 一人でも、哀川翔さんばりに誘っていただいたら全部やってみようキャンペーンを自分で開催し、なんでもやってるといろんな人や音楽に出会えた。宮崎でも何度もライブしたし、フットサルの実況中継もしたし、こないだは念願のバイオリンとピアノ構成でもできたし、代官山のキャンドルナイトではあったかな時間をすごした。ピアノの田中ロケッツ大ちゃんとも、おもろい時間をたくさんセッションした。

 なんでもやってみた2007の胞子を体にくっつけて、大晦日下北沢にて爆発して2008年に突入しようとおもう次第です。時間差ではありますがメリークリスマス! ほんでよいお年を! 来年は爆発し、はみだしていけたらとおもう2008年だ!
 今年もライブにきてくれて、音楽を聴いてくれて、遠くより見守ってくれて、この連載を覗いてくれてありがとう! 来年もまた、よろしくどぇす! さぁ、こい2008!

120Kのよそ見運転草場。ちょっとドキドキハイポーズ、いざ大阪へ!ビバ!大阪へ!
楽しいのか悲しいのか、うれしいのか不安なのか全てが表現された顔吉田慎一朗。いざ大阪へ
この人だけかっこよくとりすぎた。名カメラマンのおかげ八谷健太郎。いざリハーサルだ!
ライブがおわった。 なんだか最高な気分だったから楽屋から外を眺め余韻に浸った。大阪の街、ジャズがながれてた。おもろい我が人生だ。
楽屋荒らし
いざセッションタイムへ
打ち上げにて 石田兄さんと草場背後霊と
明日もライブだから早めにきりあげたつもりが、十二時からはじまるんですもの!
いざ名古屋だぎゃ

スター目線、リハーサルにて
かっこいいぜ
名古屋のライブも最高やった。写真と本文は関係ありません。
田中ロケッツとパセリ佐藤
ミュージシャンは真剣だ。 僕は一服休憩することにする。
代官山キャンドルナイト。うちらの音楽をききながらイマジンにて絵をかきあげてくれた。
暗くてあんまり見えないけど、感動した。
微妙に堂々とパクってるスマイルくん

2007年11月29日木曜日

Vol.94「宮崎ブログシミュレーション」の巻

今月はライブにて宮崎ですごす四日ほどを
ブログ形式でおおくりしたいとおもいます。
最近よく友達のブログをみる。
今日は何やってんのかなぁーとのぞきこむ。
いつからこんな淋しい男になってしまったのかともおもうが、
おもしろいので仕方がない。
自分もやってみようかとおもうが、
生活の全部がブログになっちゃいそうで怖いので、
この場をかりて
今回はブログ的なシミュレーションをできたらとおもう次第です。
いかがおすごしか。

 出発だ~。羽田空港へ、いざ!
 2007.11.22[THU]

満員電車でギュウギュウ牛歩。
乗り遅れの原因だが
はやく家をでてればよかったんですね。

2007年10月26日金曜日

Vol.93「空」の巻

 肌寒くなってきた、冬がきますね、
目が覚めて、外は雨。絶好の連載書き日和です。
 毎月締切近くなってくると、この連載担当の田中さんより「へいへいへい諭介ーそろそろだぜー耳をそろえて明日の朝までにだしやがれー(笑)」ってなメールが届く。
  ずーっと何年も、毎月だ。書かせてもらってる上に催促までしてもらっては申し訳ないと、毎月、今月こそは締切のだいぶ前に仕上げたろうと思い、とりかかっ てみたりするのだが、「まだまだ日にちはあるじゃないか」と悪魔が囁く。結果いつもの通りギリギリになるわけです。そんな耳をそろえてなくちゃいけない 朝、いきなりの言い訳からのごあいさつ、いかがおすごしか。おはよう。
 
 時間差ではあるけれど、10月6日に遂行した毎年恒例の「ジュテーム」。来てくれたキッズ達、“ありがとー!”。 来れなかったボーイズアンドガールズ、“何やってんだーあほ! 来年は来なさいよ!” なんちゃって。
 翌日の日比谷野外音楽堂でのライブと合わせて、この2日間に照準を合わせて来てくれたみんながたくさんおった。北海道や九州、名古屋、大阪、遠方からの顔もたくさん見えた。「なんでみんな毎回こないんだ!」なんつって言ったけれども、この日に会えるのはやっぱり嬉しい。
 ありがとう。

 2日間のライブとも「空」が見えた。ジュテームはミラーボールがまわって宇宙だった。
 野音はそのまんま空。夜空。歌いながら「空になってしまいたいなー」と思った。上をみて歌う。広い空、ずーっと続いてる空。空みたいな気持ちの男になりたいと憧れた。
 歌と空は似てる気がした。空にはなれないけど、空と感じあうことならできるんだなぁとおもった。歌っていると空が近くなって、その中にいるような気分になる時がある。
 本当に空みたいな奴に会ったらつまらないのかもしれないけど、やっぱり空には憧れる。
 ライブが終わってからも「空」が残ってた。空の下で僕はあまりにも小せーなーなんて気分にもなって、ちょっぴり恥ずかしさみたいなもんが芽生えちゃったりして、それはもってて当たり前な大切な気持ちにもおもえた(笑)。空の下で恥ずかしいことはできんもんだなぁと。

 曇ったり晴れたり、悲しい日の青空だったり、いろいろあるけど、誰でも広い空を持ってるんじゃないかしら。
 なんつってそんなことおもわせてくれた2日間やった。

「ロー ドオブウォー」って映画を観た。ニコラス・ケイジ主演の、戦争のための武器密売人の話だ。戦争をしている国に武器を売って大儲けしている人の話なんだけ ど、空の下のダメな男が似合うニコラス・ケイジ、「リービングラスベガス」って映画を観て、そのダメ男チャンピオンなところが好きだったので観た。かなり いい味を出してるのだが、僕が感情移入して観たのは、国境に立つ兵士だった。ニコラス・ケイジが武器をトラック二台に積んで国境を通過しようとするとき、 その兵士はトラックを検査するのが仕事だ。「何積んでんだ」「傘だ」「傘のわけないだろ!」ってなやりとりをしながら、まずは書類を検査しているのだが、 その書類の間には大金が挟まれていて、それをみた兵士は「よし、通っていいぞ」とトラックを調べようともせず通してしまう。
 
 もしも僕が兵士であったらどうだろうかと考えて、きっと僕ももらってしまうかもしれないと、いや、もらうなこりゃと、もらう確率95ガロンはいってるなと確信した。
  のこり5ガロンで突っぱねたとしても密売人は国の一番偉い人ともつながってるし、どうにもならんだろう。通してしまえば、人の空を奪う武器だというのに目 をつむり、争いで貧しくなった我が暮らしを思い出し、きっと目先の金を握るだろう。空を忘れた人達が巻き起こす集団ヒステリーの中にいて、僕には見える空 があるだろうかと考えた。

 空があってほしい。
 映画の最後に「この映画は事実に基づいている」とあった。
 今現在、この空の下での出来事だ。



 これを書いていて、ブルーハーツの「青空」って曲を聞いてみたくなった。
 そんで僕は、力強い黄色の光るバナナの皮をむき食べることにする。

 雨、東京の空の下にて。
人形かなと思うくらい動かなかった。
なんかものすんごい考え事があるらしい。
ワシ対ウマ(猫)
飛んでるワシ対ウマ
地上におりたったワシ対ウマ。
猫パンチ!
なんてバ―チャルな猫なんだろう。
久々の野生に還ってます。
よだきんぼ万歳
よだきい=めんどくさい

2007年9月28日金曜日

Vol.92「夏バイバイの秋日記」の巻

 秋。昼間暑くて、朝夕涼しく気温の変化激しいなかでの体調管理、風邪などひいてないか、いかがおすごしか。
 
 9月23日は宮崎の地元で、毎年行なわれている「サウンドビーチすみえ」に参加いたしました。その一週間前に台風によって延期になり、スケジユールの合わなくなった出演者の代打として出てくれないかとの電話が入り、いくらなんでも急すぎるやろとおもうも、実行委員長が高校の後輩でもあったし、僕はスターでもあるので、ここは先輩風を吹かせ「おう! まかせちょけ!」と気前よくひきうけたものの、夜になって考え直し、スターなのに多少の条件等々の大人な調整をぐじぐじとして、参加するにあいなった。

 山をぬけ海に到着し、ヤッホーな気分も早々に司会業が待っており、宮崎のFMのDJである木村つづくさんとMCを務める。ライブイベントと思いきや、ダンスあり抽選会あり、フットサルあり腕相撲ありと、なんでもありのイベントだ。 
 スターなのでなんでもできると思われがちだが、司会ってむずかしい。自分のことだけじゃなく、全体を見ての要点をお客さんに伝えるってむずかしい。もう木村つづくさんにまかせっぱなしであった。さすがプロだ。僕は抽選会の時にくじを引く役目をした。
 一度やってみたかった伊東四朗の「ニン!」も、あまりに古いため自己満足に終わった。「ニン! 362番! シイタケ! おめでとうございます!」ってな感じだ。「このシイタケどうやってたべますか?」「味噌汁に入れて食べたいとおもいます!」「いいっすね味噌汁! おめでとうございます! じゃあ次!」ってな感じだ。
 僕は二十歳そこそこの頃を思い出した。社会勉強だとパブで働いたことがあった。パブとはいえ、女の人などがきた場合席につき会話をする、なんちゃってホストだ。僕は人と会話するのが苦手だった上に、自分で働いておきながら、“こんなとこに飲みにくる女子はアホや”ときめつけていたので、会話もはずむはずがなく。「食べ物何が好きなの?」「えー、わかんなーい」「へー、ピーマンとかどう? 食べれる?」「食べれないこともないけど」「じゃシイタケは?」と、どうでもいい質問をくりかえしていた。そのうちお客も「何この子、疲れる。替わってー!」とチェンヂを要求し、自分で先輩ホストのとこにいき「なんか自分、疲れるみたいっす」と言って替わってもらい、ぼくは商店街へチラシ配りにいくといってはギターをもっていって、歌ってさぼってた。かなり話は脱線したが、そんなシイタケリンクを頭の中で張りながらも、会場はうまか棒まき大会へ移ったので、ステージの上から大量のうまか棒を集まってきたガキんちょ等にまく。うまか棒を我先にと激しいバトルが繰り広げられている中、一人のガキんちょが微動だにせず、眉間にしわを寄せてこちらを睨みつけていた。僕の姪だ。僕はアイコンタクトを受け取ると、姪めがけてうまか棒を投げる。姪は笑顔になり、自分のまわりに投げられたうまか棒を拾った。

 それが終わると今度はフットサルの実況中継。グランドの方へ移動し、その隅で僕は解説を頼まれていたのだが、「ルールも知らないのにいいのか」と聞いたところ、「いっちゃがいっちゃが」と実行委員が言うので引き受けたが、案の上展開が早く、なんにも解説できず、ただ見ていた。それでもところどころ「うわーすごいっすねー」とか、ただの感想をマイクにとおして述べていたのだけど、ふと客席の方を見ると誰もフットサルを見に来ている人がいなくて、僕は椅子から転げ落ちるくらいに大爆笑をした。どうにもならない木村さんと僕の中継が、芝生の上を転がっていた。

 夜になり、いよいよイベント本命のライブへと突入し、僕も休みながらライブのことだけ考えられる時間となった。延岡のバンドTHE SUSがかっこよかった。刺激を受けながら自分の番となり、歌った。最後には海辺より打ち上がる花火を見て、今年ぎりぎりの夏が終わった。
 台風のおかげで、ぎりぎりではあったけど、毎年手作りで、なんかやったろう!と自分等であれこれ考えてやり続けているイベントに参加できてよかった。

 

 翌日、実家に戻れば食べておきたい天領うどんを食べにいき、歩いての帰り道。団地の横を通りすぎるとモノが投げられた音がして、ヒステリックに子供を叱る母親の声が聞こえてきた。人の家には人ん家のルールや事情があるとはいえ、聞きたくない音と声だった。僕はわびしい気分を引きずって、きっと天気のせいだと、くもり空のせいにして団地をぬけて堤防にあがった。
 草むらに埋もれ、彼岸花が咲いてた。とんぼが飛んでた。空は相変わらず曇っていて、川は流れていた。やっぱり団地の声が残ってて、「ホテルルワンダ」という映画を思い出した。ひきずりながらも実家のご先祖さんの墓に手を合わせて帰った。

 毎年恒例のお祭。

ちょうちんをぬけていくと
おめんやら、金魚すくい 。

毎年おもうけど
色がきれいなお祭です。
小さくてかわいいお祭。
映画にでてきそうなお祭です。
もっとでかいビックリボ―ルをとってやろうと すくっては、流して
大物狙いのガキんちょの男の背中。


2007年8月28日火曜日

Vol.91「秋のいたずら」の巻

 まだまだ暑い日が続くね。
 こないだいつも歩く道で信号待ちをしてボーっとしていると、視界の隅で何かが動いたので「おっカニだ!」っとそちらへピントを合わせてみると、枯れ葉が風に押され横に動いてただけでした。考えてみればこんな街の中にカニが歩いてるわけもなく、僕はガッカリして「カニだったらよかったのになぁー」と人ごみの中を歩いていきました。いかがおすごしか。

 カニだったらよかった。本当にそう思いながら人ごみを歩き、田舎のポンプ小屋を思い出してた。夏になると田んぼに水をおくるためにポンプが動く。モーターの音を轟かせ、勢いよく用水路にドドドドドーっと水を噴き出す。小学校の時、ソフトボールの練習の最後にランニングがあって、そのゴールもポンプ小屋だった。汗だくで沸騰した体を冷やしてくれた。僕たちは丸坊主の頭をその水の中に突っ込んで、水圧に耐えながらも開放感に奇声をあげたり、ヤっホーな気分をあじわっていた。気持ちよかった。 
 その用水路にカニがいっぱいいた。体の熱も冷め、呼吸も落ち着いた丸坊主。
 その中の誰かが「おぉ、ちょーでっけーのがおる!」なんつってはじまると、夕暮れ時の平和なカニ社会も一斉に大混乱。丸坊主大空襲。誰が一番でっかいのとれるか選手権がはじまり、そのちょーでっけーやつはちょこんとつまみ上げられ、ほかの丸坊主の感嘆を呼び、のちにハサミに小枝などをはさませられデモンストレーションをやらされる。「おー! ちょーついー!」その強さに丸坊主感嘆。その一番でかいカニをもっている王様丸坊主は、強いのはカニなのに、自分が得意になって今度は自分の指をはさませてみようとする。平民丸坊主達は「おーあぶねー!」と喜んで「はさまれたらおもろいのに!」と心の中でおもう。そんな平民達の気持にこたえようとしてか、感嘆がほしいのか、王様はもっとカニがはさみやすいとこへ自分の指を入れていく。
 案の定、王様は指をはさまれて「うわ! いてー!」、助けようとする者もいるが、大抵の平民達は大爆笑。「あいたたた!」と王様は指をふって、カニはふっとんで解放される。「血がでちょる!」と王様はカニの力がどんだけ強かったかを見せつけながら、血と涙をにじませて指を舐める。丸坊主達は、監督やコーチに「あしたー!」と挨拶をし、ポンプ小屋の音を後に、それぞれの家灯りへ帰っていく。

 きっとその後で、ポンプ小屋のモーターだけが響く田んぼ道を、横歩きでゴソゴソとあのカニも一人、家族の元へ帰っていってたんだろうな。 

 カニの甲羅にはいつも笑っているような模様があった。
 大きいのやら小さいのやら、「おい、丸坊主がきたぞ! 逃げる準備しろー」って大変やったのかもしれんけど。時々、それが気持ち悪くみえたりもしたけど、みんな笑ってるような模様があった。僕は確かに、そんなものたちと生きてきたんだなーと思うと、少し嬉しくて、ちと寂しくて、人ごみのごみになってカニと一緒に歩いた。

 まだまだ暑いと言いつつも、秋はそこまできてるのね。(おわり) 

P.S. 今年の夏は、四国の四万十川へ行ってみたかったが、予定が合わず。福生に行って終わりかとおもいきや、急遽24時間テレビに出演するべく宮崎の高千穂に行って清流をみれたり、ツアーでいった岡山でバーべキュウやったりと、おもろい夏になりやした。高千穂は夜になると流れ星が燃えていたし、岡山は山と空に包まれたステージで歌えたし、まったく自分らで主催してるフェス、サウンドウッドでは熱い人達に会えたり、おもろいことっていっぱいあるもんやねー。
 
P.S.2 夏休みの宿題。
この夏のおもひで。 
これ読んでるあんたはどんな夏すごしたのか、教えてください。教えてちょんまげ。

P.S.3 佐賀北高校、感動しました。帝京高校のセカンドのファインプレーには一人スタンダップオベーションでした。 
日南学園勝てると思ってたのに残念でした。  
何が起こるかわからんもんや、ほしかった! 
甲子園、高校野球、今年も鳥肌がたちました。かっこいいっす! ありがとう!

 残暑見舞い申し上げます。
ツアー帰りに寄った神戸の温泉街にて。
 毎回打上げになると繰り広げられる即興のコントに腹割れるほど笑う。
激しくて悲しい笑いに尊敬の念をいだきます。
こんなライブハウス他にない。
神戸にて。
 太陽の神様が隠れてしまったと言われる洞窟。
子どもの頃は 川原に石が積んであったりして、怖く感じたものです。

宮崎県の高千穂にて。

高千穂おすすめです。
「ぶどうの樹」というペンションが、またいい感じです。

高千穂線のレ―ル

















2007年7月30日月曜日

Vol.90「バイカー中尾の福生ツーリング日記」の巻

 今年の夏は曇りばっかりかと思いきや、25日より晴れた。暑いぞ東京、ムシムシするぞ東京。全国の、世界のみんな、そちらの天気はどうよ、いかがすごしてるんだ?
 地震の被害にあってしまったみんなは、ただでさえ暑い夏にどう暮らしてるんだろか、この文を読むことすらできないでいるんだろな。ヨーロッパの猛暑48℃って、どんだけだ。30何度でうなだれているというのに。

 騒音と排気ガス、湿気や時間。東京の夏の中にいて、きれいで冷たい清流を想う。
 会いに行きたいと思い立ったが吉日、海パンに着替え50ccの我がアメリカンバイク/ズーマーにまたがり、というか足を揃えて、いざ清流へと向かった。東京脱出だ。
 
 ペケペケと静かなエンジン音を轟かせて、車の間を抜けていく。荷物は少ないほうがいいがバッグの中に本とiPodをいれておくと、楽しみもますし、心強い。
 
 少しいくと町並みもさびれてきて時間もゆっくりになる。もすこしいけば田園風景か、狭いな東京と思いきや、大都会があらわれまだ吉祥寺だと知る。甘くなかったか東京だ。
 吉祥寺をぬけていく。どこに清流があるのか知らないが、すべての道はオートバックスに続いてるのと同様、「なんか山の方にいけばあるだろう」でいく。

 すぐに街路樹一本道があり、木陰の中を走ってく。気温も涼しく森林浴だ、泳いでるみたいで気持ちがいい。が、バスの後ろについて走ると、黒い排気ガスをまき散らかされて、いまだにそういうことやってっからヨーロッパ48℃になっちゃうんじゃないのかファック!と心の中で罵り、追い越してく。
 
 交差点の脇に小さなタバコ屋発見。「ちょっと一服していけば?」と外に置いてあるベンチに書いてあり、「していくわ」とバイクをとめてフルーツジュースを飲む。
 店の中はタバコとライターしか売ってないわりに広く、壁には店主が書いたのであろう、「苦しみの数だけ幸せはおとずれる」うんぬんかんぬん。みつを的な文句をカレンダーのうらに書いたのが貼られていて、興味をそそられる。外のベンチの肘置きにはコンビニの袋が何枚もかぶせられていて、クッションがわりになっており、言っちゃ悪いが洗練されてない。けど、こういう静かなおもてなしは気分を楽にしてくれて、楽しくなる。

 店主は白い髪とヒゲの初老。もう一つのベンチに座り、こっちをチラリとみては新聞を読んでいた。「この辺に泳げる川ないですか」と尋ねると、「遠くから来たのか」と聞かれ、少し遠くから来たことを伝えると、その土地のことやら、店主の昔の仕事やらを聞かせてくれた。東京オリンピック前はここらへんの公園は米軍基地やったことやら、そこのアメリカ兵に車を売ってたことやら。「へー占領みたいな感じやったんですか」「んー占領っちゅかな、負けたからな」そんな会話を繰り返し、結局、川にいくには夜になるし、山にいけば気温も下がって寒くなるぞということだったので、(ここまで書いといて何だけど)清流行きをあっさり断念した。

 ……のかわり、来る途中より看板にかかれていて、気になっていた福生(ふっさ)を目指すことにした。
 福生と言えば、店主の言っていた米軍基地があるし、海パンはいてきたけど森林浴したし、まぁいっかと。それに米軍基地=そのまわりにはうまいハンバーグを出してくれる店があるはずと、いざハンバーグを目指すことにした。

 途中、ほんとにオートバックスがあったが、用がないのでその先へ。
  
 福生についた、すぐに基地を発見した。広い。滑走路の横の側道を我がアメリカンバイクで走った。広い、広い、でかいぞアメリカ、基地でかい。トップガンのテーマ曲も流れだし気分よく走っていると、金網フェンスにしがみついて基地の中をのぞいてる人を発見したので、僕ものぞいてみることにした。その人は全身青ずくめのサイクリングの格好(競輪選手みたいな)をしていて、小太りの50才くらいのおじさんだった。また、あのピスタチオの殻みたいな、カブトガニの甲羅みたいな形の青いヘルメットをかぶっていて、サングラスできめていたので、コミカルだったが、「何が見えるんですか」と聞いてみた。おじさんは腕時計を見て、「この時間になると、今日はこっちから風が吹いてるから、あの方角かな、でっかい輸送機が着陸してくるんだよ。」と教えてくれた。おじさんはデジカメも準備してるくらいなので、よっぽどかっこいいんだろうと、一目僕も見ておこうと思い、二人並んで金網の向こうを見ていたが、なかなか来ないので、ハンバーグ屋さんの場所などを聞いて時間をつぶしてたが、やっぱりこないなーと思っていると、ピスタチオのおじさんも「今日はこないみたいだね」と、あっさりサイクリング車に乗ってシャーっと帰っていったので、僕もいざハンバーグ屋さんへ。

 教えてもらった16号線にいくと、その通り沿いにはアメリカ風味な店がならんでいて、リトルトーキョーより、リトルなアメリカがあった。思い描いていた大きなハンバーグをペろりと食べて満足。僕はアメリカが好きだ。でっかいからね。清流はみれなかったが、そう遠くでもないけど、来たことのないとこに来てみて、知らなかった雰囲気を知れてよかったなぁーとおもった。やっぱりこれ、今年の夏に四万十川を見に行こうと、次の旅を決心させるツーリングでありました。

 ……んが、帰り時は夕暮れ時で、アメリカ風味の店や、カタカナ英語の看板が少しだけ寂しくも見えたりして。これもおみやげかと、我がアメリカンバイクを走らせました。

 また、タバコ屋の店主の言う通り帰りは肌寒く、行きがけに罵ったバスの排気ガスがあたたかく感じ、「さっきはわりかったね、いろいろあるわね、ほどほどにね」と追い越して帰ったのでありました。
  
 四万十川の手長エビが“おいでおいで”をしとります。

P.S.イチローがマリナーズとの契約を5年更新した際に、インタビュアーから「ずっと一つのチームでプレーをした、または、している選手をみてどうおもいますか?」との問いに「茶髪が流行ってる中で黒髪が美しいように、輝いてみえています」的な返答をしていた。自分が黒いからじゃなく、茶髪や、転々としている選手がダメとかじゃなくて、なんだかおもろい、サムライなメッセージ。世界の中で闘ってることがたくさんあるんだろうなと思わせる、素敵なコメントだとおもいました。

 「スタ―連れてって」と 言っておりました。
 思わず入りたくなったけどちと違う。 でも間違えられる時はいっつもこれ。















2007年6月27日水曜日

Vol.89「祝34! 星から星の散歩歌」の巻


 梅雨? 夏? 梅雨? 夏?な毎日いかがおすごしか?
 年々、夏が暑くなっていってるような気がしませんか? どうですか?
 陽射しがいたい。年くって皮膚が弱くなってんのか、いや、きっと温暖化のせいだ。まちがいない。スター年くわない。 
 最近は「エコ」って言葉をよく聞く。ブームだろうがなんだろうが地球とか宇宙とか、風とか空とかってのを感じながら暮らしてくっていいなぁと思う。「んんちょっと喉がいがいがするからタバコひかえよう」「ちと熱っぽいなぁ、やーすも」ってなぐらいに、もらってばかりじゃなくて、自分の体と同じく感じてケアしながらいけたらいいんだろね。僕はといえば、電気なるべく消したり、本のカバーや、コンビニ袋をなるべくもらわんかったりするぐらいやけどね。しかも、なるべくなんだけど……それだけで、森林なんかが浮かんできちゃったりして、緑がもくもくしだしたりしちゃったりしちゃうから、僕の頭はなんて簡単なんだろうともおもうが、無理はしたくないし、できる範囲でなんかできたらいいなと思う次第だ。(しかしこれ、{地球にやさしく}や{エコ}とか聞く、見るたびに、なんだか気持ちがぞわぞわするのはなんででしょうか。自分の口からは素直にでてこないのです。みんなの合言葉っぽくなってるからでしょうか。意味がよくわかってないからでしょうか。そんなに私ってマイノリティーなのでしょうか、アンダーグラウンドなのでしょうか、共産党なのでしょうか……でもなんかよさげな感じなので、よしとしようじゃありませんか。)
 
     
 そんな僕もめでたく、いや、見事に! 34イヤーズのオールドになりました。       
 ありがとぅおう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!う。
 男は34からっちゅうことにして、これからふんだんに男のなんかをどばーんとふりそそいでいきますんで、これからも34、男の歌に会いに来てやってくださいな。

 誕生日を迎えるとふとふりかえったりして、ラジカセに向かって大声でうたったり、高校の中庭ではじめて弾いたクラシックギターやら、畑の真ん中で歌ったりしてた頃から、今まで歌ってきたことが奇跡に思えたり、あったりまえだと必然におもえたり、どっちにしてもいろんな場所で歌っては人に出会えたり、会いにきてくれた人がおったりして。そんな顔やら、景色が浮かんだりして、おもろい道やなと、幸せもんやなと、おもえたりもして。ありがとう。

 んがしかし、これからもスターとしては、次の星にいくまでに、返したいものもあるし、まだ行ってみたい場所はあるし、ウッドストックには出らにゃあいかんしで、この星を散歩しながら歌ってるとおもうから。またどこかで、これからもひとつキャッチボールの相手をたのむ次第です。よろしくね。

九州にしか売ってないはずのブラックモンブランをセブンイレブンにて発見。二週間限定とのこと。この味は他じゃないと思うんだけどなぁ~似たのはあるけど微妙にちがうんだよな~。 おいしいっす。これ子どもん時の定番でした。
宮崎のタウン紙にて映画をからめた連載をやってるので 朝一番、8時50分から大日本人を一人見に行く。朝からホテル街を抜けて映画館にいくのが新鮮だったが、また新鮮だったのはうまくとれなかったが、エッチボテルと青空。
エッチボテルと青空2
東京にて妹と弟と三人でのんだかえり、フワンと香りにさそわれ、探してみたら夜中に咲いてた お前たちいい匂い。



2007年5月31日木曜日

Vol.88「のべチャリ、流れ生くものの中で」の巻

この時期にしては暑いですね。夕方になると風が乾いてて気持ちいい。このまま乾きっぱなしだったらいいのにねーってもうすぐ梅雨やん。梅雨は梅雨で、かたつむりになって楽しむとしましょうね。ちゃぷちゃぷらんらん、いかがおすごしか。

 ママチャリこいで、地元宮崎は延岡をながした。チリン。通学路だった道をこいでいく。「あんなーこーとーこんなーこーとー」って小学生、中学生、高校生の僕を眺めながらこいでいく。
 この辺でうんこ我慢してかえってたなぁーとか、小1の時、商店街に「くるくる」って名前のブティックができて、その前を通る度に友達と「くるくるぱー! くるくるぱー!」っておばさんが怒るまで叫んで、怒ったら走って逃げたりしてたけど、1人のときは何も言えなかったなーとか。これといった発見はないけど、所々でタイムスリップしては、バイバイしてこいでいく。                           
 ぼうーっと、ふらぁーっとこいでいくと、人が少ないことにきづいて、平日だったことをおもいだした。平日の昼間から働き盛りの三十代男が、少々小さめの不釣り合いなママチャリなんかをスリッパでぬぼぅーっとこいでいると、このご時世、不審者だと思われそうで。また、さっきまですれ違ってきた昔の自分達にもがっかりされそうで、少し不安になる。不安になったので自転車屋さんにいってタイヤの空気を入れ、新しい気持ちで再出発。
 不審者に見られないよう、また、昔の自分達に恥ずかしくないように胸を張り、規則正しく、サドルと背骨が垂直になる形でピンと自転車をこいだ。
 気持ちがいい、ぼうーっとしてない、すっきりしている。その上にタイヤの空気もパンパンで、さっきより楽にスピードがでる。楽にスピードがでるのでどんどんこいでく、どんどんこいでスピードが出ると何だか面白くなって、笑えてくる。足がおっつかなくなるくらいこいでくと、一瞬、どっかの店のガラスに自分が映った。
 背筋を伸ばしすぎて胴が長く、ゼンマイを巻きすぎたおもちゃみたいで、これもこれで不審だなぁと。何が世間体だと、やっぱりだるそうにして、文句あるかと少しワルい感じでこいでいく。我ながら非常にめんどくさい性格だ。 

 とはいえ、延岡の町は緩やかに時間が流れ、雲が流れ、川が流れ、風が流れてた。日差しは眩しかったけど、空は広くて大きかった。誰がゼンマイを巻いてるわけでもないのに、流れていきよる。そんな中で僕も流れて生きよるのかとおもうと、暇過ぎたのか少し、ぐっとくる。水鳥みたいのが魚を狙うわけでもなく、川辺でずっと立ってた。何考えて、どんな時間に生きてんだろう。流れていく川と一緒になってた。

 途中、友達宅に寄り、子供としゃぼん玉を飛ばし、服をもらい帰る。途中、夫婦で床屋を営む友達んちで、ぼぅっとして帰る。
 
 同級生が子供を育て、夢持って大きな時間の中で暮らしているのを見ると、僕もぼぅーっとばかりしてられんなと。
 流れていくものの中で、夢でっかくもってstay dream生かにゃあいかんなと、改めておもわされ、「二度目の上京」的な気分で東京に戻った次第だ。



 テビュ―する前頃、下北の路上で歌ってたら、ばったり会ったひょんきちくん。高校の頃は喋ったことなかったけど、顔は知ってたから声かけた。高校の時から付き合ってるひょんこちゃんと上京し美容師やってると聞いて、下北のしょんべん横丁のおでん屋で一緒に飲んだ。
 昔、親戚のおじさんが延岡で床屋やってて、そこにいくのがすきやったって。おじさん一人でやってた小さな床屋だけど、あんな床屋をやりたいとよね―って聞かせてくれた。たまたまその床屋さん、うちの近所で、僕が小学校低学年の時に行ってたとこで、切ってもらってたことがあった。
 記憶のなかで映画みたいに残ってるんだけど、白い泡のいい匂いやら、夕陽のさしこんでくる感じやら。で、あんまりしゃべらないおじさん。切ってもらってる最中に僕は寝てしまって、目が覚めたらオジサンは入口のあたりでイスに座って、なんも言わずに新聞読んでた。僕をずっと寝かせておいてくれた。ゆっくりで静かで、夕陽で、いい匂いやった。

 おじさんの床屋は今はもうないけど、おじさんが、僕が子共の頃に見せてくれた映画の続きを、ひょんきちくんとひょんこちゃんが一緒にみせてくれる、かわいいお店です。
 おでん屋で聞かせてくれた夢がほんとになってて、すごいなぁっておもう。
 延岡にいくことあれば、匂いをかいだり、髪切ったり、顔のマッサージに寄ってみてねん。


2007年4月27日金曜日

Vol.87「永遠の魚」の巻


 暖かくなったり、寒かったり、たしかに昔にくらべると不安定な感じで季節が変わりよるのかなぁって感じるこの頃、いかがお過ごしか。それにしても東国原知事、がんばってます。我が故郷だからなお興味しんしんで、やっぱりみています。
 知事の地元と僕の住んでた延岡は宮崎の北と南で離れてるせいか、言葉も地鶏もあんまり馴染みがないもんで、ピンと来ないとこもあるけど。やっぱり宮崎全体としてテレビなどからその名前がでると、おっとおもいます。宮崎市内のホテルにつとめてる友達が言うには知事の影響はかなりあるらしく、県外からのお客さんが増えているとのことで、友達も嬉しそうにしておりました。 

 僕がおもうのは、ゆっくりゆっくりでいいからしっかりとした県、国になったらいいなぁってことです。これは自分個人の人生願望と重ねて願ったりします。何かその先に、ずっとつながっていけそうなもの。
 僕の住んでた延岡市ってとこは、「参観日にきた父親たちのほとんどが、旭化成の工場の人」ってな噂を聞くくらい旭化成の工場がたくさんあって、その工場のおかげで市全体が栄えてきた所だそうです。 
 家の近くに「祝子川」(ほうりがわ)って言う川があって、川沿いに工場があった。そこから川に汚水が流れ込んでいて、その川はヘドロ川になってた。ものごこころついた時からそうだから、それはそれで、ヘドロに石を投げ込んだりして遊んだし、背中の曲がった魚を釣ったりして遊んだりもした。
 でもあるときじいちゃんが教えてくれたのは、昔の祝子川は泳げたこと、魚がいっぱい釣れて、食べれたこと、きれいだったこと。
 そんな話を聞いて「へぇー、いーなー、ずりーなー」って羨ましくおもったけど、出会った時からヘドロだし、工場もそばにあったから、どっかで「でもしょうがないね」ってあきらめてるとこもあった。
 でもでも「しょうがなくもない」って、大人になるにつれ思えたりもしてきた。
 自分が思えば変わってくってこと。工場やら大人のせいじゃない、自分が想ったら、変わってくってこと。小さい願いだって、ずっと先まで泳いでいけること。
 十年でも百年でも千年でも。自分、僕には限りがあるけど、想いやら願いってのには限りなんてないんだなぁーっておもう。そんで自分じゃない誰かに想いが伝わったり、その願いが実現して何千年先の人の景色の中に映ったりしたらいいなぁと思う。毎日そんなことばっかり想って暮らしてるわけじゃないけど、「祝子川」って曲ができて、最近、ライブで歌うたびに、そこへ近づけそうな気もしたりする。
 その工場のおかげで栄えた街で育って、恩恵もらってきただろうに。もらってきたからこそ思うけど、もう一過性の繁栄やらは、いらないんじゃないかと思う。川を泳げなくして、魚の背骨をひん曲げてまで手に入れた繁栄も今、商店街はシャッターを閉めてるし、駅前の閑散としたスナックのママの「昔は工場の人がいっぱいおってね、毎日にぎわっちょったちゃけどね」って昔話になってる。
 
 どげんかせにゃいかんちゃろうけど、あわてないでゆっくりと、今の流れとは別に、ライブや曲ができた時、キスやら手をつないだ時に感じたことのある、永遠らしき気持ちで市や県が、国が世界が、んで、自分が人が繁栄できたらいいなぁと思ったりするこの頃だ。
 

追記:時々、「リトル・トリー」って本の登場人物の「ウィロー・ジョーン」にアドバイスをもらいたくなったりします。

どんと、うんち!
今や田舎の実家でも、
犬のうんちは拾って帰る。
月島にて
こうみえて おいしかったよ もんじゃやき 
月島にて
久々にやった野球、勝利。
人生でいくと今何回くらいなんだろか。 
随分長く0点のままな気がするが。
しまっていこ。

2007年3月29日木曜日

Vol.86「春のひポワン、ダメ謳歌」の巻

 春やね~、ぽかぽかするね~、手放しで歩けるのがいいね~、ポワンや。
 昨日、飲んだ帰りに新宿駅まで歩いて帰ろうってことになり、クールドライブってバンドの大ちゃんと、朝の4時頃よちよち歩いてたら春風が気持ちよくて、そうしてるのがおもろかった。何話したか忘れたけど気が付いたら、隣りの四谷の看板見えてきて「ちがうやん! ちがうやん!」って笑いながら引き返してぷらぷら歩いて、格差社会のどうのこうののビルディングの足元でバカ二人で徘徊。気持ちよかったので許してね、春だから。いかがおすごしか。
 昨日は高校の時の同級生、本田誠人のやってる劇団のぺテカンの舞台をみにいった。
 30才こえて、青春荘ってアパートに暮らすダメな面々の話なんだけど、ジンとしたり笑ったり、なんかよかった。自分探しをしていると言い訳をしては、そこから離れられなかったり。夢はないけど、そこにいるみんなといるのが好きだったり、酒ばっかり飲んでたり。
 ダメなんだけど、素敵やった。
 
 ダメと言えば、この前“たま”のメンバーだった柳原陽一郎さん主催の“全日本ダメンズイベント”に参加させてもらった。ダメ男達によるライブだ。すんなり僕も誘われてるとこが嬉しくもあり、怖いとこでもあったが、ダメについていろいろ思った。
 柳原さんは「何も、かもしだしてない背中ですいません」といって、背中をむけてピアノを弾いて歌う。つげ義春の漫画にでてきそうな風貌で、全身からダメダメオーラを出しながら歌うその歌の中には、あったかいもんや、希望があって、ダメダメを前提に歌っているから、また説得力があった。
 ふと、柳原さんが歌いながら街中をパレードしてるのを想像した。ノルマをはたさなくちゃいけない人、約束ばかりしている人や、えらぶってなくちゃいけない人達もまるくなって、どんな街宣車より、戦争反対のパレードより、柳原さんの存在自体が強いメッセージになる気がした。恐るべしダメパワーや。深海魚が歌ってる感じもした。深いとこから光をみてる歌や。

 誠人が高校の頃“たま”の大ファンだったこともあって、柳原さんを誘ってぺテカンをみにいった。公演後近くのゴールデン街で、インザスープの『火花浪漫』や『ヘブン』の写真をとってくれた三浦さんが個展をやってたので、そこでぺテカンのメンバー数人と、柳原さんやバンドマンやらの八人くらいで飲んだ。六畳もなさそうなオンボロな屋根裏部屋みたいなとこの床に座って、三浦さんの写真に囲まれて。バンドマン、演劇人、写真家やら……うつみようこさん曰く「基本的にダメな人種」たち。何話したかあんまり覚えてないけど、みんな笑ってて、僕も笑った。時々柳原さんが、起きてるのに寝言みたいに「続けることだよね」と、うなずきながら言ってた。

 その部屋は3階にあって、1階にトイレがあるから降りてくと、小さなカウンターに一人おばさんがいて、聞いてもいないのにマスターが「この人はピンク映画の監督なんだよ」と紹介されて、「おぉ、エッチビデオの監督ですか」とノリで答えると、そのピンクおばさんに「ピンク映画とエロビデオを一緒にするな! その違いを800字以内にまとめて来てからじゃないと、話はできん!」「すんません」なんつって、わけわからぬまま説教されたりして、もうその全体的にダメな感じもおもしろかった。

 ぺテカンの青春荘を覗いて、三浦さんの写真みて、屋根裏部屋で飲んで、徘徊して春風吹いて。何を話したか、あんまり覚えてないけど、昨日の酒だけじゃなく、ダメでもあったかいもんが残ってて、いい気分。ダメだけでは終わりたくないけれども、ダメ自己認識のまったくないような人間にはなりたくないなとおもう。なんだかやたらと「ダメ」という言葉がそばにある今日この頃、春の日、ポワンだ。


 トンボのあかちゃん。夏また会おう。
延岡の川にて。
カブト虫のようちう。 夏また会おう。
延岡の山にて。
朝、なんかの花とツボミたち。
ちかじか会おう。
どんだけの花が咲くやろか、
どんだけのツボミをもってるやろか。
東京にて。

2007年2月27日火曜日

Vol.85「東京ガエルオモウ」の巻

 春一番を感じる風が雨の合間に吹いてスキップをしたくなる。 下水のマンホ―ルの上に、両拳合わせたくらいのでっかいカエルを発見。そういえばお前、冬眠していたんだね、春を感じてでてきたんだねと、もっと高くスキップしたくなる。 春が~春が来ましたよ。いかがおすごしか。

 しかし驚く。東京の世田谷区であんなにでっかいカエルをみるなんて、田舎だと草むらやらで隠れられて人間にみつけられずにいるのだろうけど、都会ではアスファルトやから、なんだかマヌケにもみえる。

 「自分の季節」と「風が運んでくる季節」があるように思うが、風が運んで来てくれる季節を受けとれるってのは、なぜか非常に贅沢なことのようにも思えるこの頃だ。自分の季節などちっぽけにおもえる。爺さんになってきたのだろうか。縁側でお茶をすすって、うぐいすの鳴き声にしみじみの域に近くなってきてるんだろか。

 しかしあのカエル、田舎のカエルに比べるとさみしいんじゃないだろか。田舎だと他にも、つくしや菜の花や、他の虫たちやらと共に春を謳歌できるやろけどね。アスファルトの上にぽつんやもんね。
 人間の都合だけで申し訳ないとおもいながら、都会の便利さに甘んじながら生活を営む33才男子だけど、 都会のカエルになって思ってみれば、暖冬、猛暑やら季節を壊したり、自分らの都合だけでミサイル打って宇宙にゴミをまき散らしたりしてまで欲しい、自分たちだけの季節って寂しいもんじゃなかろうか。
 
 人が増えて生ゴミ増えたらカラスが増えて、カラスを消すじゃなくて生ゴミ無くすっていうかなんつうか季節のように、巡る感じで生きたいなぁとおもう春の東京ガエル。ゲコッだ。

P.S.春はきたかね?

とはいえまだまださみ―な
そういえば東京きてつくしみてないな





2007年1月29日月曜日

Vol.84「2007年、今年の抱負であります」の巻


2007年明けて、はや一ヶ月。
今年もまたよろ、よろしくね。
2007年いかがおすごしか。
 と、挨拶文を書いて新年一発目だというのに、何をかけばいいのか定まらず、一日がすぎてしまった。何を書こうか定まらないので今年もまだ11ヶ月も残っているが2007年を振り返ってみようと思う。
 ある日。新年早々、あるマンションの下に報道陣がわんさかいて、その中の一人に「なにがあったんですか?」と聞くと、妻が夫を殺害し、バラバラにした事件の犯人と被害者の家だと言う。「えー!!」っと非常に驚いて報道陣と一緒に上をみあげていたら、一人のレポーターが僕に質問をはじめた、かと思うとその他の報道陣も一斉に集まってきて、あっという間に僕は報道陣にかこまれて何本ものマイクをつきつけられた。そこをよく通るというだけで何の情報ももってないのに、「管理人さんはどんな人ですか」「リフォーム業者を見ませんでしたか」等、かなりギラギラして聞いてくる。「うーん」と、ない記憶をふりしぼってもなにもでてこないので、「わからないっす」というと、負けじと「どんな人が住んでるんですか~」と聞いてきて「どんな人……?」と思っていると「たとえば、お金持ちとか」と言ってきたので、マンションの見た目から「あー金持ちっぽいですよねー」と言うと「おー金持ち!! ははーン裕福ね、ほほー!!」と、それはこっちが怖くなるくらいの食いつきだった。日ごろニュースなどを見ていて、犯人の隣に住む第三者の人がインタビューを受けているのをみて、その人がうっすらとニヤケていたりした場合や、その後ろでピースとかやってる若者を見たとき、「なんでにやけてるんだ、他人事だとおもって、バカじゃないのか!」と腹を立てたりしていたのに、その撒き餌をまいた時のボラちゃんのような食いつきに、なぜかおかしくなってニヤケてしまい、そんなやりとりをしているうちに僕は、ニヤケるどころか笑い出してしまった。それを見た報道陣が、今度は蜘蛛の子が散るようにみんないなくなった。助かったと思うと同時に、自己嫌悪に落ちながらその場を去った。

 またある日。僕は北海道に行った。夜に一人、街へくりだした。吉田拓郎のファンが集う店で、マスターも吉田拓郎似だ。さっきまでイカの丸焼きを焼いていたマスターが、自分で照明を暗くして、ステージで歌いだす。もちろん吉田拓郎の歌をうたうのだけど、MCも吉田拓郎風味で、なんだかむずかゆくなって二曲聞いて店をでた。

 帰る途中にオンボロな居酒屋を見つけたので、演歌な気分でしみじみ飲みなおそうと思い、のれんをくぐった。カウンターしかない店で、一番奥に豹柄の、大阪のおばちゃんみたいなおばちゃん一人と、中にはオカマみたいな低い声をだすおばちゃんのママ。やっぱりしみじみ演歌には日本酒だろうとそれをたのみ、しみじみしはじめようかと思っていると「名前はなんていうの?」と聞かれ、「ゆうすけです」と答えると「ゆうちゃん、なんかカラオケ歌って」ときたから、しみじみしたい僕は、流れ者の高倉健のイメージで「いや、いいっす」と断ると、「90点以上だすと生ビール一杯サービスなのよ」と言う。「あはは、でもいいっす」としみじみを保っていると、豹柄のおばちゃんに聞こえるように「この人なんていっつも90点以上だすもんだから、商売あがったりなのよ」と言う。すると豹柄のおばちゃんがカラオケを準備をし始めて「今日は無理だと思うわよ」なんて謙遜しながらマイクを手に、流れ出したのが“おどるぽんぽこりん”で、タバコを吸いながらだるそうに歌い出した。だるそうなぽんぽこりんなんて最悪だと思っていると曲が終わり、ほんとに90点が表示された。「すごいっすね」「ゆうちゃんもやってみなよ」に付け加え、豹柄の自慢気なチラ見に、一曲歌うことにする。しみじみと河島英吾の「時代おくれ」を歌った。点数は70点。しかもくだらないことに、画面に女の裸が映っていて、点数が上がるごとにモザイクが消えていくというシステムになっていた。70点ではおっぱい部分のモザイクが消えてなくて、さほど見たくもなかったが「いやーほしかったなおっぱい」とノリで言うと「じゃもう一曲歌ってよ」と、しみじみも忘れて続けて二曲歌い、歌うほどに点数もさがり「うまいのにねーゆうちゃん点数でないねー」なんてやってるうちに、一体僕は何をやってんだ?と我に返り、日本酒一本とカラオケ三曲で、この値段は高いだろう!という金を払い、少々自己嫌悪で店をでた。しみじみ飲むのも難しいもんだなぁと思いながらの戻り道に、雪が降ってきて、それがキレイだったから全部オッケーとした。

また、またある日。映画「マリーアントワネット」を見に行った。

またまたある日は、中国の「孔子」の生涯を描いた漫画を読んだ。

 それによると女性によって国を滅ぼした王の話などが書いてあり、「女」は時として非常に怖いものであるなーと、気をつけねばと……いや、バランスよく、ほどよく、いやはや、やはり女性を大事にしなくてはなぁーと、しみじみとこれを今年の、これからの、抱負にしようと思う次第であります。
ハッピーニゥーイヤー2007!

 いいかんじだとおもったが、響きわたったポンポコリンだるいバムジョン。
やっぱり北海道の空は広くて向こうまである。