2005年9月29日木曜日

Vol.68「2005年、秋」の巻

  いかがおすごしですか。秋風吹いて、枯れ葉が舞う頃。うちの近所じゃ、ちょうちんぶらさがり、神社の祭りが始まろうとしています。毎年この時期に行なわれる町内のお祭り。小さな境内にびっしりと屋台が並び、お面や金魚すくい、りんご飴やら焼きそばやらやら。その間を人ヒトびっしり流れの中に混ざって歩きます。牛歩しながら左だ右だ。屋台をのぞいて金魚すくった、鉄砲撃った、あれうまそうや、なに買おか、なんてわくわくしながら歩きます。ほんと小さくて、な んてことない祭りなんだけど、黄色がかったライトに照らされた屋台のお面やら金魚やらの赤や緑、青がきれいでかわいくていいのよね。子どもたちは大人の間 を抜けてわ~なんて追い越していくけど、その声たちも遠くで聞こえるような、映画の中にいるような、静かなお祭り。夏に暴れた蝉時雨や夕立たちとも、このお祭りにきて心の中でやっとバイバイできる、そんなお祭りや。いいのよね。いかがおすごしか。                      
 秋に思い出す十年前、東京来て初めてライヴハウスで歌いだした時のこと。それまで僕はライヴハウスで歌うなんて考えもしなかったし、宮崎延岡の田舎には そんなものなくて、違う世界のもんだと思ってた。噂には聞いていて、いつか出れたらいいなくらいは思ってたけど、まだ先のことだろうと思ってた。そんな頃 にフォーク仲間な後輩が“今度ライヴハウスに出ることになったよ”なんて自慢気に言ってきて、僕はかなりびっくりこきまくった。プロになったっつうことか、と。置いてかれたような焦りと、ライヴハウスってもんが急に身近になったような嬉しさとが混ざった興奮。その後輩から、どうやったら出れるのか聞き出 して、さっそく“ぴあ”を見てオーディションを受けることにした。僕が選んだのは東京四谷のコタンというところ。田舎にいた頃から友達の親戚がそこに出て ると聞いてたので、僕の中では憧れの場所だった。電話で連絡を入れ申し込んだ。その時点で熱いものがあった。歌は歌いたくなったら歌う、畑でも、路上、家 でも、教室でもギター持って歌ってた。が、その時は何かこう、社会に対して歌う約束を自分で取り付けたっつうのが、大げさだけどグッときた。
 当日5~6人の候補者とオーディションを受けた。それぞれが2曲ずつ歌った。僕は“あの頃は”と“one way trip”っていうガシャガシャしたのを歌った。かなり緊張したが、歌いだすとマイクを通した声やギターの音が、スピーカーから店に拡がる感じが気持ちよ かった。今思えばひっちゃかめっちゃかだったろうけど、次から月に一回そこで歌わせてもらえることになった。30人も入ればいっぱいで、ステージの壁にゴキちゃん這うようなオンボロで小さいライヴハウスだったけど、僕にとってはその先の道が少しだけ確かになった、大きな初めの一歩の日になった。
 ギター握って、ブーツ踏みしめて歩いた四谷の帰り道。秋の夕暮れ。少し肌寒くなった風とアスファルトでころがる枯れ葉達。この時期になるといつも思い出す。僕にとって秋は自分の道を確かめて歩く季節だ。

 いつかまたコタンでライヴやりたいと思う。そん時はきてよね。

 P.S.宮崎延岡直撃の台風14号、メイルや手紙で心配してくれたみんなへ
 延岡もやはり川が氾濫し、被害に遭いました。実家の方は避難所に避難し、家は無事。が、妹夫婦の家が床上浸水、車も浸かって動かなくなったりと被害を受け、今も復興中です。電話でしか話せてないけど、妹元気にがんばってます。今回の被害で災害は当たり前だけどナメてかかれんもんだと実感しました。みんな も気をつけようやね。みんなありがとう。


B-PASS編集部より
今月は諭介センセイのPCが不調で、更新が遅れてしまったことをお詫びします。マンガ喫茶からメールしてみたり、挙げ句は原稿をプリント・アウトしてファクスまでしてくれた彼に、心から感謝!な編集部です。

“きれいやな、きれいやな”