2004年9月20日月曜日

Vol.56「長渕剛 桜島コンサート」の巻

 桜島が煙をはいて朝焼けシルエット。その向こう、桜島の脇腹あたりから真っ赤な太陽が少しずつ顔をだし、錦江湾を輝かしている。僕を乗せたフェリーは水しぶきをあげ、桜島を後にする。
 長渕剛オールナイト・コンサート。七万五千人と共に、夜を徹して行なわれた。僕を含め、トリビュート・アルバムの参加者達がゲストとして呼ばれ、“しあわせになろうよ”の一曲を長渕さんと共に歌った。この一行を書いて、なお実感が増す。同じステージに立ち、そう、長渕さんと共に歌った。これ、読者には “へ~”ぐらいのことかもしれないが、僕にとっては人生のちょっとしたビッグ・ニュースだ。
 もう何度も言ったり、書いたりしてきたけども、十代の頃に大きなきっかけをくれたのが、長渕剛という人だ。この人の出すものに共感し、憧れ、力をもらったりした。そして、自分を表現する手段としての音楽があることを教えてくれた人だ。なんかが出来そうで、やらかせそうで、わからずに何も出来ず、寂しさや空しさ、怒り悲しみ、みたいなもんがぐつぐつとなんとなく流れてた頃、十代。テレビで観た長渕剛はそんなものからも歌をつくり、表現してるように見えて、 僕の何かが共鳴した。大人になってもこんな人がいるってことも、心強くてうれしかった。“ぴぃぴぃぴぃ”ってそんだけで、その人の声、歌で伝わってしまう。長渕さんもいろんな人に影響を受けてきたのだろうけど、誰風でもないものだけが、僕に届けられた。だからこそ、誰にだってその人の歌があると思わせて くれたし、何より歌を歌うと、自分がここにいるという実感、証しがもてた。今まで何度か何を歌で伝えたいのか? 何故歌うのか?なんて質問されることが あったけど、なんで生きてるのか?ってのと似てる。時々人前で歌ったり、体から発することが始めは自己満足だったはずなのに、なんて恥ずかしい事をしてんだろうか、なんて思ってしまう事があるけど、発したことで誰かの熱だったり、笑顔だったり、もらえたりするとやっぱり嬉しくなる。そんなことをやれて今の 僕がいるのも、十代の頃に長渕さんに出会ったってことが大きい。そんな長渕さん、今もなお、ますます突っ走り続けての、一世一代、桜島オールナイト・コン サート。七万五千の人の波、ヘリコプターは飛ぶわ、花火上がるわ、凄まじく別世界だった。そんな中“しあわせになろうよ”。僕の歌うパートの前に“ユウス ケーナカオー!”と長渕さんから、お客さんの波にむけて紹介をしてくれて、負けじと僕も腰をかくかく。信じられるか、十代の頃の僕よ。あの長渕剛が僕を皆 に紹介してくれたっ! もう音に身を任せ飛んだり跳ねたり、緊張しながらもフラワーロックだった。曲の終わり、みんなで手をつなぎ万歳! しっかり立ち位 置無視で、ちゃっかり長渕さんの横にいき、手をつないで万歳。非常にミーハーやりました。
 楽屋にもどると南こうせつさんが、出演者に“よかったよー”とニコニコ、声をかけてくれた。僕はなんつーとこにいるんだ、と感動。しかしふつふつと、もっとこう何というか大活躍しなければなあ、と思わせられる桜島であった。

 追伸;出演後、客席から見ようと人の波にまぎれ歩いていると、僕にも告げず宮崎から桜島までコンサートを観にきてたマイマザーと、七万五千分の一でばったり会い、“まっすぐまっすぐ~”なんて一緒にうたったのはビックリ・ニュースだ。

「オハラハー! さっくっらっじまっ! ゲスト陣は早めに帰途についた。この頃この桜島のふもとで オールナイト・コンサートのクライマックス」