2006年2月1日水曜日

Vol.72「2006年1月」の巻


 2006年 明けました 僕は新しい携帯を買った。今までの奴はメイルが届かなかったり、つながらなかったりと不便なことが多かった。海外でも使えるっつうことでいつなんどき海の向こうへいきたくなるかわからんからと一年前に買ったばかりだったが結局いかずじまい。
 さすがのアメリカ製品でその日の気分でメイルを受け付けたり、受けなかったりされるもんだから、連絡事項も伝わらず非常に困った。はじめは外車みたいで、かわいいやっちゃとおもっていたが、この不確かなメイル時代にこりゃ使い物にならんとかえたしだいだ。
 しかしこの携帯会社、某ダフォン。人にもよるんだけどその日僕が受けた人はサービスが非常に型どうりで数々の不具合を並べた所、「アメリカ製品ですのでねぇ」とまるで他人事でもどかしい。悔しくなって「人としてみたいな所で携帯としてこれはおかしくないですか」とよくわからんことをならべてもスマッシュでこうきたらこうかえすを繰り返す。携帯会社だからといって人の口からも電子文字が飛び出さなくてもいいんじゃないかしら。なにをもとめていたわけでもないが、その人の前で僕がベルトコンベアの上にのっけられてたのがつまらなかった。
 クレイムはだすのもうけるのも不得意だ。んが僕がこの人の立場だったらかなりの流れ作業になってる確率70%くらいはいってんなとひき続きこの携帯会社から買った。
 
 2006年1月 サービスでおもいだすのは本屋さんのブックカバー、これいるかね。「カバーおつけしますか」とレジで問われる度に2つの絵がフラッシュバックする。1つは田舎の山々木々木々やら禿げた山。2つめは中学の弁当の時間。弁当をフタで隠して食べる女子。かわいさや恥じらいとは違うところに胸がキュンとしたあの絵だ。電車の中はあの女子中学生がたくさんだ。
 推測するにブックカバーの必要性は、大事な本の表紙を汚したくない、何読んでるか見られたくないってことだろう。前者、なら表紙は家で保管しとけばいい、後者、おもってるほど誰もあんたのことみてませんからーー! 残念っ! グリーングリーン いつまでも木々達に歌ってて欲しいカバー斬り!ってどうして今頃波多陽区。「おつけしますか」「あ、いいです」拙者、2006年1月、男らしいことしたっておもえたのこれぐらいしかない毎日ですから 切腹!
 2006年なんでもない日。ふと気持ちが軽くなったことがあった。ぽつんとしていると勝手にそうなった。
 遠くの街や人、匂い、今ある近くのものや景色、全部で自分だと実感できたときそれはとてもあたりまえのことでただそこにあった。 
 自分の足りない所、ポッカリ穴ばかりみすぎてたのかもしれない。
 自分のポッカリ穴だけをみてるとポッカリ穴はどんどん大きくなるばかりでそれだけの世界になってしまう。自分ではきずかなかったけど、みかねて天使が肩に手をおいてくれたんだなきっと。ちょっと前にみた映画「ベルリン天使の詩」な感じで。 
 2006年、そんな天使ともっと仲良くなりたいもんや。
             おわり