2004年12月25日土曜日

Vol.59「31の冬だよ おい!」の巻

 幡ヶ谷を自由行動、手ぶらで平日日中堂々、2004年のぼかぁふらふら徘徊、ダイオキシンに憧れる。アスファルトの下の汚された雨水、地下パイプを流れる。所狭しと人の住む縦長や横長の長方形に組み込まれたサイコロの目の様な……窓窓窓。僕ほど白々しくなく、僕より白々しい暮らしのアリ塚。12月の空気に乾かした唇を何度もなめて、ジャケットからパーカーのフードを出して、高校時代のようだ。で、乾いた唇に流し込む為の缶コーヒーの自販機に辿り着くまで歩き、褒美にタバコと交互に公園のベンチ。日中堂々。何の役にも立ちはしない、東西南北。僕の心は回りっぱなしの方位磁石。ふとよぎる女の裸。わいせつだ。わいせつだけがこんな日の方向指示器だ。くだらねえなあと思いつつ、冬の冷たさで頭ん中洗って。いつでもそんな気持ちは拭えないもんだ。
 寒いのは嫌だなあ。こんな日のコーヒーとボブ・ディランは悪くない。そんな12月、もう年末だ。2004年、この年を振り返ってみよう。私事だが、2004年は長渕 剛との出会い。今思えばあれは何だったんだろうか。誰だったんだろうかと思うけど、先日送られてきたCDとDVDを観ると、やっぱり僕は長渕 剛と歌っていた。この人は攻め続け、世界の中心で剛を叫んでる。昔とは違った形にせよ、刺激をくれた人だ。次回会う時は、もっとこう、何かやらかせたらと、やるじゃねーかキョーセラよろしく、刺激しあえたらと思う。
 何は無くとも自分事。2005年はもっと自分の道を、こう、つき進めたらと毎年思うが、例年以上に曇りガラス拭き取って、透き通る道が見えたらいい。
 んで、2004年コロムビアミュージックエンタテインメントとの契約が切れたこと。メジャー落ちだ。この時代、メジャーもインディーズでも変わりなく音楽活動はやっていける時代だけれども、やはり一度契約してそれが切れるというのは、ちとさみしいところがあるもんだ。メジャー落ち。落ちてるからね。人の顔が変わったり、変わらなかったり、自分の甘えていた所が分かったり、気付かさせられる。この後におよんでも、まだやりたい事よりもやりたくない事の方が目に付いて、まだメンバーや周りの人に甘えっ放しだったりしてる。
 おい、31の冬だよ。頭の中でごちゃごちゃ考え、迷い、揺れて、少しつまらん事になってんなあ、おい、と。アルバイト汗をかいていこうぜっつう事で、ヘルメット被り、ビルディングの直角を作る一作業員になる。やっぱりこれだな、と。飯がうんめーえなあーと思いきや、あまのじゃく、やっぱりここじゃねーなあーと。すぐに飽き飽きしてしまう。そりゃあそうだ、ここじゃないんで、全責任を放棄して幡ヶ谷ふらつき散歩、ふらふらふらつく、「何もしょえない男って不幸なんですよね、男ってやっぱり何かを背負っていた方が幸せなんですよ」と貴乃花がいつか言ってたよなー、なんて思いつつ、その通りだ。でもまあもう少し待っちょって下さい。今はこうやって、ふらついていたいんです。なんて言い訳をしながら、このつまらん時期をいつか笑い話にしてやる。
最後に2004年のベスト映画3。
3位、「イン アメリカ」
2位 「ミスティックリバー」
1位 「21グラム」
ショーン・ペンのかっこ良さに気付いた年であります。
何はともあれ、ライヴで会おう!




「そんな散歩の途中福井県で働いている友達から送られてきた写真。町の集まりでのだしものらしい。かなりきまってる。」

2004年11月23日火曜日

Vol.58「どっかで誰かのマイブーツ」の巻

 11月秋。いかがおすごしか、もう冬だ。'04年の秋は秋らしさをあんまり感じなかった。そのせいではないけど、あんまり関係ないけど、秋や冬の必需品、ブーツがなくなったのが気になる。どっかに忘れてきたらしい。僕にとってブーツは不思議な存在だ。十八の時初めて買ったホーキンスのブーツは、ヒッチハイクをしたりして一緒に旅してまわった。四年ほど履いてぼろぼろになってかっこよかった頃、これからだって時に誰かが欲しいといったので、あげた。その頃、道を歩いてるとゴミ捨て場にきちんとそろえて茶色のマーチンのブーツが捨ててあった。運命を感じてその場で履いてみるとぴったりで、僕を待ってたかのようだった。そのブーツもかっこよくてライヴでも必ず履いてた。が、それも三、四年してデビュー前くらいに、どっかに忘れてきたらしく、いなくなった。その頃人から譲り受けたのが、今回なくなった黒いブーツだ。これも四年くらいでなくなってる。ブーツには愛着がわく。自分にしかわからないかっこよさが年々増していく。一生もんだと思う。が、これまでの僕とブーツの関係を思うと、出会う時に出会って、別れる時があって別れてるような気がする。
 生きものだ。ぼくの知らないとこで、知らない人にちゃんと履かれてりゃいいけど、じゃない時を考えると、ちとやっぱり嫌だな。どこいったんかね、おい。
もの忘れが激しくなる一方で、毎年秋になると思い出すのが、大学一年の頃主催したフォーク・ライヴ。 それまで何か自分で事をおこす方じゃなかったけど、大学の“階段状でホール的な教室”を見たとき、授業だけに使うのはもったいないと思った。その頃夕方になると、近所のだだっぴろい畑の真ん中で一人で歌ってた。毎日一人で歌ってると、誰か人に聴いてもらいたい……なんつう気持ちになり、その階段教室で学園祭の時ライヴをしようと思いついた。ポスターを書いて出演者募集したり、ギターをもって歩いてる人がいると直接誘いまくった。とにかく自信があってもなくても、へたっぴでもいいし、ものまねチックでもいいから、なにかを発してる、表現しようとしてる人を誘った。
 いろんな人が出演してくれることになって、手伝ってくれた。教室も借りれることになり、当日はビール・ケースでステージをつくり、畑からワラをもってきてステージの脇にしきつめたり、布を黒板やかべにつるしたり、お香をたいたりして、好き放題の空間をつくった。本番は聴きに来てくれる人が少なくて、広い教室にポツリポツリだったけど、歌で出会えた先輩達や友達と一緒に一つの空間をつくれたのが嬉しくて、布にみんなの名前を書いてもらって、また来年もやろうときめた。
 翌年の新入生の中に今のメンバー達がいて、おもしろがって参加してきた。本番が終わりみんなが帰った後一人で歌おうと教室にもどると、ベースのケー(草場)が一人で酒飲みながらステージにいて、二人で歌った。こん人もココが好きなんだなぁと思うと嬉しくて、翌年はケーにやってもらうことにした。二年連続でわらをしいたりしたもので、虫がわいたとかなんとかで借りるのに大変だったらしいけど、なんとかやることができて、今度はケーの世界をガラクタをあつめたりしてつくり、四年目はドラムの吉田くんが主催した。毎年の主催者が翌年の主催者を決め、布に出演者の名前を書いて、こう“ずっと続いていったらいいな”と思いながら僕は卒業し、毎年秋になると思い出しながらも、続いてんのかどうかもわからず十年近くたった今年の秋。友達の結婚式でその頃の仲間と会い、「テレビ観てたら神大の学園祭映ってて、レポーターの後ろにフォーク・ライヴのポスターが見えたよ」と教えてくれた。秋風が僕を通してつくったフォーク・ライヴが、今は知らない人達を通してつくられてる。なんだかブーツみたいなやつだ。お客さんはポツリポツリだろうけど、続いてるってことが嬉しかった。来年やってたら会いに行ってみよう。


「フォーク・ライヴで使い一枚だけとっといた布とその時奮発して買った、字体はマーチンだけどよくみるとモーリスと書いてある貴重なばったもん。お気に入り」

2004年10月27日水曜日

Vol.57「ゆっくりです、宮崎」の巻

 宮崎に帰った。長い間その空気で育ったから、思い出したように体の中の何かが騒ぎ出す。“おおい帰ったよ、ただいま!!”と空港を出れば広がる空。今ま でだって何度も帰郷してるけど、帰る度に十代の頃、上京した時の自分がいて、おみやげ渡したり、失くしたもの報告したり。空港前の空はそんな場所だ。タク シーに乗り目的地で降り、走り去るタクシーを振り返ってみてみると、ドアを開けっ放しで一本道を走ってる。そのまま滑走路から飛びそうな飛行機みたいで “おお、かっこいい”なんて見てると、運転手さんも気付いたらしく、ドアをぱたんと閉めて走り去ってった。そんなことで“宮崎だなー”ってまた実感。ラグ ビーボールくらいの亀が車道の真ん中で、車通る度に首をひっこめながら横断しようとしている。宮崎はゆっくりゆっくり動いていて嬉しくなる。
 今回は長渕剛トリビュートでプロデュースをしてくれた、同じ宮崎出身のギターリスト、タメゴロウさんから誘われ、ビーチクリーンのイベントに参加させて もらった(10月22日)。や、しかしこれ、宮崎の人が二人集まるとゆっくりゆっくりになる。東京でリハーサルやっても必ず30分は集合遅れてた。あんま いいことじゃないけど、“まあいいがー”的なところがある。が、やはりプロのギタリストで、準備にも音へのこだわりで時間かけてたのが印象的だ。で、実家 にいた頃は知らなかったんだけど、宮崎には日向時間=ひゅうがじかん=という都合のいい暗黙の了解があって、結婚式やらコンサートなどの集まりごとの時、 30分くらいの遅れは“まあいいがー”的な感じだ。そんな日向時間の本場、日向でもライヴをした。開演時間になっても「お客さんが来てくれないんじゃない か?」と冗談半分心配していると、肝心のタメゴローさんの準備が30分遅れ、さすがに僕もあせってしまったが、“よし、じゃいこか!”とどっしりマイペー ス、安心感で仕事きっちり、日向のみんなにもあたたかく迎えられた。
 ライヴはタメゴローさんの友達で、宮崎で活躍しているウッドベーシストのたけさんと、パーカッションのけんさんも参加してくれた。けんさんのクールな ウッドベースも、50才近いけんさんのニコニコ・パーカッションにも力をもらって、気持ちのいい一時やった。親戚のおじちゃんおばちゃん、友達やお世話に なった人達の顔も見えて背筋が伸びる。やっぱりこの人達の前で、恥ずかしいこと、恥ずかしい生き方はできないなと、思い出させてくれる。“もっとしっかり せんとなぁ……あいたたたた”。みんな台風の後始末の忙しい中、来てくれた。

 翌日、海辺でのライヴ後に打ち上がり、ビーチクリーンを23年間やっている、ブレットアンドバターの岩沢さんと話した。23年前に子供が生まれた時、湘 南の海で自分が子供の頃裸足で走れたのに、自分の子供はゴミで足を怪我してしまうから裸足になれないのが嫌だな、ってところから始めたらしい。浜辺に落ち たプラスチックは小さくなって海に流れ、それを魚が食べて、魚を人間が食べての悪循環。僕は僕で、“もっと音楽で売れたいんすけどねー”なんて自己中心的 な話にもなりつつ、最近は温暖化のことや台風が変な時に来たり、地震があったり、宮崎の街では、夜中じゅう大量発生の鳥達が鳴いていたり、人間同士のひず んだものも一体どこまでいくんだと、地球もいよいよ本気で怒りはじめてるんじゃないかと、怖くなる。昔絵本で読んだ、一生かけて荒野に木を植え続け、やが て森になったって話。“自分もやってみたいな、こんなこと”って感じたのを思い出した。忘れがちになる普段の暮らしの中で、ガンジーの言う所のカタツムリ のスピードでゆっくりゆっくり、宮崎みたいにゆっくりゆっくり、まずは自分の中にしっかり木を植えられたらなーなんて事を、ほんの少し思った夜でした。
 実家にいた頃は、このゆっくりが嫌だった時もあったけど、たまに帰るとやっぱりいいもんや。

 「宮崎空港の夜神楽人形が10時をお知らせしてます」(本人談)。「今月、あまり面白いの無いんですよね~」なんておっしゃってた中尾さんの、携帯電話の カメラで撮影した写真でした。さて、10月6日の新宿ロフトでのライヴ『ジュテーム』も大成功に終えたイン・ザ・スープですが、ナントその時のライヴ・レ ポートと、後日行なった中尾さんのソロ・インタビューが、同じくB-PASSのWEB上で近日公開されます。そちらの方も楽しみにしてて下さい。なんで、 マメなアクセスどーぞよろしく、です!!

2004年9月20日月曜日

Vol.56「長渕剛 桜島コンサート」の巻

 桜島が煙をはいて朝焼けシルエット。その向こう、桜島の脇腹あたりから真っ赤な太陽が少しずつ顔をだし、錦江湾を輝かしている。僕を乗せたフェリーは水しぶきをあげ、桜島を後にする。
 長渕剛オールナイト・コンサート。七万五千人と共に、夜を徹して行なわれた。僕を含め、トリビュート・アルバムの参加者達がゲストとして呼ばれ、“しあわせになろうよ”の一曲を長渕さんと共に歌った。この一行を書いて、なお実感が増す。同じステージに立ち、そう、長渕さんと共に歌った。これ、読者には “へ~”ぐらいのことかもしれないが、僕にとっては人生のちょっとしたビッグ・ニュースだ。
 もう何度も言ったり、書いたりしてきたけども、十代の頃に大きなきっかけをくれたのが、長渕剛という人だ。この人の出すものに共感し、憧れ、力をもらったりした。そして、自分を表現する手段としての音楽があることを教えてくれた人だ。なんかが出来そうで、やらかせそうで、わからずに何も出来ず、寂しさや空しさ、怒り悲しみ、みたいなもんがぐつぐつとなんとなく流れてた頃、十代。テレビで観た長渕剛はそんなものからも歌をつくり、表現してるように見えて、 僕の何かが共鳴した。大人になってもこんな人がいるってことも、心強くてうれしかった。“ぴぃぴぃぴぃ”ってそんだけで、その人の声、歌で伝わってしまう。長渕さんもいろんな人に影響を受けてきたのだろうけど、誰風でもないものだけが、僕に届けられた。だからこそ、誰にだってその人の歌があると思わせて くれたし、何より歌を歌うと、自分がここにいるという実感、証しがもてた。今まで何度か何を歌で伝えたいのか? 何故歌うのか?なんて質問されることが あったけど、なんで生きてるのか?ってのと似てる。時々人前で歌ったり、体から発することが始めは自己満足だったはずなのに、なんて恥ずかしい事をしてんだろうか、なんて思ってしまう事があるけど、発したことで誰かの熱だったり、笑顔だったり、もらえたりするとやっぱり嬉しくなる。そんなことをやれて今の 僕がいるのも、十代の頃に長渕さんに出会ったってことが大きい。そんな長渕さん、今もなお、ますます突っ走り続けての、一世一代、桜島オールナイト・コン サート。七万五千の人の波、ヘリコプターは飛ぶわ、花火上がるわ、凄まじく別世界だった。そんな中“しあわせになろうよ”。僕の歌うパートの前に“ユウス ケーナカオー!”と長渕さんから、お客さんの波にむけて紹介をしてくれて、負けじと僕も腰をかくかく。信じられるか、十代の頃の僕よ。あの長渕剛が僕を皆 に紹介してくれたっ! もう音に身を任せ飛んだり跳ねたり、緊張しながらもフラワーロックだった。曲の終わり、みんなで手をつなぎ万歳! しっかり立ち位 置無視で、ちゃっかり長渕さんの横にいき、手をつないで万歳。非常にミーハーやりました。
 楽屋にもどると南こうせつさんが、出演者に“よかったよー”とニコニコ、声をかけてくれた。僕はなんつーとこにいるんだ、と感動。しかしふつふつと、もっとこう何というか大活躍しなければなあ、と思わせられる桜島であった。

 追伸;出演後、客席から見ようと人の波にまぎれ歩いていると、僕にも告げず宮崎から桜島までコンサートを観にきてたマイマザーと、七万五千分の一でばったり会い、“まっすぐまっすぐ~”なんて一緒にうたったのはビックリ・ニュースだ。

「オハラハー! さっくっらっじまっ! ゲスト陣は早めに帰途についた。この頃この桜島のふもとで オールナイト・コンサートのクライマックス」

2004年8月27日金曜日

Vol.55「残暑見舞い=前半ラップ調で=」の巻

 うだる 暑さ さなか いかがお過ごしか? 去年の夏にくらぶれば やっぱ こじゃ
なきゃ なっ!てななな……。
 夏なわけで、たらたらと汗かきガリガリ君ガリガリかじり、当たりが7月と8月で二本もでた今日この頃。僕は元気で、蚊取り線香はぐるぐるまわる。扇風機 は“1/fゆらぎ”(※)ってやつがついてる優れもの。海の、波の、音のリズムかもしだすから。思い出すのは宮崎。田舎にいた頃、夜眠る時、心が静かな時 やなんか聞こえてきてた。耳の奥で鳴る様な、波の音? 海が近かったわけでもなく遠かったわけでもない。自転車で20分くらい。聞こえないだろ~。遠く走 る車の音かな? いや、きっとこりゃ波の音だ、夜空と山に響かせて海が遊んでンだろ~と真っ暗な部屋の中、普段は聞こえない耳の奥から聞こえるような音に 安心して、少し嬉しくなってたようなことおもいだす。それにしても機械の扇風機、自然のリズム「揺らぎ」を真似てけなげに働いてくれてます。
 それを創った人間は、わかっちゃいるのに今もまだヒートアイランド建設中。やめればいいのに僕もまた、そんなランドの真ん中でアイスをかじれば調子良 く、悪かないなと暮らしてる。そんな最中に生まれ出た、流行りの癒しじゃ癒されずコンビニエンスじゃ寂しくて、もっとこう、ますます生きてる実感が欲しく なる。許せる瞬間、笑える瞬間、ほんの少しでもどこか和らぐ瞬間。自分を疑えばきりがなく、他の誰をも疑ってしまう。時々僕は歌っていると、漠然とだけ ど、おこがましくも、誰でもがみんなバカみたいに、その瞬間に許せる心、同じになれるものがそこにあることを感じる。というか、きっと勝手に僕がバカみた いに今まで見てきたものや感じてきたもの、今あるものやその先にあるものを受け入れられてて、その中に宿ってる瞬間なんだろうと思う。それは宇宙で、そん なままずっと水のように流れていけたらと思うけど、また疑!疑!疑!と悪魔が顔を出す。そんなことの繰り返しだ。
 夢やら生きてる実感が見つけられない時、自信もなく自分を疑ってばかりで、今までの全部を否定してしまう時、どこまでも不安になる時があるけどそんな時 も本当は知ってる、本当は感じてるんだと思う。その先に今は描けなくても、自分の色でいつか描くための真白いキャンバスを持ってること。きっと誰だってそ れだけは何があっても捨てられはしないもんだってこと。
 今年の夏は暑いですっ。


※注釈
“1/fゆらぎ”というのは、例えば自然のリズム、波のリズム、体内をながれる血液のリズム、宇宙が脈動するリズム、森、川、風なんかのリズム。ちなみに モーツアルトの曲の中には“1/fゆらぎ”が入っていて、聴くとリラックスするといわれていて、植物や牛にきかせるとすくすく育つらしい(本人による解説 より)

 諭介さんからの残暑見舞いも届きましたが、みなさんはこの夏をいかが過ごされましたか? なんと嬉しいことに、9月11日のイベント出演からイン・ザ・ スープはライヴ・モードに突入! 数本のイベント出演の後、10月6日には新宿ロフトでワンマン・ライヴが待っています。どんなステージになるのか、今か らホント楽しみですね! 写真は、リハーサルの合間にVサインの諭介さんです。

2004年8月8日日曜日

Vol.54「夏だ! ツアーだ! 久々だ!」の巻

夏だ! ツアーだ! 久々だ! 梅雨の期間も短く、夏はもう本領発揮でムンムン熱帯夜。相変わらずクーラーのない部屋で裸になり、カルピスを飲む毎日だ。あちぃー。去年の今頃はアメリカにサイトシィンやったなぁと、シェリルクロウを聴く。シェリルを流しながら一人で車を走らせた荒野の真ん中や、ラスベガス、グランドキャニオン、あの時の空気や風が、このあちぃ部屋に吹きこまれてくる。一瞬で思い出サイトシィンだ、イェイ。あんなこともあったね、とシェリルはあの時と変わらず歌ってる。もしかして僕の歌った曲にも誰かの思い出がつまってて、その人にしか分からない空気、景色、とっくに僕の元を離れ飛んでった歌が、誰かの思い出のBGMになってるのかもしれないなぁと熱帯夜、野暮なこと思いながらカルピスを飲む。
  「あちぃあちぃ」と言いながらも、やっぱり夏を楽しんでる。夏はあっという間に終わる。今年の夏はすでに海水浴場にいった。ツアー大阪ライヴ後、夜走りで東京へ帰る途中朝方から静岡の海で泳いだ。同行してたイベンター・スタッフのSが海中で海パンを脱ぎ、遠くで「たすけて〜」とパンツをふりまわしてる。僕とドラムの吉田君とベースのケイで急いで泳いでSの所まで泳いでいき、パンツを奪いとった。三角キャチボールで返せ返せと真ん中にS。結局吉田君が、潜るから肩に乗るようにと言い、僕がその向こうのケイに投げた瞬間、ジャンプしてカットできたら返そうということになった。勢いよく放り投げた瞬間、海面上に素っ裸の男、ロケットのように飛び上がり青空に映え、見事パンツをとりもどした。久々に腹がよじれる程笑った。人がわんさかいる海水浴。ボラのようにはねた、裸男一匹。そのあと僕も調子に乗って「たすけて〜」とパンツをふった。<br>
    一度も海にいけない夏は本当に寂しいもんだ。今年はいけてよかった。あとは、原宿の駅前の木の下にノコギリクワガタが落ちてた。もう動かなくなって、ありんこがたかっていた。大きなツヤのあるかっこいいやつ。もう死んでた。
    あとは、スイカを食べてその種を乾かして保存してある。これはロンサム隼人という人の本に影響を受けたからだ。この人はアメリカの刑務所の囚人で俳句を書いてるひと。刑務所の夕食にトマトが出て、その種を植えたらトマトがなった、とあった。小学生の時やなんか、プッと土の上に種を飛ばすと何日か後に芽を出したりしてた。それから水をやったりして育てるけど秋前には枯れてしまうのを思い出した。今回の種は、来年の夏にはスイカが食べれるようにしたいもんだ。ってなわけで始まったばかりの夏、なかなかの満喫し具合だ。そしてツアー・ファイナル東京2DAYS! 頭からっぽ、なにがおこるか今度はライヴで裸男のジャンプがみてみたいもんだ。
 なにしろ今年の夏は手強そうだ。力の限り駆け抜けてやるぜっ!

In the Soupのニュー・アルバム『ヘブン』はもう聴きましたか? そのアルバム・リリースに際した超ロング・インタビューも当HP上にありますので、みなさん どうぞヨロシク! さて、本文でも中尾さんが触れている東京2DAYS(7/15&16の下北沢シェルター)のライヴをもって、無事にツアーを終了させた バンドですが、今後はイベント出演とインストア・ライヴが控えています。詳しくは下記INFORMATIONをご覧下さいネ。写真は、その7月15日の下 北沢シェルター・ワンマン、本番直前の中尾さんです。

2004年6月26日土曜日

Vol.53「二度目のドラマ報告」の巻

 この度、私は『ビーバップハイスクール』に引き続き、『ラブジャッジ2』というTBSドラマに出ることになりまして、今撮影を終えたばかりです。ヤンキーに引き続き今度はホスト役の一人として、またしても後ろの方で立ってたりします。二回目ということもあり、少しは要領を得て、盛り上げ役として奇声をあげたり、監督さんの配慮もあってギターを弾かせてもらえるなどして楽しい時間をすごさせてもらいました。画面上では、よくよく見ていないとわからないかもしれませんが、“あっ、あそこにいたっ、中尾なにやってんだ”などと探し当てて見てもらうのも楽しいかもしれません。それにしても共演者の方々には沢山の刺激をもらいました。特にボカァ、演歌歌手の坂本冬美さんが非常に印象深く今にいたります。着物姿で歌うシーンは凛としていてカッコよく、しなやかで、冷たいようでその裏の激情がひしりひしりと切なさになって伝わってくる。まいったっす。こんな人がいるんだなぁと嬉しくなりました。長い待ち時間にも笑みを絶やさず、本番になるとキリッと張り詰める。美しい人です。そんな冬美さんが演じるのは僕らホストのオーナー役で、賑わう店内の中、すみっこで怒られているホストを僕がやらしてもらいました。本番の合間などに歌手同士の会話をしたりして、非常にキュウトなキュウトな一面も見せられて、まいりました。
 また主役の泉ピン子さん、テレビのままパワフルでゴツゴツと岩が転がるロックン・ロール的な人。「若いうちから手ぇ抜くこと覚えてんじゃないよー!」などと大声でスタッフに激をとばしていたり、周囲へ気くばりしていたり、なによりまっすぐまっすぐ生きてきて、あたってぶつかって、生きてこられたんだろうなぁと思わせるそのオーラ、それが本番で一気にでてくる瞬間に僕は感動しました。矢沢の永ちゃん好きで、永ちゃんの話と犬の話をしてる時はチャーミングな人やなぁと思ったし……。小林捻侍さんはヒマさえあればみんなを笑かしてた。ユラユラ揺れながら、落ち着きのない子供みたいに一人でおもろいことみつけては一人で笑ったりしてた。意外だったのは、リハーサルでは何度もNGをだしてたこと。ゆっくりと自分のペースで空気をつかんでいく感じ。さすがのピン子さんも「ずるいよ〜おやじぃ!」なんていいながら涙流して笑ってた。でもやっぱりOKテイクを見るとびしっときまってる。さすがや。おちゃめな人でした。
 役者の世界は互いに高め合い、刺激しあったりしながら、最終的に孤独な戦いをしていると感じました。関わる全てのスタッフがいて自分が成り立っていることを感じながら、その中で演じて生き様をさらけだしてる。歌も役者も変わらないとこにやっぱり光があって、きっちり自分自身というものが表現できるような人間にますますなりたいなと思わせてくれる現場でした。ピン子さんも冬美さんにもアルバム『ヘブン』を渡したのだけれど、何を感じてくれただろうか、みなさんはもう聴いてくれただろうか、聴いてくれたらまたライヴで感じあえたらと思う次第どぇす! 今日のところは、冬美さん熱にほだされながら眠ることにします。

 ニュー・アルバム『ヘブン』リリースの超ロング・インタビューが、 同じくB-PASSのHP上で読めますので、是非そちらのチェックもヨロシクお願いします!! また、東名阪のワンマン・ツアーも決定してます。詳しくは ↓のINFORMATIONをご覧下さい。写真は、アルバム一曲目の表題曲「HEAVEN」のPV撮影時のものです。

2004年5月27日木曜日

Vol.52「刺激的日々」の巻

  このたび私中尾諭介は、ドラマ出演することになった。これは非常に刺激的な経験だった。 しかもほとんど映れてない様子なんだけど、一つの「物」を作るその場の空気、はじめて会う人達と作ってく刺激的な日々。知らないとこへ飛び込んでいく感覚は、久し振りだ。クラス替えしたばかりの、“友達できるかなぁ”的な感覚。現場の空気は、監督、カメラマン、照明さん、音声の人、交通整理の人、出演者、何十人って人が一つの「物」を作るため、あの小さな画面にワン・シーンをおさめるために、張りつめて、時に笑いあい、テンションを高めていく。ひとつのことへ向かって、それぞれにそれぞれがいろんなことをこころみて、互いに反応しあう。
みんながセッションしあっているところは音楽と似てるなぁと思った。がしかし、当の自分は、画面上なかなかどうなってるのかわからなかったりと、やや悔しい思いも多かった。待ち時間がかなり長く、そのあいだ本番にむけてのテンション高めあい、ケツバット大会を五、六人でしたりおもしろかった。仲間意識もできて、いろいろと教えてもらったりした。短い間やったが撮影終了時には少し寂しい感じもしたもんだ。良かったら見てみて下さい、『ビーバップハイスクール』。三十にして、そりこみいれてるぞこのやろう。
 役者と言えば、高校の頃一緒に漫才をやっていた本田誠人という男がいる。東京でペテカンという劇団をやっているんだけど、今回地元の宮崎、延岡で公演をするらしい。しかも場所は大ホール。
ペテカンの演劇は静かで、日常のごくあたりまえのなかにあるドラマを映画のようにみせる。がゆえに、僕の勝手なイメージだが、見ててこっちが恥ずかしくなるような演劇独特の、大袈裟みたいなもんがなく、逆に難解にみられがちだ。しかも宮崎、延岡はいくら地元とはいえ演劇をみる人口なんてほとんどないに等しい。しかも大ホール。僕は言った、「無理やろーそれは無理やろー人がこんやろー」と言いながら、“おもしれぇーことやるなあ”と思った。誠人は「うん、会場を一杯にするのは無理かもしれんね、やけどああいう場所でやるのはうちの劇団にも刺激になるし、お客が少なくてもそこでどう遊べるか、なにより演劇をあんまり観たことない場所なら、なおさら観てもらいたいやん。で、なんか感じてもらったら嬉しいやん」「いやーそれにしても無理やろー」気がつけば僕は無理を連発。連発しながら、おもしろそうで笑っていた。確かに会場が一杯じゃなくても、演劇人口のほとんどない街で、ぺテカンの演劇でだれかが何かを感じたら素敵やなぁとおもった。でもどうせなら、いっぱいの人に観てもらいたいもんや。
しかしいつから、僕はこんなに無理だという言葉を吐くようになったんだろうかと、つまらんやっちゃと思いながら、負けてられんなと思いながら、宮崎、延岡方面の方々よ、ペテカンの演劇に触れてみるべしです。あぁ、僕も刺激的でありたいと思う今日この頃。ツアー、桜島、ドラマと楽しみな明日からだ。

 In the Soup待望のニュー・アルバム『ヘブン』が6月23日にリリースされます!
嬉しいワンマン・ツアーも決定です。詳しくはINFORMATIONをご覧くださいネ。
写真の中尾さんは、スタッフとの“打合せ時に”撮影したものです。

2004年4月27日火曜日

Vol.51「僕と音楽 散歩道」の巻

 コンピューターからこんにちわ。 最近は暇があればぶらぶらと近所を散歩。ウォークマンでU2の「スタックインアモウメントキャンゲットアウトオブ」って曲を聴きながらぶらぶらする。この曲のイントロから好きで、ふぁあっとしくしくと胸の奥が熱くなる。意味はさっぱりわからんけど、記憶や過去から今が実感できる感じだ。そんだけで十分、ただのぶらぶらも楽しくなる。公園に落ちてたプラスチックのスコップも、そこから眺める新宿のビル群の灯りもおっことしてきた何かやら、そこから先のことも、ほどけて、許されて、怖くなく、ずっとこのままでと繰り返し聴く。音楽で心のどこかがふと変わる、景色が変わる。そんなことやっぱりあるもんや、とあらためて実感。本当は道行く人に聴かして回りたい気分になるけど、それぞれにそんな場所があるんだろうなぁと思いながらあきらめる。がそれでも調子にのると体を揺らして、広がれこの気分っと少し笑ってすれ違う。気味わるいかもしれんが、そんな気分の時はつまらんもんですがおすそ分け。
 音楽で変わるといえば中学生の頃、テレビから流れてきた長渕剛の「ろくなもんじゃねえ」にびっくりして、『ライセンス』ってアルバム買って、「ライセンス」という曲に全部包まれた。レコウドの針が“ばちばち”いって流れてきたこの曲は、それまで聴いてきたどんな曲より、リアルで、悲しくて、優しい曲。情熱、愛情、自由。長渕さんは、生きてく中で音楽という表現があることを教えてくれたし、その頃抱いていた空しさや、不安、迷いなんかも力に変えられることを教えてくれたひとだ。高校の頃、初めて弾いたガットギター。中庭で友達にGのコード教えてもらって、「とんぼ」のゥオーゥオーオーってとこ何回も歌った。へたくそでも、自分のなかでは完璧な感じ、強く何かがこみあげてくる感じがした。ずっと忘れんやろうなぁ。それから自分で歌を作ってみたり、路上で歌ったりしているうちに、いろんな人たちともつながって、メンバーとも出会えて今がある。
 あのアルバムや中庭から十数年。 今回、そんな大きなきっかけをくれた長渕さんのトリビュート(アルバム)に参加させてもらった。 参加者全員と本人参加の「しあわせになろうよ」のレコウディング。楽屋でアルバムのタイトルが『Hey ANIKI!』なだけに、ゆずの岩沢君やthe youthの中村君やらと、だれが最初に長渕さんのことをアニキって呼ぶかなんて話してると、長渕さん登場。ドキンと心臓が脈打って緊張してしまい、心の中で「バカ、これじゃただのミーハーじゃないか、同じ土俵の上で同じものをつくる人間同士だ!」と自分に言い聞かせてると、長渕さんがそれぞれのカバーした曲についてあれいいよねーっとかって話しだし、「“マイセルフ”やったの誰?」と。この曲は僕がやったので「僕っす」って答えると、「あれもいいねぇ、あそこのとこがさぁ」なんて細かい感想聞かせてもらって、「ありがとやす!」なんて話してると、「あれっ? お前なんか訛ってない? 田舎どこ?」「宮崎っす!」「ああ、そうなんだよ、宮崎の奴って訛りがとれないんだよ。宮崎はなまりか強いからなあ~」なんて笑いながら、いたずらっ子っぽく言われたので、「鹿児島ほどじゃないっすよ!」っていたずらっぽく返したら、「なにを~!」っとかって長渕さん。みんな笑って僕は緊張がほどけ、かなり楽しくレコーディングをさせてもらうことが出来た。帰り道一人かなり浮き足だった。おお長渕さんと歌ったよと、交わした言葉やら長渕さんの表情やら思いだしながら、恋のようだとも思いながら。がしかし、すぐに寒い風ふいて、あの頃もらったものを返していかんとなと、今日も大きな力もらったなあと、やっぱり僕は僕の歌でいろんな人や未来に返していくぞ、と浮き足立った足ぺたんとついて踏み締めながら家に帰った。長渕剛トリビュートアルバム『Hey ANIKI!』、ぜひ聴いてみてくださいな。


今回から、場所をB-PASS本誌からこちらのネットに引越してお届けすることになりました。写真もカラーで見られるようになりましたよ。中尾さん、みなさんこれからもヨロシクお願いします!

 写真は4月6日に行なわれた新宿LOFTでのライヴ・リハーサルのものです。