2018年4月30日月曜日

Vol.218「初夏、気候がいいからでしょか」の巻

 4月、桜もとっくに散って緑が眩しい、何度も言いますがいい季節ですね。とてもいい季節。花粉も落ち着いて、寒くなくて暑すぎることもなく、何より空気がカラっとしていて湿気がない、これが一番嬉しいとこであります。
 秋も乾燥していて好きですが、夏が終わってく寂しさと厳しい寒さがやってくる、どこか悲しげでありますから、その辺を考えますとやはり梅雨前の今の時期が一番過ごしやすくて希望を感じるいい季節、好きな季節です。それは夏の札幌や、アメリカの気候を思い出したりもして。そんな空気の中にいるだけで、幸せだなぁなんつって思え、誰かといても何にも喋らなくていいような、乾いた風に吹かれてるだけで幸せを感じ、心が清潔を取り戻すような気分になり、ジトジトしたものは勝手に焼き消されていくようで、下腹へ静かに空気を吸い込みゆっくり吐き出すだけで満たされて、なんでもない日におめでとうございますと言って知らない人とすれ違いたくなります。おじいさんになるまで生きていたら、そんな日は「いい天気ですなぁ、おめでとう」と言ってまわるじいさんになりたいもんです。「来た来た、おめでとじいさんが来たぞっ」なんつって小学生に陰であだ名をつけられてウワサされたりして。この季節、そんくらい嬉しくなります。めでたいですね。
 陰であだ名と言えば、自分が小学校の時にも学校の通学途中、下校の途中に時々遭遇したカズヤンという宿無しのおいさんがいました。昔の言葉で言うところの乞食です。でも食べ物を乞うたりお金を乞うたりしているところを見たことがないので乞食ではなかったのかもしれませんが、リヤカーを引き、髪もヒゲもぼうぼうのボッサボッサ、服もボロボロでお風呂には入ってないんだろうなと思われる風貌と匂い。子供心に何といいますか、見かけるとテンションが上がっていました。「うわっカズヤンやっ」と言ってはまじまじと遠くから見たり、ついていったり。でもどこか怖さがあって近づけなかったり。ある日、下校途中に友達と神社の裏へ、帽子のツバを取ってしまったらどうなるか的なコソコソとしたことをしに寄り道した時、自分たちの後ろでゴソっと音がしたので見てみたらカズヤンがいて、まるで漫画のように「ギャー!カズヤンだー!」と一目散に逃げたことを今も思い出します。カズヤンが何か暴力をふるったり、物をとったり、悪いことをしたわけじゃないのに、ただそこにいただけなのに、どうしてあの時、というかカズヤンを見るたびになぜ「こわい」とおもったのか、今でも不思議に思います。強烈な印象を自分に残したカズヤン、何をしでかすわけでもなかったカズヤン、ただリヤカーを引いていただけなのに子供達から「ギャー!」とか言われてどんな気持ちだったのか、優しい人だったんじゃないかと思ったり、世の中の仕組みから外れているように見えて、羨ましかったり、かっこよく見えていたのかもしれないともおもったりもして。
 東京にいて宿無しのおいさん方とすれ違ったりしますが、東京での先輩方は人数も多く、一つのコミュニティーができてるように見えます。が、カズヤンの場合は、延岡という小さな町に唯一の存在ですからとても目立って見えました。仲間といるとこも見たことがなく、いつも一人だったので、今となっては自分の記憶の中でかっこよさを感じる存在です。
 はたまた東京で宿無しの先輩が寝ていたりすると、「こりゃ大変な生活だなぁ」とおもいます。排気ガスの近くにダンボール、その中で通行人の足すれすれのとこで眠っていたり、みんなが働いてる時に寝てるだけだなんて自由でいいなぁと思ったこともありましたが、それはそれでその世界での人間関係とか場所の確保や毎日の気候の変化、季節の変化、危険とも隣合わせのその中で暮らすなんて修行だなぁと、過酷な世界なんだろうと、宿を無くしてまで人間関係に縛られたくないなぁと、自分には無理だなと、なりたくてそうなってる人なんてほとんどいないんでしょうし、自分にもいつだってその可能性はあるんだろうとおもいますが、そうならないようにしたいとおもうようになりました。
 それでも、釣りに行った時などに磯の付近に洞窟があったり、人目のつかない住みやすそうな場所があると、自分がもしもそうなったらここだったらいいんじゃないかと想像が膨らんだりもして、毎日釣りをしてそれを食べて、でも寝てるときにフナムシやなんかに体をはわれてはたまらないな、高床式住居の作り方を習って暮らせんもんかとか思ったりしてって、そんなに甘い世界じゃないんでしょうが、そんなことを想像するだけでちょっと心が自由になれたりもして。覚悟もないのに生活の選択肢にいつも宿無しがあるのは、きっとカズヤンの影響があるんでしょうね。海の近くの古民家を借りて釣りをしながら暮らせたらとか。どうしても叶えたい夢ではありませんが、普段の生活の窮屈を逃す、電化製品でいうとこのアースみたいな役割の夢なんだろうなとおもいます。

 と、ここまで書いて、なんでこんなことを書いているのかと自分でも不思議になりましたが、読み返せば気候がいいからでしたね、雪が降る日にこんなことは思わないでしょうね、おめでたいやつであります。天気のいい日にボヤっとこんなことを考えている輩ですが、5月20日は下北沢はシェルターにてビシっといきますんで、何卒会いにきてもらえたらと。と、今月はこのへんで。よい初夏を。

緑まぶしか 初夏の空

EBBワンマンにて ゲスト
音や熱 グルーヴ バンド感 アイデア などなど もらって
はずみにして いざ 520へ。

たまたまテレビでみましたが この人もどこか憧れをもってみてしまう 吉田類さん。

久々に早朝野球にも参加。

江ノ島は立ち入りが厳しくなったので三浦半島のほうへいくも
雰囲気などがやはりもひとつで 岩影で寝る。

釣れたのはウマヅラハギ。

毎年恒例の早朝ライブ。
早朝にライブすること以外にも 4月28日は 四ツ谷 とも 渋谷 とも 読めることから
四ツ谷ライブハウスの店長学さんと渋谷ライブハウスの店長川崎さんとの間での
428はどちらの日かというあまり誰も気にしていなかった争いも毎年同時に行われていましたが、
和解し今年で終結。

ツツジ この色 夜みると ほんやり浮かび上がってるようにみえて 好きっす。

宿無しのおいさん同様、磯もまた、世の中から少し外れたような感覚になります。はしっこの方へはみだしたみたいな。人間の作った文明からもはずれて 同じものがない、自然が作った芸術の上。その場の歴史も刻まれて、ただそこにある、だまったまんま語りかけてくるようなかっこよさを感じます。



◆諭介がお答えいたします

■「締め切り守れませんでしたね。貴様と呼んでいいですか?(笑)言い訳がわりの日記を読んで、釣り名人はいくつも言い訳を用意しているって話を思い出しました。たくさん釣りに行って、言い訳たくさん考えてましたか。でも、罪悪感もちゃんとあったみたいだから貴様を許してあげようと思いました。と、さりげなく暴言を挟みましたが(笑)、毎月続けられていることはすごいと思っています。しゃかりきも4年半続いているんですね。番組を通してリスペクトしてた人達と出会え、一緒にできることはラッキーと面白がってやっていけるといいですね。そして「荒れ野」悲劇喜劇賞受賞の特集も読みました!作品に関わった方々の寄稿文、審査員の方々が「荒れ野」に決める経緯、荒れ野の台詞に、私もまた作品に再会した気分になりました。音楽やライブ以外の経験のすべてが諭介さんの歌に繋がりキラキラ輝きますように☆」
(A.T 2018年4月19日 8:21)
→うむ、貴様と言う言葉は元々相手に敬意をもって使われる言葉だったけど、戦時中にその使われ方がねじれまがったんだって、おもしろいね。

■「貴様、こんにちは(笑) 言い訳がましい日記的なもの拝見しました(笑) 約束は破る為にあるって聞いたことあるけど破り過ぎると信頼も無くすのでご注意を・・・なんて、ご多忙だったのだから仕方ないですよね。 色んな事を経験して刺激をもらって、それが諭介さんの音楽の糧になって素敵な歌がどんどん出来ていって・・・私も楽しみです。 本田さんとのライブ、いつか東京でも実現してくださいね」
(夕陽 2018年4月23日 23:30)
→ありゃ、貴様も貴様ですか、あ、戦前での使われ方のほうね。誠人とのライブ、いつか実現したあかつきにはどうぞよろしくね。

■「中尾さん、こんにちは。トーマスサリーさん、卒業されちゃったんですね、、ライセンスさんと瀬村さんと、引き続きしゃかりき頑張ってください! 久しぶりに拝見して、甥っ子、大きくなりましたね!変顔してるのかな。かわいいのう。。諭介くん、おいちゃんにおんぶされてるのかな。すてきな写真だのう。 中尾氏の歌声が益々自由と幸福へ解き放たれますよう応援してます」
(たかの 2018年4月25日 18:04)
→卒業しちゃったね、どこに投げても笑顔で受け止めてかえしてくれるバックネットみたいな人でした。年いくごとの自由はたたかいやね、よりそうなれますように。